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同僚に薦められたものがたまたま市の図書館にあったので借りてみた。
結論としての料理の四面体という考え方も面白かったが、そこに至るまでの研究と考察も読み物として面白く、また、自分があまり考えずにやっていることにも理屈がつけられてとても有意義な内容だった。私、カレー作るときにワザワザ肉を別で炒めて入れてるんですが、なにそれ、いやリソレだよと。これからは自信を持って嫁に主張できる。
そして、80年代にこれだけの世界の料理の研究と考察を実地で実行していたことにも、この本が未だにこんなに新鮮に読めることにもびっくりした。
この本は実際にある程度料理をする人が読んだ方が、間違いなく面白い。
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5年程前に読んだ名著。
目から鱗で、膝を打ちまくる。
物事を抽象化して、身の回りの世界を認識すると、
こんなにも楽しくなるものかと。
料理名を気にせず、適当な具材を組み合わせて、
「焼いたん」「蒸したん」「炒めたん」「炊いたん」くらいで呼んでることもしばしばあるけど、
世界共通の料理の本質だなーと考えさせられる。
料理が、楽しくなること、うけあい。
料理だけに止まらず、世界のあらゆる事象を見る目が変わる。
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世界各地の料理を比較して、共通の構造で表現しようとした本。加熱の媒体を「空気(干す、燻る、炙る、焼く)」「水(煮る、蒸す)」「油(炒める、揚げる)」の三つに集約する観点がポイント。非加熱の味付け(漬ける)を工程の前後に添える段取りとする観点も興味深かった。
これに味付けの種類に関する洞察が加わっていれば、完全体だったかもしれない(全部、塩の仲間ってくくってるので残念)。
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料理を一切しない人のレビューです。
全ての料理は「水」「油」「火」「空気」の四面体の中で分類される。ゆえに、国や民族ごとに全く異なる料理があるように見えて、根底にある原理には全て同じ。
お洒落なレストランで振る舞われる何が何だか分からないカタカナだらけの料理も、実は素朴な日本語で訳せるっていう…笑
筆者の食に対する知見の深さを見習うべく、今後自分に提供される料理一つ一つをしっかり分析したいな〜と思えた一冊!
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料理の根源にある基本原理を示した一冊。骨しゃぶり氏のブログで紹介されていたので読んでみた。
料理とは火を頂点とした、水、空気、油の3要素、合計4点からなる四面体で構成される。
この原理を筆者のこれまでの様々な料理経験、国内外での食事経験等をふまえて見出すまでの流れが示されている。
ここ数年、料理は科学である、とぼんやりと考えていたが、本書を読んでそれが確信にかわった。料理する上でなんとなく考えていた事柄を本書が明確に、かつ自分よりも高い解像度で示してくれた。料理人ではないからこそ出てきた視点だとも思う。
あくまでも著者の提唱する一概念であり、体系的に研究されているものではない。しかし本書の概念を基礎として、料理学が研究されていけばより面白く、また料理をするにあたってさらに実用的な結論が導き出されると思う(不勉強だが、すでに学問としてあるのだろうか?)。
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著者は、エッセイスト・画家であり、長野県でワイナリーの代表取締役会長も務めています。火・水・空気・油の4要素から、料理の一般的原理を見つけ出そうという一冊です。
この本の中で著者は、人類の料理のレパートリーが、塩による味付けで如何に豊かになったかを力説しています。塩は全ての調味料の基本であり、人間にとってなくてはならないもの…と、述べられているのです。
アルジェリア式羊肉シチュー、仔羊の背肉ポンパドゥール風、フィレンツェ風ビステッカなど、冒頭から、塩を活用する料理が次々に登場。世界の料理の共通点を発見し、自身で料理を作ることの楽しさを再発見できる名著です。
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「今でしょ!」の林先生がTVで紹介していた。料理本でありながら、4要素を軸とした「モデル化」を通じて論理的思考が学べる本である。
…とのことで興味を持ったのだが、当該箇所は最後の方の一部であり、当然といえば当然だが大部分は世界の料理について解説している。(本格料理を家庭で実現するためのレシピまで!)
