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姫野カオルコ著「リアル・シンデレラ」を読みました。
シンデレラストーリーは、主人公であるシンデレラが意外と目立たない地味な存在ではないのか。主役よりも、意地悪な母あるいは姉妹、お城の王子、ガラスの靴を持ってシンデレラを探す家来、あるいは魔法使いのおばさん・・・のほうが存在感を持って語られているのではないか。
そう考える女性ライターが紹介された一人の人物――倉島 泉(くらしま せん)。諏訪温泉郷の小さな旅館の子として1950年に生まれた彼女は、母親に冷遇され、はたまた妹の陰で育ってきていた。
この小説の主人公であるはずの泉は、この小説に登場するどの人物に比べても、存在感の弱い人物として描かれてゆく。親の愛情も、男性をはじめ周囲の人物の関心も妹の深芳(みよし)ばかりに注がれ、泉は周囲の人間からそれほど顧みられることもなく生きてゆく。
しかし、泉はシンデレラのように周りの人間に見返しをするでもなく、意地悪に復讐するのでもない。
泉は己の分というようなものを悟りつつ、自分ではなく自分の周りの人間の幸せを祈りながら生きていたのである。
その泉の潔さが、ガンジーや不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)という聖人のような存在を彷彿とさせる。ミーイズムが幅を利かせるようになって久しいこの世界とこの時に一度は読んでみたい作品です。
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「自分は幸せじゃない」と思う人に
シンデレラについて調べるライターが、長野県の旅館に生まれた”リアルなシンデレラ”の人生を通して本当の幸福とは何かを考える。
<2011.8 日経WOMANより>
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個人的には、後味はよろしくありませんでした。
「精神的豊かさ」と「自分にとっての幸せ」について考えさせられる。
このお話の主人公は、童話のシンデレラのように、その本人の内心が語られることはない。周囲の人の語り口によって、想像される人。最初から最後まで。だから、語る人によって主人公は違うように映るけれど、どれも語る人にとっての真実で、主人公の真実で、それでいてホントウではない。
愛しいって「いとしい」とも「かなしい」とも読める。
主人公の倉島泉(くらしま せん)は、本当に愛しい女性だと思った。
シンデレラという物語について、男性が語る部分が序盤にあるんですけど、妙に納得というか、違和感なくすとん、と落ちたというか。
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「おれ、この人を応援できなかった。この人は継母や連れ子から意地悪をされるけど、彼女たちがしたことと同じ意地悪で下品なことを、この人もやり返すじゃん。ワタシはお城の舞踏会に行くのよ、でもアナタは行けないのよという継母たちの意地悪に対し、ハシバミの精に頼んで自分も行けるようにするというのはやり返しだろ? ワタシは王子様の花嫁選びにエントリーするのよ、アナタはエントリーできないのよ、という意地悪に対して、奥の部屋から賢しらに出てきて靴を履いてみせるというのもやり返しじゃないか。ゲロくね?
この人が、<いい>とか<すてき>だと思ってることや望んでることは、継母とその連れ子と同じなわけじゃない?
つまりこの人の価値観と、継母たちの価値観とは寸分違わないから、エグい合戦ものにしか見えなくてさあ……」
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そう。同じ価値観と、同じ土俵の上で戦っているから、童話の中のシンデレラは「勝ち組の女」の象徴なのかもしれない。
多くの方が抜粋しているけれど、この物語の軸はここだと思ったので、やっぱり抜粋します。
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《自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分もうれしくなるようにしてください》
他人の幸運がわがことのように感じられるよう、他人の幸せをわがことのように喜べるよう、泉は願ったのである。
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他の方のレビューの中にも、本文の中にも、倉島泉を「富み善き美しき…」とか、称賛する言葉があったけれど、私には違和感がありました。
確かに彼女は「他人の幸福をわがことのように感じられ」たのかもしれない。そうすることで彼女は本当に「幸せ」だったのかもしれない。不幸じゃなかったのかもしれない。
幸せだとか、不幸だとか、私の価値観や私の物差しで測れるようなところに、同じ土俵に、彼女はいない。だから、彼女は幸せだったのだと思う。
でも、私は、かなしかった。
彼女の幸せが、自分の幸せの一部だと言ってくれる人が彼女の周囲にいてくれたら、と願わずにはいられなかった。
人は誰しも幸せになりたいと願ってる、と私の価値観は叫んでる。
あなた自身の幸せをあなたが願わずに、誰が願うのよ?
