投稿元:
レビューを見る
インターネットというか、プラットフォームレイヤー(Googleやyahoo,Facebookなど)が、コンテンツレイヤーがこれまで築いてきた垂直統合型ビジネスを、無料ビジネスによって破壊した。そしてプラットフォームレイヤーにはほとんど米国企業しかいない。
コンテンツレイヤーのビジネスモデルの崩壊によって、新聞社や音楽業界など、今や斜陽産業と化した。岸さんの一番大きな主張としては、それらがもたらしたのは、”文化”と”ジャーナリズム”の衰退であり、それらの対応を急務にすべきというもの。注目したいのは、低下したのは”ユーザにとってのコンテンツの価値”であり”社会にとってのコンテンツの価値”は変わっていない、ということです。コンテンツは文化を形成するものであり、社会にとっての文化の重要性が不変である以上、特にプロが制作するコンテンツの社会にとっての価値も変わっていないはずということ。これらのことは常に意識していたいなと感じました。
岸さんの文章はとても読みやすくて、すっきり頭に入ってきた印象を受けました。
投稿元:
レビューを見る
-2012/01/01 元経産省キャリアだけにネット問題に対する造形が深く、小泉おろしの恨み骨頂。本人には平易な文章でも一般人にとってはやや難解である。クラウドに限らずネット情報のネックは完全にアメリカに牛耳られている。豊かさの基本が、物から情報に移りつつある。
投稿元:
レビューを見る
今の状況を何とかせにゃあかん。危機感だけが煽られた。
今日もYahoo!にGoogle、YouTube、Wikipedia、Amazonを使ってしまった。気付かぬ内に米国企業にお世話になっている。
投稿元:
レビューを見る
グーグルやヤフーなどのプラットフォームレイヤーがアメリカに独占されることになった結果、ジャーナリズムや文化が衰退の危機に瀕しているという論。まず搾取という言葉自体が20世紀的で、現代社会の枠組みの捉え方として弱い。
また、ネットの強大なインパクはまだ始まったところで、これからどういう展開を見せるかも分からない。ニュースコンテンツの無料化により、新聞社などの広告収入が減り、ジャーナリズムが衰退するという危惧も、現状のマスゴミのお粗末さを鑑みるとそれほどの影響はないと考えられるし、むしろ一掃されて本物のジャーナリズムの到来を期待したくなる。
本、音楽などの文化も衰退すると言っているが、実際のところコピー可能な文化は衰退が運命である。音楽が違法ダウンロードにより、著作権収入が少なくなり、優れた音楽が作られなくなることを懸念するが、ぶっちゃけ言えば「たかが音楽」である。儲からないから衰退する文化ならそれまでの文化と言うことだろ。
本も音楽と同様のことが起きるかもしれない。正直、くだらない本が少なくなることは大いに歓迎したい。それは脇におくことにして。著者はネットの普及によりコンテンツが無料化される流れを心配しているが、むしろ本質は既存の硬直化した流通構造により過分な利益(マージン)を取ってきた仕組みが崩れたことにある。
音楽もそうだが、消費者が金を払っているのはコンテンツに対してのみである。そこに流通マージンが入っていたとしても、消費者は流通コストと認識して払っているわけではない。本などの印税はおよそ定価の10~20%とすると、のこりは全て流通マージンである。アマゾンはこの流通構造を中抜きにすることによって、送料を無料にしても儲かる仕組みを利用している。