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正直完全に理解することはできなかった。
普段あまり料理をしない人が読むと余計に難しい。
しかし料理という観点から、物事をシンプルかつ多面的に捉えることができる方法が記してあると感じた。
名前こそ違うが、大きな枠組みの中で見れば同じようなものであることを自分の頭の中で整理でき、数学的思考の上達につながると感じた。
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「あーそういうことね完全に理解した」というのは、古来から人類が望んできた世界認識の極点であろうが、実際にその台詞を口にするのはペテン師か気違いなのが相場である。それでも、本書を読むとすくなくとも料理という極めて限定的な世界においてではあるものの、冒頭の台詞を口に出したくなってしまう。
本書は、世界各地の様々な文化によって多彩な様相を示す料理の世界は4つの要素で説明できる、と豪語する魅惑の書籍である。4つの要素とは、火、水、油、空気であり、全ての料理は火を頂点とした4面体で説明できるという。
表紙の帯で示されたそのコンセプトを読んだときには、「そんなわけがない」と思いつつ、本書ではまず世界の様々な料理の調理法が丁寧に説明される。煮込み料理、天ぷら、ローストビーフなどの調理法の解説を読みつつ、本書の最後でようやくこの4面体のコンセプトが説明されるのだが、そのときにはこのコンセプトが見事に現実の料理の世界を説明するのにふさわしいものだということを実感してしまう。その語り口は、イタロ・カルヴィーノの幻想小説を読むかのような魅惑に満ちており、一瞬たりとも飽きさせない。恐ろしい世界認識の書物である。
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読み終わった後、料理をしようとすると頭の片隅に四面体がある。これから何を作ろうとしているのか、それは四面体のどの面や高さに位置するのか、自然と考える。様々な国の料理を分解して構造化し、その骨格をあらわにして集約していくのは圧巻。
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玉村豊男『料理の四面体』読了。アルジェリア式羊肉シチューにはじまり、古今東西の料理をめぐる雑駁なエッセイ集を楽しんでいたら、過去現在未来のあらゆる料理を射程に収めた"統一理論"に至るという得難い読書体験を提供する一冊。自ジャンルを包括的に語るというオタクの根源欲求が呼び覚まされる。
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まずこの本は未知の料理が涎が出る表現で紹介され、読者の気をそそる。そしたらいつの間にか筆者独自の筆遣いでその料理が私たちにも馴染み深い料理と本質的に同じだということが説明される。
これが終盤まで繰り返される。刺身はサラダであるという一見よくわからない主張も、読んだ後は納得感がある。
そして最後の最後、それまで積み重ねてきたケースがある一つの料理の本質で説明できることを暴く。
それまでの紹介はその統一理論を支えるための演繹的なアプローチであったことに気づく。
その理論はシンプルかつ包括的、そして料理というテーマも相まって実生活との親和性が高く気軽に実践し、理論を活かすことができる内容だ。
一冊の本としてとても綺麗にオチがついていて、かつ筆者の経験と知識があってこそ生まれたオリジナリティのある内容。素晴らしい本質本だ。
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世界の料理には様々な共通点があることが、具体例を交えて紹介されていて、とてもわかりやすかった。
どの料理もとても美味しそうに描かれていて、自分も世界中に旅行して、食を楽しみたい気分にさせられる。
料理の四面体の理論は理解できたが、まだ自分でそこから新しい料理を思いつくのは、難しそう。
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料理を趣味とし、世界各地を旅してさまざまな料理に触れてきた著者が、料理についての分析をおこなった本です。
