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有名な本ということで読んだ
表現はやっぱり難しかったが、話のオチは知っていたため読みにくいということはあまりなかった
話全体を通してハイド氏の悪そのものの性格、またジーキル博士の悲哀を表現するかのような暗い表現で終始していた
どーでもいいことだが、登場人物が5人ほどで少なかったのに混同してたので、やっぱり人の名前と印象を結びつけるのが苦手なのかもしれない
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ジキルとハイドとはこういうことだったのかぁ。
人間の心とは複雑なもので、決して平面的に見られるものではないってことか。
立体的だから、どこか一カ所の側面ばかりに重心を置いたら転がっちゃう。
その正反対の自分と向き合わないと、バランスがとれない。
善人と悪人は表裏一体かもね。
自分でも信じられないくらいの汚い部分があるから、それを発散させることで善人である自分を保っていられるのね。
つまり善人でいるには、自分の汚い悪人の部分もちゃんと知っておく必要がある。
…じゃあ善人代表のキリストが人間だとしたら、自分の邪悪な側面をしっかりわかってるってこと?そうじゃないとおかしいもんね。人に説法するくらいだし。。。(´ _`)
完全なる善人はオバケだな。
とってもそれが分かりやすくて、同時にミステリーとしてワクワクしながら読めた。
メッセージ性が強い。
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怪事件の結末に向けて頭がグチャグチャした。
ラニヨン医師の死ぬシーンなどは特に薄気味悪かった。
ただ、ジーキル博士の告白するところには、
様々な欲望に葛藤して悶えている姿が、自分も含め、どんな人にもあると思う。
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ずいぶん昔に原書を読んで以来ご無沙汰だったので、和約で読んでみることに。
ハイド氏の狂気やアタスン氏の恐怖や苦悩など、あたかも読み手がハイド氏を目の当たりにしたかのような嫌悪感を抱かせるため、訳者さんが努力されたであろうと感じました。
広く知られる「ジキルとハイド」だからこそ、きちんと読んでおいてよかったと思う作品です。
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『ジキルとハイド』…善と悪、二重人格などなんとなく知ってたけど、改めて物語をちゃんと読んでみた。
印象としては、2つの人格という単純な二面性じゃなくて、ハイド(悪)はジーキル博士(善)が普段は抑えている願望のようで、ある意味ハイドの方が素の人格のようにも思えた。
だからジーキル博士が単純に善に見えなかったし、人ってみんなそういうものかもしれないなぁと。
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もはや有名すぎて読む人が少ないと前書きに書かれている通り、私も名前とあらすじしか知らなかったので読んでみました。
一章読んだら眠れなくなるほど、続きが気になります。
短編なのですぐ読めるため、時間がない人も是非読んでみてください。
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タイトルをワードとしてはよく耳にするものの、原作を読んだことがなかったので読んでみようと手に取った。物語は長くはないが、濃度の高いものだった。誰しもが自身の中に二面性(ないしは多面性)を感じることがあると思うが、それを分離しようと思うに至り、かつそれを実現する薬を見つけたジーキル博士は確かに狂気じみていたのかもしれない、一方でとても現実的にも感じられた。薬は決して魔法の薬ではなかった。二面性の分離は長くは続かない。切り離すのではなく、きちんとしたコントロールの下、どう折り合いをつけて生きていくのかということを考えさせられた。
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名作ブンガク
かかった時間120分くらいか
文学のほうが新書より時間がかかる。
名作だが童話バージョンしか読んだことがなかった本作品については、以前「フランケンシュタイン」をよんだ時から、関連作品として興味をもっていた。
あらすじは言うまでもないが、名士で知られるジーキル博士が、自身の二面性と肉体の可変性を医学的に研究し、ついに自身のもうひとつの人格を肉体として発言させることに成功したものの、最後にはそのもうひとつの人格に肉体?人生?を乗っ取られてしまい、破滅に至る物語である。