そう彼女に言っても、「私は幸せよ」って言うだけなんだと思う。
だって彼女は本当に幸せだから。
でもやっぱり、私はかなしかった。
「他人の幸福をわがことのように感じられ」ても、あくまで「わがことのように」であって、そこには、「わたしの幸せ」があると思うの。
本当に他人の幸せ=自分の幸せになってしまったとしたら、こんなにかなしいことはない、と思ってしまった。
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姫野カオルコ著:『受難』における主人公フランチェス子の、
別の形がここにあった。
それも徹底的に地に足が着いた(と、ほんの少しのファンタジーのある)形で。
主人公の倉島泉の行動。
後半に行くにつれて、プッとどうしても噴出してしまう。
その滑稽な生真面目さに、瞬間どうしても「カハッ」と笑ってしまうのだけど、
次の瞬間泣きそうになる。
何故彼女がそういった生真面目な行動をとってしまうのか?
彼女がその行動をとったとき、一体何を考えていたのか?
それが痛いほど胸に刺さるからだ。
申し訳ないけど古本で買ってしまった。
そう、こうしてこの本を売ってしまう人がいるように、
きっとこの物語や泉ちゃんが好きじゃなかったり理解できなかったり何も感じとれなかったりハア?と思う人はこの世の中にいると思う。
けれど、自分にとっては身体の真ん中をがっしり掴まれ、
ぐいぐいと揺さぶられるような、そんな本だった。
『受難』がファンタジーの昇華なら、
『リアルシンデレラ』は日常の幸福のあり方、
それを体感させてくれた。
読めてよかった。
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なぜだかページが進まず、読了までにやたらと時間がかかってしまった。
自分じゃない人の幸せを自分も心から嬉しく思えたら。願っても絶対に到達できない境地だわ。
人が何に幸せを感じるかは他人の物差しでは計れないと頭ではわかっていても、つい杓子定規の幸せ像と比べて判断してしまってる。『私はこれでいいの、これで満足なの』と言われても、そんなはずはないと決めてかかってしまってるよなぁ。泉の生き方や幸せは泉だけのもので、他の人の尺度などさらっと流してしまう。そういう人は美しいのだろうなと憧れる。
最初はシンデレラを引き合いに出した意味がよくわからなかったけど、幸せの質を対比してるんだろうかと自分なりに納得できた。
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初姫野です。食わず嫌いでした。ほんとうによかった。
私自身が母親なせいか、子供が苦しい思いをするのが、一番泣けますなぁ。
イタチの神様は、泉の置かれた辛すぎる現実を逃避するために、泉自身の頭で作り出しちゃったかなぁとか想像しちゃいました。ほんと泣けるわ。
私の職場での現状とかぶり(何かと軽んじられる的な)、私自身が周囲がどう思われているか、ちょっと発見できた気もするし...
まぁ、泉のように周囲の人の幸せを自分の幸せとするには及ばず、お客の方ばかり向いていたことに気づかされ...まぁそういう本ではないのでしょうが...
3つの願い事がとにかく泣けた。とにかくよかった。
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童話の怖いシリーズか?と思ったらそうではなかった・・・
「泉」を見る人によって変わる印象が面白く、先が気になりました。
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幸せってなんだろうと考えさせられる。
御伽話のシンデレラは、憎い継母や姉に復讐ができて幸せだったのかもしれない。
大勢の価値観から外れている主人公の「泉」は他者から見ると「不気味」な存在。自分の価値観とかけ離れた人間をそのように表現する人たち。その一方で泉の美しさに気付いている人たちもいる。外見だけではない滲み出る清廉とした美しさが泉にはあったのだろう。
それは大勢が好む女性らしさとは無縁かもしれないけれど、人間の心根の美しさ。
姿が消えるというハシバミの粉を振り掛ける姿はいじらしいを通り越して切なくなる。
小口の「家族にも相性はある」って言葉はどんなに泉を楽にしただろう。3つのお願いの中の2つ目の願いは、今まで泉を不気味な存在として追っていた自分にはほっとするものだった。
「やっぱり辛かったんだ、そういう感覚はちゃんとある人間だ」と。
そう思うと泉に起きた出来事に傷ついていないはずがない。自分を犠牲にしても他者の幸せを願う。それが辛くないように3つ目のお願いをしたのだろうか。
姿を消してしまったのは小口とその妻の幸せを願うからなのかな・・・
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舞台が諏訪だというから期待したのに、登場人物の方言が、いかにも都会人が真似して使うような間違いっぷり。
物語とは関係なしに、とても不愉快。
姫野さんはいったい何を下調べしたのだろうか。そんなことに引っかかりながら、最後の1ページでぐっときた。
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心、洗われました。私も居酒屋の雰囲気になじみまくって、独り飲みしている、泉さんのようになりたいなあ…
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小さな出版社に勤める主人公は,名作童話を翻訳する企画に携わり,シンデレラについて考える.シンデレラは本当にしあわせだったんだろうか.シンデレラを求めて獲得した幸福は.意地悪な継母や,姉達のそれと何が違うのだろうか.