流通コストが格段に安くなる時代では、価格に占めるコンテンツ料率は少なくとも90%以上になるだろう。1000円の本なら印税は200円くらいだが、これが流通抵抗係数0では印税額はそのままで本の料金は210円くらいが適当である。特に流通コストにくわえ電子書籍の普及により、発行コスト、在庫コストがほぼ0になる状況ではなおさらである。コピーフリーでも200円なら本を買う人はいまよりかなり増えるだろう。そうなると割を食うのは流通業者と出版社ということになるが、これは時代の趨勢で当たり前である。今までが動脈硬化した流通構造に乗って甘い汁を吸いすぎただけなのである。
またネットの普及により無料が当たり前になったと著者は主張するが、それも疑わしい。すでに月500円くらいの料金なら払ってもいいという意識も芽ばえ始めている。それはニコ動などに代表される。無料のものが溢れ出る中で、以前はどんぐりの背比べに過ぎなかったわずかな差異が価値を持つようになってきている。コンテンツが優れたものであるかどうかももちろん重要であるが、それよりもそのコンテンツが唯一無二性を持つかどうかで料金を払うかどうかを決定するようになっている。
多分にマニア的、おたく的要素を持ち、一つのコンテンツにそれほど大量の購買者がある訳ではないだろうが、ネット普及前でも値がつかなかったコンテンツに値がつくようになる可能性が高くなったと言うことで、これはこれで文化の創造、成長と言えなくもない。
だから文化の衰退と言うが、正確にはマス(大勢)が共有できるコンテンツにはカネを払いたくはないが、ミニ(少数)しか共有できない、してないコンテンツにはカネを払ってでも得たいというのがネット文化の流れであると言える。
投稿元:
レビューを見る
現在のWebメディアを支えている技術がアメリカ主導であるということをシンプルに学ぶことが出来る。日本の現状に対する処方箋はもう少し強めに出しても良かったのではないか。せっかく政策立案の現場にもいた人なのだからそのへんを赤裸々に書いたほうが伝わるものはあると思う。本人もそっちが書きたかったんだろうし。
投稿元:
レビューを見る
ネット産業の政策立案の立場に居た方と推測する。やはり自分の責任で売上・利益を追求する立場に追い込まれた事がない、方であろう。
自国産業からの調達を優先する政府など当たり前。自分だって以前は同じだったのではないか。逆に特に旧通産系の支援で起きたIT産業の例を教えて欲しい。大体が民間が起こしたものだろう。
ネット帝国主義としてクレームするならインターネットという仕組み自体を使わずに済むような画期的なコミュニケーションのツールを役人時代に作り出して欲しかった。なぜ覇権が成立してしまうのか、の理解が一番求められるものだろう。
それはいいものを作ったからである。それは賢い人間をアメリカが、或いはシリコンバレーが集めたからである。
役人より賢い人間に金を付ける仕組みがあるからである。
以上の因果をつい辿ってしまう、読後であった。
投稿元:
レビューを見る
著者は、コンテンツの「作り手」に対して、
その見返りが十分に回らず、
プラットフォームレイヤー
(Googleとかfacebookとか)のみに、
超過利潤がまわることを危惧しています。
そこから、アメリカ以外のジャーナリズムや文化が、
衰退してしまうのではないか?
という主張を展開されています。
かといって「既存メディア」が、
そのまますなわち、「社会的価値」に
なるということも述べていません。
著者は、「既存メディア」に補助金や法的保護を
持ち出すことについては賛成する気は、
さらさらなさそうです。
本書の問題意識を、かいつまんでいうと、
コンテンツの「お代」はどうするのか?
