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面白い。一気読み。
ただ、「東日流外三郡史」についてはト学会経由で知ったから良いものの先に知っていたらどっぷりとはまっていた可能性も。
これと思い込んだら、その史観に沿うものしか見えなくなる自分の性格を知っているから・・・。
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オカルト雑誌によく取り上げられる「東日流外三郡誌」。書名はよく耳にしていました。
書店でこの本を見たときにタイトルで、その本の内容を白日のもとにさらすものだと予想がつきましたがちょっととまどったのはその厚さです。
読んでみると内容が濃く、「歴史が特に好きなわけではなかった」地元紙の記者が最初は首をかしげながら、次第に「郷土の歴史にウソを塗りこめることは許せない」というスタンスで偽書に挑んでいきます。
真実でないものがどのように流布され世間の認識を得るのか、という切り口で見ても面白いノンフィクションです。久しぶりに一気読みしました。
「家の天井裏から落ちてきた」という発見譚も屋根裏がない構造の家である写真があり…
「〇〇という部分がないとつじつまが…」という話のあとに必ずそれを埋めるような新たな文書が見つかること。
なにより、癖のある字体の発見者が書いたと思われる筆跡。
完膚なきまで…と言うレベルで反証しつくします。
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青森県の片田舎から発見された、古文書「外三郡誌」
勝手に引用されたと言う学者からの、裁判を担当する事になった
地元の新聞記者が、偽書?の疑問を抱き関係する学者達と次々と
真相を明らかにしてゆく過程は、推理小説を読んでいるよううです。
昔「東日流外三郡誌」の文庫本を読み、ロマンの有る話だと思って
居ました。新聞で偽者では無いかとf議論になったのは記憶に
有りましたが、こういう経緯が有ったとは驚きです。
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「東日流外三郡誌」はなんとなくどっかで聞いた程度には知っていたし,100%偽書であろうとも思っていたのではあるが,この機会に一度通して読んでおくのもいいか・・と思って手に取ったものである。
帯になまじの推理小説よりも面白いとあったので,最近「でっちあげ」や「福岡一家殺人」などを読んできた流れもあって,購入してみたものである。
やはり全貌を知るとなかなか今まで知らなかったことや物事の深みというものが見えてきて面白いものである。
例えば,高校のときに日本史で「邪馬台国論争」を扱ったことがある。邪馬台国をめぐる学者の議論に「邪馬臺国はなかった」「邪馬壹国はなかった」論争(「臺」と「壹」・・・微妙に違うので見間違わないでね)という論争があるのだが,そこで聞いた名前がここでも出てくるとは思わなかった。古田武彦氏と安本美典氏がここでも出てくるのである。
また,「東日流外三郡誌」という歴史書を偽作したという程度にしか考えていなかったが,いやいやとてもとても・・・。なんと関連の歴史書や図版,書簡等,なんと総数数千点,それどころか二次元世界を飛び出して,遺骨や書簡や刀剣類から塚から仏像,果ては副葬品(土偶)までを都合よく次から次へと捏造しては「発見された」と言って出してきているのだった・・・。
この全貌を知るだけでも十分に興味深いものがある。壮観でさえある。以前「疑惑のデパート」といわれた人がいたが,さながら「疑惑の総合商社」である。
しかも,そのどれもがいい加減な粗悪品であり乱造品でありながら,そのどれもが都合よく理解したい養護派や,善良な一般人をも易々とだまし続け,良心的な学者が無視する中で,十数年以上にわたり,歴史家として「生計(たつき)」を維持したのである。
良心的な学者というのは,この本の中で言及されている内容によれば,そもそもこんなもの信じておらず,こんなものに付き合っている暇はなく,黙殺しており,黙殺していたことが学会の否定的意見の表出だったというのだが・・・・。
しかしそんな言い分は社会常識上,通用するのだろうか。
この本の中でも取り上げられている一学生の意見「学者は真実の前には冷厳・冷徹であるべきである」という意見の方がずっとわたしには説得力がある。偽書をきちんと叩いて健全なものを育てるというのが正しい社会のありようではないのかという気がする。
実は,この本を読んで考えさせられたことのひとつはまずこの点である。
正しいものを扶け,誤りを質す。弱きを助け強きを挫く。真実を求め,曲学阿世を排す・・・。こういう当たり前の正義への対応というのは,考えてみると現代日本では必ずしも実現されていないのではないかという気がしたきたのである。
この問題で,「学者は無視することが否定だと考えているんだ」と一度は読み進めたものの,やっぱりとても違和感があるのである。
おそらく学者たちは自ら行動し,調査するのも面倒だし,余計な論争に巻き込まれるのも面倒なのではないか,それにもし万が一自分の説が誤っていれば自分が傷つくだけだ。自分が傷つかないためにも厄介なものには近づ��ないほうがいい。大声でムキになって反論している学者にすら白い目を向ける。
言い立てている側も多少反論されても認めないケースも多い。
