紙の本
どうして「題名通りに」ちゃんと手を振ってあげないんですか?
2010/05/18 20:59
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
こういう作家がいるとは知っていましたが、その作品を読むのはおそらくこれがはじめて。タイトルが抒情的で、なんだか涙腺を刺激するので、ついつい読む気になったのですが、ラストではその通りになりましたから、まずは想定内の首尾を収めたというところでしょうか。
テーマは「高齢者思慕あるいは恋愛」と言って構わないと思います。会社を定年退職して還暦を過ぎ、古希を迎え、長い人生の「行き止まり」に逢着した男女の交情が、はじめは処女の如く、終わりは脱兎のごとく描かれ、諸般の事情で老人ホームに入ることを決意した大学時代の同窓生の女性に「高く手を振って」別れを告げるところで、この30年遅れの思慕純愛小説が終わるのです。
といいたいところですが、実際は「右手を高々と差し伸べる仕草を見せかけて途中で止めた」と書かれているのが悲しいところ。「今日はね、ご挨拶に上がりました」と言うなりソファーの上の主人公に激しく覆いかぶさってみずから接吻を求めてきたヒロインが、今生の別れに際して、「私に見えるように、大きく振ってね」と頼んでいるのに、黒井選手はどうして「題名通りに」ちゃんと手を振ってあげないんですか? これでは羊頭狗肉でしょう、と文句をつけたくなる主人公のカッコ悪さです。
全然関係ないけど、同窓会の後、タクシーで女性を送って行って、「さよなら」を言おうとしたら、いきなり接吻されたりしたりした経験は、みなさんありませんか。ああいう夜は、どうもそういうことをやってみたくなるものらしい。そしてこの小説もそーゆーノリで書かれている節もあります。
それはともかく、小説の最後の最後で電話が♪リンリンと鳴ります。
相手はもしかするといま別れたばかりのヒロインかも知れない。そうであれば「行き止まり」状態に陥った主人公に、新しい生の情炎がふたたび点火されるかもしれません。
はてさていったいどうなるのか? 読者に気をもたせつつ最後の一節が王手飛車取りの妙手のようにぴしゃりと盤上に打ちつけられるのです。
さすが名人の練達の手腕というところでしょうか。
♪マリー・アントワネットの首の如く落花せり一輪の真っ赤なチューリップ 茫洋
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日経の書評を読んで買ったのですが、期待し過ぎたのかな…主人公が好意を寄せた女性の最後の決断には仕方ないと思う反面、現実的で、小説で描くにはつまらない結末と思った。
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最近ミステリーとかばかり読んでいたから、久々に格調高い文章に出会ったという感じ。
ひらがな打ちのメールに主人公の素直な思いをうまく表していると思う。
育ってきたぶどうの苗を植え変えなきゃいけないと思いつつ、いつまでも先送りする部分もうまい。
ただ主人公は自分の気持ちばかりを押し付けて、あまりに自分勝手かと・・・
いや、恋って本来そういうもの?
なんというか、いい年して恋に恋してるという感じ。
自分の父親がもし将来こんな風になったら、すごくイヤだ。
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70代の男女の淡い?恋愛模様、どうということのないような物語を格調高い文章が支えているような気がする。
これといった目新しさはないと思うが、どこか惹かれてしまう物語であると思う。
また黒井千次さんの本を読んでみようと思った。
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70代の男女の純愛物語。
誰しもに訪れる「老い」。その全てが哀しいとはもちろん思わないが、それを見て見ぬふりにはできないのだな、と感じさせられた。
淡々と進む物語の中、凛とした格調高い文章に、漂う空気が澄んでくるようだった。
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70歳を過ぎてもこんなに素敵な恋が出来るのなら、年をとるのも悪くないな。人生の行き止まりを意識し始めるころに思い出す人がいるってのもいい。でもやっとお互いに心の中の何かが動き出したのだからもう一歩踏み出してもよかったのに、と思う。周りの目や財産やそういう色んな問題を考えるとそうそう軽はずみなことは出来ないのかな。うむ、色々考えさせられるなぁ。とりあえず長生きしようかねぇ。
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ちょっと期待外れだった。
おじいちゃんが携帯を掌の中にじっと握りしめている姿はほのぼのとしたものも感じたけどね。
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今住む我が家にある数多の物も、将来自分が亡き後を思えば、家族に必要ない物、或いは見せたくないものは始末したくなるだろう。元気に老いた場合を描いても、生活はできるだけスリムにしておきたいだろう。そこは共感できるが、ストーリーの顛末は、作者も主人公も、やっぱりいくつになっても男は男だねぇ〜、といった感じ。やれやれ。
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主人公の浩平は古希を過ぎた男。妻に先立たれ、未来のない行き止まり感に苛(さいな)まれている。古いトランクを片付けているとき、大学時代に同じゼミだった重子の写真を見つける。一度だけ唇を重ねたことがある。
年齢を重ねることは寂しい。しかしこんな恋愛もできると思えば、希望がある。高齢化とは、行き止まりに向かっているのではなく、重子に再会した時の「途中だよ、長い長い途中だよ」という浩平の言葉通りなのだろう。タイトルは別れの際、重子が「私に見えるように、(手を)大きく振ってね」と浩平に頼むことに由来しているが、作者が同世代の読者に贈るエールなのだ。
***レビュー・書評より***
カミさんと二人だけの生活だけどいずれ何年か後には・・・・ こんなことを考える齢にちかずいたけどまだまだ元気で生きている今を大事にしよう。
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妻に先立たれ、時折様子を伺いにくる娘がいて、長く一人暮らしをしている浩平。
70代に差し掛かり、残された人生の時間もあと残りわずかという、行き止まりを意識するようになってから
ふと学生時代の重子の存在を思い出すのと同時に、偶然再会することができた。
道で拾い持ち帰った葡萄の枝が、思いもよらず生命力を吹き返したけれど、
鉢を植え替えてからは、やはりうまくいくわけもなく
進展するかと思った重子との関係も、あっけなく途切れてしまった。
老い。
そこには老いしかない。
短めで読みやすい。
老人の気持ちが、ちょっとわかった。
しかし老人の接吻とか、おえーって思うことしか、ない)^o^(
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自分が独り生きるようになったら、きっと何かの苗を植えたくなるだろうな。
行き止りと思える人生に、何かを、先があるものを、見たくなるのではないか。
自分がいなくなった、その後に残る何か。
ちょうど両親と同じ年齢の主人公なのだが、何故か親ではなく、自分の老後の姿を想像しながら読み進めた。
どんな毎日が待っているのだろう。
若い頃の思い出の品を捨てられずにとっておくのだろうか。
行き止まりに気が詰まる日々なのだろうか。
ときめく思いは再び訪れるのだろうか。
「春の道標」の際に待ち焦がれた手紙はメールに代わったが、ドキドキする気持ちはあの少年と変わりない。
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