ということです。
http://a-e-dkmemo.blogspot.com/2013/01/blog-post_24.html
投稿元:
レビューを見る
ほんの十数年前にインターネットが台頭してから、人々の生活は大きく変わった。私が今、こうしてネット上に読書記録に出来るようになったのもその恩恵に預かっている訳であり、もはやインターネット無しの生活など考えられなくなってしまった。
が、タダより高いものはないという言葉があるように、その豊かな生活を送っている背後で、確実に何か大切なものが壊れていってしまう。それで本当に良いのだろうか、というのが筆者の問いかけである。
第一章では、ネット上のコンテンツのほぼ全てが、アメリカの大手検索サイト:Googleの登場以来大きな打撃を受けている現状から、一国の一企業が支配することの怖さを概観している。
「ネット擁護派はインターネットの素晴らしさを説くことに熱心だが、良い面ばかりがあるとは決して思えない。『ネットであらゆる事を知ることが出来るようになったはずなのに、社会にもたらしている負の側面についてはあまり知る機会が無い』という矛盾が生じている」、「擁護派はネットの参入を拒否しようとする企業のことを『抵抗勢力・既得権益』と扱うが、ネットによって民主主義を支えるジャーナリズムと社会の価値観を形成する文化が衰退し、ネット上による米国の世界制覇が進んでいる」と筆者は論じている(近年、ツイッター上で活動しているジャーナリストに「ネット擁護派」が多く見られると思うのは私だけだろうか)。
1.ジャーナリズムの衰退:新聞・雑誌の購読者数や広告収入が、ネットを利用する人が増えたために減少したのでネット進出を強化したが、紙の広告収入の10分の1程度しか収入が得られなかった。
2.文化の衰退:アメリカのネット上を流通する音楽ファイルの中で、正規ダウンロードは平均して20曲中1曲(95%は違法ダウンロード)で、CDの市場規模は10年で半減してしまった。映画についてもYoutubeに勝手にアップロードされてしまっている(ただし、筆者はネットの出現という環境変化を受けて、ビジネスモデルを変化させようとしない企業側にも原因があるとしている)。
ネットの台頭により、知らず知らずのうちにジャーナリズムと文化という社会にとって大事なインフラを衰退させつつあり、たとえ技術革新が起きて世の中が変わっても、社会のために維持すべきものがあるのではないか、と筆者は問いかけている。
3.米国支配の世界:本来基幹インフラを始め、国体維持に必要なサービスは自国企業が提供するのが望ましいのに、Windows、Amazon、Wikipedia、Twitterなど、ネット関連でよく使うサービスの大半が米国製である。「ネットには国境が無いのだから」というが、ネット上でやり取りされるのは「情報」という、国益に直結するものなのだからよく考えるべきではないか、と提言している。
このように多くの問題が発生したのは、安易な考えで「無料モデル」を採用する企業が増えたために競争が熾烈なものとなり、極少数の企業による情報・コンテンツの流通の自然独占性が生じ、結果的に今日のGoogle一強となってしまったと、解説がなされている。
これにより、これまでは流通を独占していたコンテンツ・レイヤーが一番儲かるとされてきたが、ネット起業に情報・コンテンツの流通を握られたために大きな収益を期待出来なくなってしまい、かつ無料モデルに慣れたユーザーが増えたために「ユーザーにとっての価値」と「コンテンツの価値」に大きな乖離が生じているのだという。
第二章は、第一章でも触れたジャーナリズムと文化の衰退をさらに掘り下げて説明している。いかに優れたプラットフォームを作り上げても、引き出される情報(コンテンツ)がつまらなかったらサービスは成功しない。その意味で、本来コンテンツとプラットフォームは持ちつ持たれつの関係のはずが、プラットフォームだけが儲かっている。その状況について触れながらの解説である。
米国では1993年の6300万部以降、2004年のGoogleぼ株式公開を経た2008年には4900万部に新聞の売り上げが落ち込み、日本でも1999年の5400万部から2008年の5100万部へと減少した(「押し紙」という制度があるため、実際の数字は更に悪い可能性もある)。広告収入の面でも、紙とネットを合わせた数字が2005年度の500億ドルから2008年度の380億ドルへと減少、日本も2000年の9000億円から、2008年の5700億円へと40%の減少が見られた。これらの数字を受けて、シアトル・ポスト・インテリジェンサーでは大規模なリストラを行ったという(同社はウェブサイトのみで記事を提供したところ、広告収入が90%減少した)。これらの惨状は、インターネットの出現と普及で従来の垂直統合型の流通形態が破壊されたことによるものと、筆者は考えている。