例えば南京大虐殺なども全市民以上もの被害者数など,現実的にありえない話なのに,いまだにそれに対してきちんとした否定がなされておらずあくまでも各学者が水掛け論を言い合っている段階にある。
学者は真実に向けた議論などそもそも望んではいないのではないかとすら思うのである。
学者だけではないのかもしれない。
意外とみんなそうなのではないか。
この事件の関係者は,何百万円もの投資をさせられて,まがい物の土偶や仏像を買わされても,詐欺などの訴訟や刑事事件にすらなっていない。だまされたことが恥ずかしいのもあろう。しかし「そこにも一抹の真実がある」とか,「仏像は信じていればいいものだから」・・・などと自分を一生懸命慰め,納得させ,それによって自分の傷をなめて癒すような心情が窺えはしないか。
市井の歴史家などはそういういかがわしい新発見のほうが興味深くて面白がったりもする。義経や信長が生き残っていたり,秀吉や日本海軍の軍資金が埋蔵されていたり・・というのと同様である。
こうして一般人の心の池に投げ困れた偽者という石が,人々の感傷や情緒に媒介されて社会の中に次第に広がって,やがて元の波と一体になって見えなくなっていくのだ。
東日流外三郡史が引用されたりしているものなど,影響を受けたものは意外と多いらしい。そういうものが市町村の正史などの中に紛れ込んでいるのだ。
近代以前ならいざ知らず,科学や情報力や言論の自由が整備された現代におては,ほとんどおきないと思ったがそうでもないらしい。
考えてみれば,「それは間違いだ!」と人の主張や意見や感想を非難するのは,双方にとって心理的なストレスが多いことは事実である。まして価値観が共有されやすかった昔と違って,現代社会では家族ですら認識は共有しにくい時代だ。今の時代,他の研究者の見解や事実認識を否定するのは,かなりの心理的負担を双方にもたらすのだろう。
だからそういう行動がとられずに,「君は間違っている」という明確な否定ではなく,「疑念が残る」「~とは確認しきれない」「~と判断するには限界がある」などの言い回しを駆使しつつ,要は「あなたの見解は尊重するけど,自分としてはそこまではいえません」というような言い回しに終始するのだろう。
まるでそれが個性の尊重であるとでも言うように・・・。
その結果,「偽作」は息を吹き返す。「捏造された事実」「詐称された歴史」「暴論」「ありえないきれいごと」なども息の根を止められずに生き延びる。
裁判の場に上っても被害があったものについて議論されるだけだ。捏造行為の是非は利益や権利を侵害しないかぎり,裁かれないのだ。
「東日流三郡誌」も「でっち上げ」事件も「福岡一家皆殺し」事件もいずれも,事件の全体像に言及した判決は出ていない。曖昧で,中途半端な結論だけが出ている。まるで,「曖昧なままにしておくことにより双方をそれなりになだめる」と言わんばかりに・・・。
こういう姿勢が,日本をここまで正義感や誠実さのない国にしたのではないかとすら思う。
否定すべき立場の人たちがみな責任の及ばないよう曖昧な立場に立つのに対して,嘘を主張する側は必死である。両者の言い分を聞いていると,どうしたって嘘を主張する側の強い主張に自信を感じて引きずられることもあるのではないか。それがまさに今の日本で起きている現象ではないか・・・そんな気すらしてきたのである。
だいぶん話が飛躍し,深入りしすぎた・・・。閑話休題。
さてこの本の後半で,こうしたものを生み出すに至った背景には「東北人の中央政権に対する怨念」というものがあったのではないかと問題提起している。高橋克彦などの本ではよく取り上げられているものである。
単なる事件の事実経緯のレポートに留まらず,その文化的背景にも言及したことで,この本全体,この事件全体がなんとなく東北人の自己主張のようにも感じられた。
安本氏をはじめ関係者の総括も心に残る。
今普天間基地問題が騒がれている。「沖縄県内で仕方ない」という人もや,「自分の住む県に持ってこられてもやむを得ない」と考える人も皆無ではないはずだ。でもそういう人は息を殺し声を殺している。どんな場面にも無言を貫く常識的声(「サイレント・マジョリティ」)はある。上司に異論を唱えられないサラリーマンだって多かろう。真実を叫ぶというのはとても難しいことなのだと改めて感じた。
どうも論点が広がり,この本に書評に留まらず申し訳ない。
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斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』読了。東日流外三郡誌を巡るドラマの迫真のルポ。めちゃくちゃ面白かった!!。その成立過程や背景、特に作中なんども繰り返される「なぜ人々は偽書に惹かれるのか」という問い掛けと東北という土地との関わりが興味深い。超オススメ!!。
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「東日流外三郡誌」は一時期には真書のように取り上げられていたことがあったのを覚えている。ほぼ偽書と固まった後でも、争いが継続しているということで腫れ物のように長い間触れられない存在だった。白黒付けるのに慎重なのは良いが、余計な誤解を広めないうちに決着を付けることも重要だろう。公共報道のあり方にも一石を投じる本だと思う。
