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ナチスの話と自分の話とステラの話が脈絡なく入り混じって散漫な印象。
ナチスやステラに話が飛ぶだけで基本的には自伝なんだろうと思う。
自分目線でしかないから。
何度か話したことがあるだけの知人を「僕のステラ」と呼ぶ自意識がものすごく気持ち悪い。
生き残った人や生き残れなかった人への断罪も、そこにいなかったからこそ言えることだ。
文章の全体が色んなヘイトに満ちている。
ユダヤ人への、ドイツ人への、女性への、共産主義者への。
筆者が悪意を向けているというよりは、素直に飲み込んできた悪意が呼気に混じって腐臭を放つイメージ。
それはこの人のせいだけじゃないんだけど、生まれた場所や時代や書いた時の年齢をさしひいても酷い。
ただ、そこにいなかったこと(運や財力や決断力のある親の元に生まれるという幸運に恵まれただけで生き残ったこと)への罪悪感をぶつけている部分もありそうな気はする。
完全無欠の潔白な犠牲者を求める気持ちが自分にもあることを思い知らされてぞっとする。
そこにいた人たちを裁く権利が筆者にないように、筆者に美しさを求めるなんてことを時代も場所も無関係な私がしてはいけないというのに。
訳がひどい。文章的にもひどいけど、ヘイトを補強するような言葉の選び方が最悪。
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戦争は人を崩壊させるが、こうやってでも生き延びるしかなかったんだろうな。戦後、彼女はユダヤ人としてどのように生きたのだろうか。ユダヤ人に見えない容貌だったからだろう。
ゲシュタポに協力して、同胞のユダヤ人を密告する生活なんて、まるで小説のような世界だが、実話だ。
ステラはユダヤ人であることが忌まわしかった。ユダヤ人としてアイデンティティを打ち消したかった。
ナチスはユダヤ人の大量流出を儲かる商売にもしていた。帝国逃亡税を取った。
アメリカは忌々しいナチスよりも罪深い、とステラは後年言い続けた。ユダヤ人脱出に直面して難民受け入れの扉をぴしゃりと閉じてしまった。
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内容はすごいセンセーショナルなんだけれど、今ひとつ共感をもてないのはなんとなく一方的な見方、つまりは被害者としての視点しかないような気がするからなのかも。被害に合った人がそう見てしまうのは当然としても、筆者は(たとえ親戚知人に彼女に売られた者がいたのだとしても)もっと冷めた第三者な目で捉えるべきなんじゃないだろうか。
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ナチスによるユダヤ人大量虐殺。
本書はそのナチスの秘密警察ゲシュタポの為、自分と同じユダヤ人を"狩った"一人のユダヤ人女性、ステラ・ゴルドシュラークの戦前、戦中、戦後における人生を、当時ユダヤ人が置かれていた状況を踏まえながら記しています。
本書に記されているユダヤ人の姿は様々で、例えば
・巧みにその正体を隠して生き延びた
・捕らわれ、収容所送りとなった
・同じユダヤ人を食い物にし、自己の利益を図った
・ステラの様にナチスの手足になった
等が記されています。
特にナチスと関わりを持ったユダヤ人の姿が詳細に記されており、
ナチスの前では同じユダヤ人に過ぎないにも関わらず、自分と同じユダヤ人狩に熱中している姿や
生き残る為にハンターになったにも関わらず、強制収容所送りになった者、
そして第1次世界大戦で武勲を挙げたユダヤ人の親衛隊や他のユダヤ人との善悪が混在した関係
等、戦争と平和においてはその善悪が異なる様子が描かれていました。
読了後、「したいと望まなければ間違った事をせずとも良いのは、それだけで幸せ」と気付くと共に、世界各国がユダヤ人にビザを発行しなかったばかりに彼らが逃げ道を失った事も踏まえ、法と善悪について今まで以上に考える良い切っ掛けとなりました。
当時の状況について知識を深めるとともに、ただ悲惨な出来事があったと言う認識の先にある視点で、この出来事を考え始めさせてくれる本です。
お時間のある時にでも是非一読を。