著者の提唱する「料理の四面体」は、火・空気・水・油という四つの基本要素を頂点にもつ四面体によって、世界中のさまざまな料理を位置づけることができるという考えかたにもとづいています。しかし、当初著者が本書の原稿を持ち込んだ出版社では、「きちんとした理論書でもなく、かといって役に立つ実用書でもなく、中途半端で出版に値しない」という理由でボツにされたと書かれており、また出版がかなった後も料理研究家から「ステーキはサラダである」といったような暴論に聞こえてしまう著者の意見への批判があったと書かれています。
著者の考える四面体上にあらゆる料理を位置づけることができたからといって、なんの役に立つのだろうかという疑問が生じるのも、理解できないわけではありません。著者は、本書のなかで一つの料理から四面体上の移動をおこなうことでべつの料理がみちびき出せることを示していますが、その効用について「知的なゲームとしてもなかなかおもしろいし、料理のレパートリーを実際にふやすためのトレーニングにもなるだろう」と述べています。
ただそれ以上に、ともすれば特定の文化的風土のもとに閉じ込められてしまいがちな料理をめぐるわれわれの思い込みを解き放つところに、本書の効用を認めてもよいのではないかと考えます。もちろん、料理をあじわうためにその料理の生まれた土地との結びつきにまで思いをいたすこともたいせつではあるのでしょうが、そのことを自覚するためにも、一度自明と思われた料理とそれに固有の文化的風土との結びつきから離れてみることも案外役に立つのではないかという気がします。
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【感想】
アルジェリア式羊肉シチューとフィレンツェ風ビステッカ。もしくはヨークシャー・プディングとアジの干物。
一見共通点が無さそうなこれらの料理も、筆者に言わせれば、全て「同じ種類」の料理である。フランス料理だろうと、中華料理だろうと、イギリス料理だろうと日本料理だろうと、その土地で獲れる食材の種類が異なるだけで、その「調理法」は全く同じである。
そして、その「調理法」とは決して複雑なものではなく、火・空気・水・油のたった4つから構成される「四面体」の中に存在するのだ。
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筆者の玉村氏は旅と料理を愛するエッセイスト。世界をさまざまに歩いて口にした料理からインスピレーションを得て、グルメ本・料理本を数多く執筆している。本書に出てくる数々の料理は、筆者が世界を旅した中で口にしたものと、自宅でフライパン片手に創作したものでできている。
料理には無限のレパートリーがある、と普通は考えるだろう。
人間は太古の時代から料理をしてきたにも関わらず、毎年のように新しいレシピ本が発売されている。世界の国の数だけ「国民料理」が存在し、一国の中でも地方によってさまざまな「郷土料理」が作られている。
とすると、料理とはあたかも無限に変化する化学現象であり、ある食べ物を他の食べ物から類推してカテゴライズすることは不可能に思えるだろう。カレーとシチュー、うどんとそばのように、調理法も食べ方もほぼ同一な料理ならいざ知らず、サラダと刺身、目玉焼きと青椒肉絲、牛肉の赤ワイン煮込みとブフ・ブルギニョンのような食べ物は、到底「似ている」とは言えない。
しかし、これらの料理は「基本の部分で同じ」であり、「火、空気、水、油」の4種類からなる調理法と食材の組み合わせである、と論じたのが本書なのだ。
そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、この結論に至るまでの過程が実に見事である。
例えば「ローストビーフ」の原理。牛肉を焼く際に、グリルを使って直火で焼けば「牛肉のステーキ」になり、オーブンを使って(少し火から離して)焼けば「ローストビーフ」になる。さらに火から遠ざかり、熱と煙で焼けば「スモークビーフ」になり、さらに火から遠ざかり、太陽と風で焼けば「ビーフジャーキー」になる。(本書ではもっと複雑な過程を辿るが、ここでは簡略している)
こう考えてみるとどうだろう、「ローストビーフ」と「アジの干物」が似た料理であるように思えてこないだろうか。一見共通点があるとは思えない他国の料理であっても、実は「調理法」という根っこの部分でつながっているのである。