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東日流外三郡誌が全くの偽書だとは知りませんでした。私たちのころは教科書にも出てたような・・・?キリストのお墓とかはまあ、男のロマンと思えば楽しめますが、自治体のお金なんかが絡んできてしまうともう笑い話じゃすまないですね。それにしても地方新聞って面白いですね。
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え?ここまで実名だして大丈夫?って心配になるくらい生々しい描写が続く。なんでこんなオッサンにみんな騙されちゃうんだろ?って最後まで疑問が残る。津軽の抑圧された深層心理とか自治体の村おこし的な希求とか本の中でも色々要因探しはされてるものの、やっぱり第三者としては疑問が残ってしまう。でも本としては、登場人物のリアルな情景が描かれていてワイドショー的な要素がありかなり面白い。少々、著者(元新聞記者)の自己顕示が鼻につくとこはあるけど。
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東日流外三郡誌を執念で追いかけて偽書告発していく記者のルポ。
世の中が必要とするから偽書がでるという視点は面白かった。
偽書だと判っているものを延々と追及されて飽きがきた。
現実はドラマティックではなく地味な努力の積み重ねと良くわかり、筆者に敬服。
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読むまでは、中央に虐げられた東北。
青森のアマチュア歴史家(和田喜八朗)がその怨念を晴らすために
でっちあげた偽書と思っていたが、ことはそう単純ではなかった。
和田喜八朗氏はまず青森を東北を騙した。
「はんかくさい」文書やレプリカで。
本書、今年私が読んだものの中ではBest!
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なぜ偽書作成なんていうハイリスク・ローリターンなことをするのか。なぜ一般人だけでなく、専門の研究者までもが偽書を真書だと信じて、それに固執してしまうのか。そのあたりの心の動きが知りたくて、いま読書中。
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まさにオカルト雑誌『月刊ムー』のようだ。
私が『月刊ムー』の定期購読を止めて以降に、大きな動きがあったようです。
真偽論争に決着がつけらた渾身のルポ。
『月刊ムー』でさんざんっぱら取り上げられたのになぁ~…偽書かぁ~…やっぱりね。
間接情報でしか知らなかったけど、実物を見ると、いかにも怪しげだったのかもね。
どうしてみんな騙されたのかな…村興し・町興しのためとか、好奇心とか、功名心とか…弱いところを突かれちゃったんだね。
最初は仲間内でやってたことが、自治体を巻き込んで…日本中、世界中に広まっちゃった。
折りしも、ポストモダン思潮に乗って、裏歴史みたいなものが、流行った。
実物はこんなに怪しげなものだけれども、みんなが惹きつけられたのは、ロマンを投影したからだろうね。
”まつろわぬ民”から見た歴史というものに。正史以外の歴史というものに。
最初から、創作だと発表したら、こんなに話題にならなかっただろうね。盗用・盗作・継ぎ接ぎで出来上がったものだったんだからな。
ネットがない時代に、出し惜しみと小出しという演出というか、求めに応じて創るという状況が、ブレイクさせたんだな…。ある意味スゲー。
ネットがない時代に、青森の片田舎から大ブレイクしたなんて、超スゲーよwww
「竹内文献」キター(・∀・)ー!
これも偽書かぁ~…まぁ、当然だな…これも絡んでくるとは、オカルト業界凄まじき。
オカルト雑誌からまでもネタを拾ってくるとは、まさにマッチポンプですな。
その昔は、『エニグマ』とか、『ムー』と同時代的には、『トワイライトゾーン』とか、版元の新人物往来社なら『AZ』とかありましたが、今は『ムー』が唯一生き残っていますね。だって、面白いんだもん。
偽書とわかっていても、偽書のネタ元に事実が含まれていれば、いつまでもネタになりますよね。
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推理小説のような、追求シーンにはどきどき
しました
人間は不思議を信じたくあり、公的な立場の時は
ソコを踏み越えてはイケナイ最終ラインがある
しかし、欲を捨てきれないために戦後最大の歴史
詐欺に多くの自治体が巻き込まれるのだ
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詐欺師が「学者」と「政府・自治体」を味方に着けてしまえば、無知な一般人は騙されるよりない。原発問題も似た側面がある様に思う。
単純に読み物としても面白く、歴史の不安定さや和田喜八郎という人物、東北のコンプレックスなどについて考えさせられた。
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おそらく戦後最大規模の偽書事件である「東日流外三郡誌」事件に深く関わった著者によるルポ。躍動感あふれる叙述であり、事件当時の青森にいるかのように文章を楽しめる。この偽書事件についてある程度前提知識を持っているとスムーズに読めると思う。