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新刊を乱読した為に旧版の本書を読み返す。
主に内容の中心は戦国時代から江戸時代に至る日本と世界情勢の関わりだが、やはり鎖国策に導いたウィリアム・アダムスの影響であったりシーボルトの存在、オランダという国の存在意義が非常に大事になってくる。
イエズス会の侵略目的を家康に説いたウィリアム・アダムスはオランダ東インド会社の人間であり、オランダとイギリスはスペインと90年に及ぶ戦争を繰り広げていた。スペイン領のマニラにはスペイン艦隊が控えていて日本におけるキリシタン大名や堺の豪商たちによる内乱につけ込んで艦隊を派遣させる用意があった。
シーボルトは自らの弟子達に日本内部についての論文を書かせ、自国オランダへ引き返す際に日本のありとあらゆる品々を持ち帰り、自国内や白人世界においては日本の専門家として情報を売買させた。
戦国時代から江戸時代について記される一書として最高峰の内容。
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以前にこの本の著者である副島氏の「属国・日本論」を読んだことがありまして、手に取って読んでみましたが、興味を持って読めたのは近代史における日本と欧州との関係を解説してくれていた点でした。
普段は多くの経済の解説をされている副島氏による、政治学に関する本は興味深く読ませてもらいました。田中角栄についてのイメージは報道を通じて私が持っていたものと比較して異なるものがありました。
一例として、国際連合は「連合諸国」と訳すべき(p200)ということを知っていれば、日本が常任理事国になるのは不可能であると理解できると思いました。また、今まで学校で習ってきた世界史は「なんだったのだろう」と10章を読んで思いました。
以下は気になったポイントです。
・伊能忠敬の作成した地図(当時の最大の戦略情報)を、自分の帰国の際に秘かに国外に持ち出そうとして発覚したのが、シーボルト事件(1828)である(p81)
・欧米の支配人制度は、古くはローマ帝国の、貴族たちの大奴隷制度による農場経営から生じている、奴隷頭として奴隷たちの管理を任された者が、フォアマン(奴隷頭)で、奴隷制大農場の経営自体をイギリス貴族から任されたのがマネージャー(支配人)である(p95)
・アメリカ独立後にイギリス資本からの支配から脱却してアメリカ人自身による企業支配が確立できたのは1920年代であった、それまではイギリス人(貴族)に雇われたアメリカ人によって経営が行われていた(p96)
・日本の企業は外側からの大株主の眼で監視できない理由は、日本の会社が運命共同体だから(p98)
・新井白石は、約20年に一度、朝鮮からやってくる朝鮮使節に対して、対等な立場で使者を迎えるように制度を改めて、幕府内で認められて150石の加増となった(p139)
・信長を暗殺襲撃したとされる明智光秀の背後には、公家や足利幕府の御家人だけでなく、豊臣秀吉も含まれていた、徳川家康はのちに豊臣家を滅亡させる大義名分として、「主君殺しへの加担の罪」を理由にしている(p140)
・平清盛や足利義満は、通貨発行権を握っていた、武家権力が、中華帝国の信用力と後押しと承認によって正当化していたことを意味する(p156)
・江戸時代の終わりまで、日本人の儒学者の知識人たちは、ずっと自分の中国名を持っていた(p157)
・1920年代に、アメリカの民族資本がイギリス支配から自立した、代表的なものとして、ロックフェラー、モルガン、カーネギー、ヴァンダービルド、グールド、スタンフォード家等である、それ以上に古い名家として、セジウィック家とド・フォレスト家がアメリカ東部の最高の名家(p162)
・東京裁判は2つのポイント(戦争開始の責任、人道に対する罪)で裁かれた、人道に対する罪は、日本軍占領地域での、捕虜や現地住民に対する個々の虐待行為を立証することで裁いたのであり、各戦線での戦闘行為を裁いたものではない(p176)
・今の国際連合は、日本語としては「連合諸国」と訳すべき、もともと日本とドイツ��イタリアの三国同盟を打倒するためにできた連合諸国が戦後も続いたものである(p200)
・田中角栄が倒された理由は、1)アメリカ政府の許可をとらずに中国にわたって日中国交回復(戦争賠償問題の解決も含んでいて、平和条約に準ずるもの)をしたこと、2)インドネシアのスハルト政権と直接、石油の安定協定を締結したことである(p207)
・田中角栄は彼の年間政治資金(数百億円)のうちの5億円をロッキード社から賄賂を受け取っているが、当時はオランダやイギリスの首相、ニクソン大統領にも賄賂や手数料が渡っていることが判明しているが、日本では報道されない(p208)