そんな中,主人公は,出版社の社長矢作に無名の一般人倉島泉の取材を提案される.倉島泉は諏訪の小さな旅館「たからや」で生まれた.泉の生涯は他人から見ると「踏んだり蹴ったり」だった.地元で有名な美人深芳を妹に持ち,母親に愛されなかった.数少ない理解者である叔父を失ってからは,結婚相手になるはずだった名士片桐家の御曹司は妹と駆け落ちをした.たからやを女将として継いだ跡も,夫を従業員に奪われれ女将の座を譲り,若い従業員には掃除のおばさん扱いをされる.
他人には理解できない価値観を持つ泉の人間性をいろいろな人へのインタビューを元に描いて行く.最終章で泉が幼少期に神様におねがいた願いが明らかにされる.
「自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら,自分もうれしくなれるようにしてください」
読んでいて清々しい気分になる小説.聖人というはのこういう人のことか?
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周囲の悪意のなかでも、奇跡のように純真無垢な心をたもち、小さな日常を喜びとした女性と、その周りのひとの群像を伝記スタイルで書く。
周りは(とくに女性は)どこかに悪意があるにちがいない、と探しても、泉というこのひとにはそれが本当にどこにもない。
このひとは知恵遅れ? と思いもするが、客商売でのきわめて繊細でクリアな心配りなどからするとそれも変。
物語としてはおもしろく読めるのだけど、もう一歩、突っ込みきれてない気がするのは、結局この聖女のようなひとの、人間的なあるいは女性的な感情が伝わってこないからだろう。
周りのひとはよく書けているのに、肝心の泉がどんなひとなのかがわからない。
あと、文章がね…。もう少し彫琢してほしい。
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問題のラスト。
泉は、死んだことになっているが、小口同様、私も泉が死んだなんて、信じない。
貂に似たムードの神様が、≪死はすぐそこあるゆえ、あわて死にするべからず≫と言ったのだ。泉が自ら死を選ばない。
貂の神様は言う
≪あなた、あなたの靴で、生きてるあいだ歩きなさい≫
泉はどこかで、生きている。
自らが小口を愛していること、小口もまた自分を愛していることを予感した以上、そこにはいられないから、諏訪を去る。結婚が決まった小口と、その婚約者に、幸せになってほしい、自分が邪魔をしてはいけない。
矢作、洋平、照洸寺のお姉さん、南条玲香、など、泉の美しさ・魅力を見抜く目を持った人が途切れなく現れるのが、読み進める私にとって救いであった。
読者の私が歯がゆく感じる。あまりにも、泉ばかりが損をしているじゃないか、とすら。
しかし、多くを欲しがらない泉にとっては、きっとそれで十分なのだろう。
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童話のシンデレラは現実世界で考えるとつじつまが合わない。現実世界に存在しているなら、こんな印象を受ける人なんだろうか。人は人との関わり合いの中でしか生きられないから、シンデレラって本当に現実味がないなあと思った。
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倉島泉という聖人ような人物(架空)を取材した体で構成した物語。
泉の生き方にはとても共感できる。
むしろ泉の母親も妹も元夫の再婚相手も、いるいる、こういう女を武器にするのが当たり前な女ってヤダなーと思っちゃうし、
泉には裏なんかたぶんないよ…と人の言葉は額面通りにしか受け止めない自分は思うんだけど、それは人が良すぎるか。
ラスト前、泉の小さい頃のエピソードがネタバレ的に昔語りされるが、その内容にもひっかかる。
あまり愛されなかった幼い頃の記憶を封印する的なエピソードで
泉に共感できない読者に、やっぱりね、って思ってもらうには必要なエピソードなのかな。
でも、泉の生き方、かっこいいよーって思う私には結局否定されちゃうの?というちょっぴり残念なエピソードな感じがした。もっとも、泉を全肯定しちゃうと、全然本当の幸せって?シンデレラって?というテーマからは外れてしまうけど。なのでラストについても、正直よくわからなかったデス。
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シンデレラ+人魚姫の現代版と言ったところか。
ただ、シンデレラの幸せとは、結婚して幸せになるということではなく、どんなところにあったのか・・・考えるような作品。身の周りの者が幸せになることが楽しいとでも言うように、様々な出来事に身を任せているように思える。ただ主人公の泉の印象が「不気味」というのがなんとなくわかるのが一番しっくりくる。流れに任せているだけだから捉えどころがないのである。