そして何より新聞社を悩ませているのが、米国の「フェアユース規定」により、勝手に記事を複製されても著作権の侵害を訴えることが難しく、かつ自分たちに収益が入ってこないという問題である。
音楽産業も同じように崩壊しているという。一章で、筆者はネットの出現という環境変化を受けてビジネスモデルを変化させようとしない企業側にも原因があると述べているように、利用者だけが悪いと述べていることに留意したい。
日本の音楽市場の売上は1998年の6000億円から2008年の3000円億円へと大きく減少し、米国においても1999年の146億ドルから2008年の85億ドルへと減少している。このような状態になったのは、新聞と同様、流通形態が破壊されたために超過利益を得られなくなり、今日ではAppleのiTunesStoreが小売りのシェアのトップを獲得している。が、何よりも問題なのは違法ダウンロードであり、ファイル共有ソフトを音楽データをダウンロードするために使っていることだろう。
新聞と文化がネット企業によってコントロールされると何が悪いか。利用者からすれば無料で新聞記事を読み、音楽を聴き、映画を観られるというメリットづくしだが、ジャーナリズムが衰退すると
1.記事を書くための情報収集のために必要な経費を使えなくなる
2.主要紙が廃刊となると投票率・立候補者の数が減少する、つまり民主主義の質が低下する
3.単純な事実報道なら素人にも出来るが、隠された事実の調査を積み重ねて真実を明らかにし、新たな視点を提起するという行為または人材を育成出来なくなる(取材範囲・記事の質の低下)という問題が生じる。
音楽を含む、文化が衰退すると
1.プロミュージシャンが活動を続けられなくなり、日本の現代文化が崩壊する
2.「経済大国日本」のピークは過ぎ���しまった。これからは日本の新たな存在価値を作り出す土台となる文化が無くなってしまう
3.今のところ、日本はハードパワーこそないが、ソフトパワーは高い、これを更に伸ばすことが出来なくなる、という問題が生じる。
「インディーズにも良いバンドはいる」というが、市場が崩壊し、無料で音楽を楽しむのが当たり前になってしまうと、対価が得られず結局長続きせず、かつ才能を見つけ出すプロの目が養われないという課題が発生する。
第三章はネット上でプラットフォームがどんどん力を付けていることの怖さについてである。リアルの生活において、日用品から電気ガス水道といったインフラがすべて国外の手に握られるということはまずない(外貨規制)、それなのに何故日々利用するツールがほぼ全て米国産であることに異議を唱えなかったのかと、竹中大臣の発言を思い返しながら、全世界の首位を一国の企業が占めることの怖さを筆者は綴っている。
他国にプラットフォームを支配されると、自国(企業)の機密情報がその国に見られるリスクが発生すると、筆者の国際機関勤務時の経験から警告している。アメリカには「愛国者法」という特殊な法律が存在していることもあり、プラットフォームのサーバーに蓄積された情報を覗かれることは決して不思議でない。同時に、筆者はクラウドサービスを安易に信用して良いものかと疑問視している。
陰謀史観めいていると筆者も認めているが、検索サービスを握られるということは、検索結果が操作されることも考えられ、プラットフォーム側の有利なように情報を操作し、自国の価値観の刷り込み・親近感を持たせることも可能ではないかと述べている。「Google八分」という言葉があるくらいなので、あながち間違いでないと思う。
広告費がネットにシフトしているというデータがある。以前はその広告費を基にコンテンツを作っていたのに、その資金がプラットフォーム側へと流出してしまっている。ここから推測出来るのは、成長性の高いネット広告市場もプラットフォーム側に有利となるということであり、自国の文化がどんどん衰退してしまう一因となりかねないということである。
また、筆者は「ネットには国境は無いという考えは、コンテンツレイヤーに関しては当てはまらない」と述べ、アメリカのドラマが米国内ではネットでも見られるのに、他国からはアクセス出来ないようにしている例を挙げている。日本の誇るアニメ文化においても、クランチロールというサービスが米国内で実施されている。