読んでいて、たしかに「フランケンシュタイン」と同じように、科学(医学)の可能性への憧憬と恐れがおこりはじめたこの時代に(1800年代)、おそらくそれよりずっと昔から人間が持っていた二面性問題が結びついたのだと思えた。そして、「フランケンシュタイン」と同じく、事件は基本的に、全体の視点人物に?語り手?によっては目撃されない。常に伝聞が先行し、その伝聞によってますます恐怖めいたものと好奇心が、視点人物にも読者にも育っていく。そして、最後には事件の全貌を記した手紙が示される。
なんというか、高校生の時に「山月記」を読んだが、非常に似通った作品であると思う。「山月記」の方は異形の身になった理由は「薬品」などというわかりやすいものではないが、いずれも変身の理由を自身の内面に帰している。(かつての)親友が異形になった主人公にアクセスして語りを聴く。そして、主人公の「人間」としての最後を見届けるのだ。
こういうふうに考えると、この作品はいろいろなつながりをもった作品だとわかる。同じく高校生で読んだ「舞姫」における、自己の二面性への悔恨を含めた言及もそうだし、カフカ「変身」では変身がより不条理な形で描かれる。そもそも「自身の中の悪い心によって、姿が変えられてしまう」というのは、ミダス王をはじめとして古今東西でみられるモチーフだ。手紙の一方通行性(しかも死者からの)は「こころ」も同じだし、恐怖や怪奇のみが示されて謎が深まるのは探偵小説さながらだ。
なんていうか、こういうことをここに書くのも恥ずかしいのだが、イギリス文学ってすごい。シェイクスピアもそうだけど、ちょっとしばらく気にしてみたい。
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善悪の価値観に関する物語。
人間の本性は善悪どちらなのか?
完全なる善人がほとんどいないように、完全なる悪人もほとんどいない。
そもそも善悪という観念はいつ生まれたのだろうか?
人間の原始状態では善悪という観念はなかったというのが、ルソーの主張だ。
言語、想像力、テクノロジーが生まれてくる前、
人間が家を作り家族構成を構築する前には善悪などはなかったのではないか。
はるか昔に想いを馳せる物語。
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ジキルとハイドというと名前は知ってるけど、実際に何をやったんだっけ?てな感じになる。ヘンゼルとグレーテルくらいどっちがどっちか分からん。これがウサギとカメくらい役割分担が分かりやすければね。
ということでどっちが悪者だって話になって、ハイド氏だった。それを覚えただけでもちょっとは脳のしわが増えたかな。
ところで一面が隙間なく壁になっていて、裏がどこに繋がってるか分からん、みたいな街並みってちょっと楽しそうよね。今は消防法とかひっかりそうだけど、石造りならOKかな?ロンドン侮れんわ。
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魂の形で体はできていて、魂が分離することで身体が変化するという表現が面白かった。完全な悪はかつて存在したことがない。分離前の自分が悪に喰われていくのが哀しい。
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二面性を示す常套句としてよく目にするが、実際どんな話か知らなかった。読んでみるとやはり二面性の話である。
人が死ぬミステリーの種明かし的なものが、変身薬を飲んで潜んでいた悪に身も心も侵食されていくというファンタジーだったのも意外と面白かった。博士の家の表と裏の戸口、どちらを使うかも二面性を表しており、それに気づくと物語そうそうで女児を踏みつけた男というのは博士であると気づけたはずだ。後になって気付いたため悔しくも、面白かった。
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知ってるけど読んだことない本。
なんとなくその気になって読んでみたら、面白くってあっという間に読んでしまった。
それにしても有名小説の功罪だと思うけど、どういう話か知った上で読むから、驚きが少ない。
これ、当時何も知らないで読んだ人たちは「なんと!」とそのどんでん返しに驚いただろうな。
まさか、おんなじ人やなんて、想像もつかないだろう。
きっといろんな物語が、この「ジーキル墓博士とハイド氏」にインスピレーションをもらっているはず。
様々な文学作品の中に、かけらとなって、脈々と生き続けてる、そんな原典という感じです。
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有名な話だけに、大元を読むといろいろ改変される前の作者が伝えたかった部分のようなものが見えてとてもよかった。ハイド氏が猿のような怪物ではなくジキル博士よりもずっと歳若く小柄、というあたり、己のネガティブな部分にできるだけ力を与えないようにして生きてきたジキル博士の誠実な性格が出ている。
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ジキルとハイドの死が同時発生なの、当然といえば当然だけどめちゃくちゃいいなと思う
自分の願望は託せない