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50年ほど前、昭和29年に出された本が、少しアレンジされて文庫化されたもの。
こういう古いものは、内田百閒と大佛次郎は持っていて読んでいて、好きなのだけど・・・・・・。
この本は、ちょっと好きになれない。
文体が古いので読みにくさもあるけれど、猫への接し方や何かが、裏表紙にあるような「猫を愛した作家たち」って感じが、現代の感覚では、そうとは感じられないものが結構ある。
昔はそれが普通だったんだろうけど、仔猫を‘始末した’とかいうことがもう凄く嫌で(死んじゃった子はともかく、飼えないからという理由)、そういう嫌な部分の印象が残ってしまって、また読みたいとは感じない。
大佛次郎のや、文庫化に際し追加された最後の詩は好き。
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猫文学史(あるのか)に残る名アンソロジー!
ほろりとしたり笑ったり、しかし背景にあるのは猫と人間と戦争の話でもある。
なにげなく猫が隣にいる生活のなんと泰平なことよ。
「月が冴えて風の静かな此頃の秋の夜に、三毛と玉とは縁側の踏台になつて居る木の切株の上に並んで背中を丸くして行儀よく坐って居る。そしてひっそりと静まりかへつて月光の庭を眺めて居る。それをじつと見て居ると何となしに幽寂といったやうな感じが胸にしみる。そしてふだんの猫とちがって、人間の心で測り知られぬ別の世界から来て居るもののやうな気のする事がある。此のやうな心持は恐らく他の家畜に対しては起こらないのかも知れない」
寺田寅彦
「猫」
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13人からなる「猫」に関するエッセイ(や、物語)。猫好きにはたまりませんが、昔と今では猫に関する考え方や接し方もまた、社会的ありようも変わったなと考えさせられたりもします。
●私は猫に対して感ずるような純粋な温かい感情を人間に対して懐く事の出来ないのを残念に思ふ。さういう事が可能になる為には私は人間より一段高い存在になる必要があるかも知れない。それはとても出来さうもないし、仮りにそれが出来たとした時に私は恐らく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私は矢張子猫でも可愛がって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れ憚り或は憎むより外はないかも知れない。(「子猫」寺田寅彦より)
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部屋の隅で縮こまって、この本を読んでいると、猫になりたい、と思えた。
どんな猫も例外なく気分屋で、身軽で、甘え上手だという事を、この本で知ったから。
それにしても、いくら驚いたからって、猫が「南無三宝!」と叫ぶのかどうか。
MVP:お軽
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入院初日、寝付けないので、夜中に読んでいた。
昔の感じ、いいねえ。しかし相手が猫になると、みんななんで素になっちゃうんだろうね。
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猫にまつわるお話ばかりを集めた1冊。
最後の、柳田國男さんの作品だけがこの本の他の編の中で異色な感じでした。
当たり前だけど、今も昔も猫は猫なのだなぁと思いながら読み終わりました。
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なんか、昔の猫はのどかな感じがしていいですな。
普通に子を産み、家に居つく。余計な世話も主人はしない。
こんくらいの距離感で猫を飼いたいものですな。
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ヴィレッジヴァンガードで見つけて即購入。
猫好きにはすごく楽しめる本だった。谷崎潤一郎の「ねこ 猫―マイペット 客ぎらひ」での泉鏡花が面白い。泉鏡花って犬嫌いだったのかぁ。
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クラフト・エヴィング商會の編集・装丁なので手に取る。
小説家・洋画家など文化人たちの猫エッセイ。ううーむ、昔も今も、猫にまつわる話は尽きないね。
人間と猫の関係は切っても切れないのだな。
正直にいえば、やはり古い文体なため読みづらく、何の変哲のない話もあるためぐいぐい引き込まれるというところまではいかない。
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ねこという生き物を本当にわかって可愛がるひとは少ないとおもう。
小説を読んだり映画を観たりして流す涙はほんとうの涙ではない。涙でどれだけ心がキレイになったように感じられても、あなたはまだ優しくはない。ねこの眼差しはそういうことを言っている。
にゃんこ。
ねこと暮らす人間はすでに自然のうちに身を置く義務がある。
たとえば可愛がっていた野良のメスねこが忽然と来なくなってしまった、とおもったら数日後、わらわらと小さいのを連れて家に来ることがある。
ねこは年に3度は仔を産む。今のように安全に避妊手術などできなかった時代、いくら可愛くとも全ての仔を親ねこと変わりなく育ててやり、里親に出してやることができるかどうか。
そうなると生まれてからすぐ、体の弱そうなものは間引いてしまうことになる。
これを人間のエゴというならば、われわれはねこと暮らすことが許されていないのだろうか?
謙虚な人間はそうするかもしれない。
ただ、それでもねこはわたしたちの周りに居続けるのである。
にゃんこ。
わたしたちはあらゆる見たくないものから逃れることができない。
命が重くとも背負わなければならない。
雨が冷たくとも、濡れながら待たなければならない。
にゃんこ。
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猫好きには堪らない一冊です。今まで敬遠しがちだった作家の方の愛猫家ぶりに(自分の中で)身近になった気がします。坂西志保さんがお気に入りです。
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こんな作家がこんなエッセイを書いていたのか、と面白く読みました。動物文学で猫について書かれたものは、シートンの「裏町のキティ」しか記憶になかったけれど、こんなに猫エッセイが昔からあったのか、と。
猫の僕になっている人もいれば、今の猫飼いの常識で言ったら目をむいて倒れそうな飼い方をされていたりもするけれど、それぞれの猫観が表れていて、ついあるある、とニヤニヤしてしまいます。
私事だけれど、どうやら私は昭和の文章が好きなんだな、と言うのも発見。と、言っても一番気に入った寺田寅彦の文章は大正のものだけれど。
子供の頃、図書館の棚の動物文学、動物関係の本ばかり読んでいて、その頃読んでいたものはそれより前、きっと昭和の前半に書かれたもので。
そういう香りがするものが好きなのかも。
クラフト・エヴィング商會からは「犬」という本も出ているらしいので、それも読んでみたいな。
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タイトルの通り猫の本。
時代は昭和初期や戦時戦後。
どの時代も猫を愛する人たちがいて、きままな猫に振り回されるのを楽しんでいるようだ。
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著者たちと猫の距離感が心地いい。どの時代にも猫に飼われる人間はいるのだなぁ。
個人的に坂西志保と寺田寅彦がお気に入り。
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猫についての短編集。
有馬頼義、猪熊弦一郎、井伏鱒二、大仏次郎、尾高京子、坂西志保、瀧井幸作、谷崎潤一郎、壺井榮、寺田寅彦、柳田國男各氏が書いた、猫にまつわる話。
昭和30年に発行されたものを、クラフト・エヴィング商會の1編を加えて、文庫化されたものです。
戦後すぐのころの、猫についてのとらえようも、新鮮でした。