第三章はグーグルブック騒動を始めとする、米国の戦略の説明である。
当初、この試みを初めて聞いた時は「さすがGoogleだ」と喜んだものでしたが、「ベルヌ条約」という国際条約を利用して世界中の関係者を巻き添えにし、自分たちに極めて有利な和解案を提示し、しかも和解案を通じて書籍の著作権に関する世界共通の版権レジストリ(管理機構)をつくろうという考えには驚かされました。
もっとも、いくらGoogleが米国の一企業だからといえ、他企業からすれば自分たちの仕事を取り上げようとする厄介な存在という訳で、NewYorkTimesやWSJ、News Corporationはニュース記事の課金制を始め、それに応じて新聞記事の閲覧回数を制限するなど、一応��協はしているようである。
つい先日、ドイツが「Google法」を制定したが、同じEUのフランスも対Google政策を進めているようである。今後の動向に注目したい。
最後の章は、今後日本はどう対応していくかの提言である。
現在アメリカでは、HuluやVevoというサービスを始めて流通経路を確保しようと試みている。筆者は「ジャーナリズムや文化を提供する主体が苦しくなると政府から補助金を得よという主張が出るが、競争と切磋琢磨を通じて進化することが大切。ビジネスモデルの進化を怠るような企業は淘汰されて市場から退出すべき」と厳しい意見を述べており、実際にRadioheadやEaglesといったバンドは従来にはなかった手法でファンとの繋がりを保ちつつ、収益を上げようとしている(まさか新書でRadioheadの名前をみる日が来るとは・・・)。
そしてこの章で、これまでネットの出現でマスメディアやコンテンツ産業が苦しんでいると「敢えて」問題提起をするために書いたことを明かし、「流通独占を喪失したネット上で設けるのが難しい」のであって、ネットはあくまで新しい流通経路に過ぎないと述べている。
日本の政府は「ネット法」を制定し、コンテンツの流通に関する権利を与える、日本版のフェアユース規定を作ろうという試みをしているが、筆者は「米国の風土のもと生まれた法が日本にも適用できるのか」、私的録音録画補償金についても「互いの利益のことばかりを主張し、社会全体を考慮した意見がなされていない」など、問題点が多く、チャンスよりもピンチが多いと苦言を呈している。
今の日本は、政府のレベルが低いからマスメディアの報道力も弱い(筆者談)。国民ひとりひとりが、ネットで情報を得る際に社会全体の事を視野に入れることを心がけることが、日本を良くしていくとまとめている。
ネットの素晴らしさを声高に伝える本が多い中、よく批判する本を出してくれたと思う。2010年に出版されたものなので、いくつか古い情報があるが、それでもおすすめである。
自分用キーワード
クリス・アンダーセン『フリー』 Web2.0 竹中平蔵(米国原理主義?) 無料モデル(Free Model) AOL(企業) “Content has never been king” 検索連動型広告(広告単価が高く収益を期待できる)・ディスプレイ広告(日々サイトの数は増え続けているので、スペースの供給量も増えており単価が安い) トーマス・ジェファーソン"Newspaper without a government" 通信と放送の融合 テッド・ネルソン ルパート・マードック「ネットがコンテンツ(ニュース)を無料にしたのではない」
投稿元:
レビューを見る
テレビで見たことがあり、一度見たら忘れないような顔だったので手に取った。
ネットの普及は産業革命期と同様、技術の革新に伴う負の影響ももたらしているとし、中でも、文化とマスメディアの崩壊と米国製のサービスの支配的なまでの台頭の2点について詳述している。
昨今話題となっているグーグルやヤフー、フェイスブックと通じた米国の情報検閲を2010年初頭の時点である程度予見、警告している点に恐れ入った。
投稿元:
レビューを見る
元政府高官で、最近はテレビにも出てる著者による、アメリカがネットでも覇権を取り、日本は搾取されるとうたう一冊。
少数のプラットフォームレイヤー(Google、Facebook、Twitterなどのプラットフォームメーカー)が、多数のコンテンツレイヤー(既存のメディアや実際のソフトメーカー)を搾取してる、というのは確かにその通りで、それにより自国の文化とジャーナリズムが衰退するという側面も否定できないかと思う。