・アメリカではビジネススクール熱も醒めてきた、アメリカの産業界をダメにしたのは「ハーバード・ビジネススクール」であることを本物の実業家たちが気づき始めたから(p246)
・1543年の鉄砲伝来は、欧州から見れば「日本発見」ということになる、コロンブスが1492年にアメリカを発見したのと同じ(p252)
・日本にキリスト教を伝えた「イエズス会」は、ローマ・カトリック教会内部では少し独立した立場にある、南ドイツを強固な地盤としていて、北ドイツのルター派の宗教改革の嵐を止めるための宗教軍団(p254)
・リーフデ号でウィリアム・アダムズが日本に漂着した時のオランダ(商業で栄えた100以上の都市からなる連合体)は、ハプスブルク家の所領だったのでスペイン国王の領土であったが、1568~1648年までは独立革命戦争をしていた、その時にオランダンの商船が日本に来ていた(p261)
・イギリスが1588年にスペインの無敵艦隊を破ってから、制海権をスペインから奪い取るのに、このあと更に100年かかっている(p265)
・鎖国をしなければ、有力キリシタン大名と、堺港の豪商たちのもつ、当時最も進んだ経済力、軍事力、経済力によって、日本の徳川政権は打倒されていた可能性がある(p272)
・スペイン帝国が17.18世紀の間中、ずっとイギリスを抑えて世界覇権国でありえたのは、ペルーのクスコ銀山の銀(当時はゴールドよりも高価)であった、欧州全体の9割はクスコ銀山から運んできたもの(p283)
・アメリカは先端をいくエレクトロニクス系の技術に興味を示している、例として、大日本印刷が開発したレーダーに映らない特殊スクリーン、ミネベアがもつ真球ベアリング、マブチモーターの超小型モータ等(p309)
・オランダとイギリスのオランダ独立後(1648)の関係は、現在の日本とアメリカの関係に似ている、イギリスは穀物法や航海条例をだして国内企業を保護した、戦争(政治)では勝っても経済で負けた(p344)
・オランダ総督(ウィリアム3世)は、1688年に2万の兵を率いてイギリスへ上陸して、ジェームズ2世を追放して、自らがイギリス国王になった、これを名誉革命という(p349)
・イギリスがどんなにオランダに戦争をしかけて勝利しても決定的な勝利は得られなかった、オランダ商人の多くがイギリス国籍であり、イギリスの船にオランダから多くの投資がされていたから(p359)
2011年10月15日作成
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アメリカ人は、日本、これまでに二度、丸裸にしている。
だから、日本に対して、何の幻想も持っていない。27
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十九五〇年に始まり、十九九一年に終わった、四十年つづいた核兵器均衡の上に成り立っていた、この「非政治の世界」が終わり、今や、この地上に、本当の政治の時代がやって来たのである。45
もはや、消滅した。日本は、ソビエト・カードを失ったのだ。149
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全ての人が偽りではなく、正しく「名」を使う政治社会の秩序を作ること、これが「政治」だ、と言っているのである。57
「名」と「実」とが、ずれるということは、世界がずれる、ということだ。58
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日本人が、西欧近代に立ち向かうために初めて作った「政治のコトバ」こそは、まさしく「国体」であったのだ。67
討幕運動の行動規範の素になった思想は、吉田松陰によって「宣言」(マニフェスト)されたのである。
彼らの頭の中には、彼らを共通に支える新国家イメージが完成していたのであり、彼らの「エートス」は、出来上がっていたからである。
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文化的・技術的・思想的に遅れている国は、進んだ国から見れば、みっともないぐらいに行動が丸見えになるということがある。308
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なぜ、ロシア知識人は根絶やしにされたか333
「財産権」と「自由権」は、そもそも誕生の時から合体して不可分のものなのである。334
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