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現代数学に偉大な業績を残している大数学者たちの華麗なようであり、壮絶なようである人生を見事に描いていると思います。ドイツ語、フランス語、英語の原典に基づくというところがすごい。「天才か狂人か」というのは「どちらか」だけでなく、「どちらも」もあり得る(論理学で言うORのつもり)と思ってしまうエピソードも書かれています。各数学者の研究スタイルもすごいのですが、印象に残ったのは、ガウスの「恋ぶみ」。すごくピュアでストレート。
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ガウス◆コーシー◆アーベル◆ガロア◆ヴァイエルシュトラス◆リーマン
著者:小堀憲、1904福井県-1992、数学者、京都帝国大学卒、元京都大学教授
解説:加藤文元、京都大学大学院理学研究科准教授
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ガウス、コーシー、アーベル、ガロア、ヴァイアシュトラス、リーマンという6人の数学者の生涯を簡潔に紹介している本です。
かつてこの本に数学を志す多くの若者たちに感動を与えたとのことですが、天才と呼ばれる数学者たちが不遇の中でも数学の世界に魅了されていったことが生き生きと描き出されており、数学に縁がない読者でも、伝記のおもしろさを十分に味わうことができる内容になっていると思います。
ただし、いわゆる科学者の成功物語というテンプレートにのっとって書かれている本なので、たとえばブルアなどエディンバラ学派に代表される数学の社会学に関心のある、ある意味でひねくれた読者にとっては、もの足りないかもしれません。
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1832年5月29日夜、刻一刻と迫る決闘の瞬間に追い立てられながら、2篇の論文を書き残したエヴァリスト・ガロア。凶弾に斃れ死を悟った彼は、「僕は、20歳で死ぬためには、あらんかぎりの勇気を奮ったのだよ」とつぶやいたという。しかし彼の遺した方程式論は、その後"ガロア理論"として大発展することになる-。激動の19世紀に、二十代で不朽の業績を挙げた大数学者たちにはそれぞれの劇的な生涯があった。ガロアのほか、ガウス、コーシー、アーベル、ヴァイエルシュトラス、リーマンを軸に現代数学誕生夜話をドラマチックに描き、多くの若者に夢と勇気を与えてきた名著。
本書でピックアップされた19世紀に生きた6人の数学者の功績は計り知れない。
まず口火を切ったのが、ガウス(78歳没)とコーシー(68歳)、さらに飛躍させたのは短命だったガロア(20歳)とアーベル(26歳)だったが不運にも同時代では認められず、彼らの遺産を引き継いだのがヴァイエルシュトラス(82歳)とリーマン(40歳)であった。
激動の時代背景もあり、彼らが平穏に研究活動に没頭できたわけではなく、むしろ多くの時間を数学とは関係のない分野で浪費せざるを得なかった。が、理解ある援助者によって、彼らの才能は見いだされ、彼らもその期待にそえるよう努力した。決闘による死というガロアなどは、20歳ですでに「時間がない」という言葉を残す。彼らが残した手紙などから6人の数学者の素顔に迫る力作です。
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年4月30日 - 1855年2月23日)は、ドイツの数学者、天文学者、物理学者である。彼の研究は広範囲に及んでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも、彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。19世紀最大の数学者の一人であり、18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある。
オーギュスタン=ルイ・コーシー(1789年8月21日 - 1857年5月23日)はフランスの数学者。解析学の分野に対する多大な貢献から「フランスのガウス」と呼ばれることもある。これは両者がともに数学の厳密主義の開始者であった事にも関係する。他に天文学、光学、流体力学などへの貢献も多い。
エヴァリスト・ガロア(1811年10月25日 - 1832年5月31日)は、フランスの数学者および革命家である。代数学で重要な役割を果たすガロア理論は、現代数学の扉を開くとともに、20世紀、21世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えている。しかし、ガロアの業績の真実と重要性、先見性は当時世界最高の研究機関であったパリ科学アカデミーを初め、カール・ガウスやオーギュスタン・コーシー、カール・ヤコビと言った歴史に名を残した同時代の大数学者達にさえ理解されず、生前に評価されることはなかった。群論の基礎概念とも言える集合論がゲオルク・カントールによって提唱され、ガロア理論へと通じる数学領域が構築されるのでさえ、ガロアによるガロア理論構築の50年も後のことである。
ニールス・ヘンリック・アーベル(1802年8月5日 - 1829年4月6日)はノルウェーの数学者である。ヤコビやルジャンドルはアーベルの業績を認めていたが、ガウスはアーベルの研究論文に不快感を示し、コーシーは彼の論文をまともに審査しないまま放置するなど、アーベルには正当な評価が与えられなかった。帰国後はクリスチャニア大学に臨時講師を勤めたが、病気(結核及び併発した肝機能障害)のために26歳で世を去った。
しかし、彼が当時世界最高レベルといわれた数学の総本山パリ科学アカデミーへ提出した「超越関数の中の非常に拡張されたものの一般的な性質に関する論文」こそ、のちに“青銅よりも永続する記念碑”と謳われ、後代の数学者に500年分の仕事を残してくれたとまで言われた不滅の大論文だった。方程式が可解であるための条件を明らかにしたガロアとともに、若くして悲劇的な死をとげた19世紀の数学者として広く知られている。
カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラス(1815年10月31日 – 1897年2月19日)は、ドイツの数学者である。とくにリーマンとともに複素解析の研究を進めたのは有名であり、リーマンが直感的方法を好んだのに対してワイエルシュトラスは厳密な解析的手法を好んだとされる。いたるところ微分不能な連続関数の具体例を示し、実解析においてもその名を轟かし、極小曲面の理論で幾何学にも業績がある。
ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン(1826年9月17日 - 1866年7月20日)は、ドイツの数学者。解析学、幾何学、数論の分野で業績を上げた。アーベル関数に関する研究によって当時の数学者から高く評価されたが、先駆的な彼の研究は十分に理解されず、20世紀になって彼のそれぞれの研究分野で再評価されるようになった。1854年の教授資格講演「幾何学の基礎にある仮説について」では、初めて多様体の概念を導入して、リーマン幾何学を確立した。これは後にアルベルト・アインシュタインによって一般相対性理論に応用されている。
リーマンが当時の数学者によって高く評価されたのは、学位論文の続編となる1857年の論文「アーベル関数の理論」によるところが大きい。この論文で、彼は楕円関数論での未解決問題であったヤコービの逆問題を解決し、アーベル関数論を完成させた。リーマンは楕円型偏微分方程式によるモジュライの理論の研究の先駆者となり、双有理同値、ヤコビ多様体、テータ関数論などの研究はその後の代数幾何学の研究の端緒となった。
三角級数による表現に関する論文では、リーマン積分の概念を提示することで、実解析の基礎づけに寄与した。数論については1859年の論文「与えられた数より小さい素数の個数について」が唯一の論文であるが、彼の複素解析の方法の一つの応用である。ゼータ関数についてのリーマン予想を述べ、解析的整数論の重要論文の一つとなった。この予想は21世紀になっても重要な未解決問題の一つとなっている。
リーマン自身は自分の数学理論を物理学に応用したいと考えていたが、彼は準備していた研究を生前に公表するには至らなかった。