ただ、著者も指摘してるように、国産サーチエンジンなどが失敗しており、国家主導のプロジェクトではどうしようもなく、民間の活力に期待するしかない状況なので、LINE(厳密に国産と言えるかは微妙だが)などに期待したいところ。
投稿元:
レビューを見る
今、話題の岸教授の新書。
googleやi-tunesなど、
ネットビジネスにおける中核をなす
プラットフォームレイヤにおいて
米国企業が大きなシェアを獲得しています。
そのような現状では、日本企業がアメリカの
ネット帝国主義に負けてしまうよって
アラートを鳴らしています。
特に、コンテンツレイヤにおいては
クリスアンダーソンが提唱したように、
現状の米国式のプラットフォームに
コンテンツを載せることによって、
コンテンツがフリービジネス化していることから
商流として、上流であるコンテンツホルダーが
十分なキャッシュを確保できないという
危機にある現状を提唱しています。
例えば、ジャーナリズムは、
googleニュースなどによって
ニュースの媒体価値がフリー化していることから
ジャーナリストの十分な活動費用が
まかなえず、文化の衰退を招いてしまうそうです。
私は、岸さんは、新しい考えを提唱する
日本で少ない素晴らしい学者だと
思いますが、この本は、日本の既得権益を
守ろうとしているのみであり、
(日本の敗北は認めていますが)
政治が何とかしろという内容で
問題意識は素晴らしいですが、
根本的な解決にはつながらないと思います。
結局は、IT企業が、コンペティタである
GoogleやYahooに、ビジネスプランと言う意味で
各論もしくは総論でも、勝たないと始まらないわけで、
規制緩和による自国産業の保護は、
リスクの先送りのみかと思います。
→アメリカの自動車産業の保護が例
なので、★2つ。
投稿元:
レビューを見る
なるほどと納得させられる点がいくつもある.
ただ,おそらく意識してだと思うが,極論に近い書き方をしているところもあり,前提知識が十分な人にはそれもふまえて主張が大変よく理解できるのだが,そうでない人が鵜呑みにしてしまうとちょっと怖いところも.
投稿元:
レビューを見る
確かに私も米国ネット企業のプラットフォームばかり使っている…。
そういえば、ニコニコ動画の衰退をyoutubeと比べて悲しんでいる人をネットで見かけたりするけど、私もちょっと前はニコニコ動画をよく見ていたけど、最近はyoutubeのほうをよく見ている…。何でだろう…。youtubeって、開くとすぐトップページに自分の再生頻度の高い大好きな動画の羅列から始まって(しかもそれが関連動画も含めたミックスリストになってるし)、最近見た動画による関連動画や好みの新着動画や好みの今やってるライブ配信が特にページ移動しなくてもいっぱい表示されてるから、気になって再生しちゃうんだよね。ニコニコ動画は、自分の好きな動画をちょっと見ようかなと思う時に、youtubeよりも掘らないといけない感じがするかも。米国ネット企業って、シンプルで、もよおす感じの餌のみが目の前に撒かれている感じがすごいかも…?とちょっと思った。
あと、動画をブログとかSNSに貼る時「youtubeを貼る」みたいなyoutubeマークのボタンが編集画面にあるから、何も考えずにyoutubeでばかり動画を探していた…。
米国ネット企業なのかとか日本ネット企業なのかとかもうちょっと考えてネットを使ったほうが良いなと思った。
投稿元:
レビューを見る
本書の結論としては
・ネットの「タダ」文化によりジャーナリズムと文化が破壊される
・米国のITプラットホーム独占により日本の富を吸い上げてしまう。
ということが言いたいようです。
リアルとネットで常識が異なるので、ネット帝国主義に気づいている人が少ないというのは、言われてみればどうだと納得です。
でも、国産プラットフォームによる我々の利点はよくわかりませんでした。
ネット原理主義的でもなく、ネットを敵視する文化人でもない、新しい視点という意味では参考になりました。
投稿元:
レビューを見る
○儲かっているのは、プラットフォーム
・プラットフォームは、米国企業が席巻
○フェアユース規定
○米国愛国者法
国歌の安全保障のためにはネット上の情報がいかに重要であるかを
ネットを作り出した米国地震が宣言したという意味で、エポック
メイキングな出来事
○米国の政治とカネ
オバマ旋風をまきおこした、オバマのHPは、フェイスブック共同創業者
のひとりである、クリス・ヒューズ氏が中心になって構築した。