しかし結局のところ、「調理法が似ている」とはどこまでのものを指すのだろうか。「ローストビーフ」と「アジの干物」は火熱によって食材の水分を飛ばす料理であるが、「肉まん」は逆に水分を使って食材に熱を加える料理だ。これが「ポトフ」であれば、周りは水だらけになり、到底似ているとは思えない。
そこで筆者は各国の料理を引き合いに出しながら、調理法を構成する4つの基本要素を導き出した���それが「火・空気・水・油」からなる四面体である。
四面体の頂点にあるのは「火」であり、底面の三角形はそれぞれ「油、空気、水」を頂点としている。火から各頂点に伸びる線は、それぞれ
「火に空気の働きが介在してできる料理」=焼き物ライン
「火に水の働きが介在してできる料理」=煮ものライン
「火に油の働きが介在してできる料理」=揚げものライン
である。
例えば、焼き物ラインで火の頂点に近いところは「直火焼き」となり、空気の頂点に近い所は「干物」になる。揚げものラインで火の頂点に近いところは「煎りもの」となり、油に近づくにつれて「炒めもの」「揚げもの」と変わっていく。そして、火の影響が全くなくなる底面上では「生もの」となる。油に近い生もの、空気に近い生ものとはなんぞやと思うかもしれないが、豆腐で考えればわかりやすい。前者が油豆腐で後者が発酵させた(空気で腐らせた)豆腐である。
このように、料理は千差万別と思われがちだが、実はみんな、はじめから四面体のどこかに隠れているのである。
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料理は科学(化学)だと言われている。
化学物質は基本単位である「元素」まで細かく分解でき、いくら複雑な化合物でも、それを構成するのは二百種類にも満たない微小の物質である。
筆者はなんと、この「元素」と同じものを「料理」で発見してしまったのだ。
各国の調理方法を比べながら共通点を見出し、料理の根底に潜む「最小単位」を「火、油、空気、水」の4種類まで落とし込んだ。無数に存在する「料理」を分解しきって、超シンプルな方程式に置き換えてしまった。
この方程式を使えば、羊肉シチューやフィレンツェ風ビステッカを食べたことが無くても、豚肉の生姜焼きのレシピを応用することで料理できる。しかも作り方の要点さえ押さえておけば、さらに新しい料理にジャンプできるのだ。
本当に凄い。まるで手品のようだ。
新しい世界をひらく可能性を秘めた、見事な一冊だった。
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【本書のまとめ】
1 どの国の料理も、根底は同じ
フランス料理の生命はソースである。ソースには何十種類も何百種類もバリエーションがあるが、全部覚える必要はない。
肉を炒めたあとのフライパンに汁を入れて油脂・肉汁をこそげ落とし混ぜ合わせる。これを仏語でデグラッセというが、デグラッセする汁はワインでも生クリームでとブイヨンでもなんでもいい。この汁を変えるだけで、さまざまな種類のソースができることになる。
また、汁をかけるものを牛肉、豚肉、鶏肉、魚、と変えていけば、倍々式にレパートリーが増えていくではないか。
ひどく複雑な調理法も、根幹はごく簡単ないくつかの要素から成り立っていて、それが順列組み合わせみたいな倍々ゲームになって無数の枝葉や末節を繁らせているのだとは考えられないだろうか。
料理の基本は一緒であり、あとは風土によって手に入る材料が違うだけなのだ。
バターやワインやシャンピニオン等が手に入るブルゴーニュ地方でなら「ブフ・ブルギニョン��ができるし、オリーブ油とニンニクとトマトが豊富に手に入るアルジェリアなら羊肉のトマトシチューができる。もちろん、日本で手に入る材料であれば日本風のオリジナル料理(豚肉と焼酎で薩摩名物とんこつ)ができてしまうのだ。
各国の料理の相違点ばかりを見つめていると、あくまでもそれらの料理は相互に関連のない全くの別物だということになるが、共通点を辿ってみれば、実はひとつの同じ料理であり、時と所に応じてさまざまに異なる姿を人に見せるだけのことなのである。
2 ローストビーフの原理
ローストもグリルも、直火にかざすという点では完全に一致している。
ローストは肉を遠くから炙る様に焼く。グリルは焼き網のことだが、広く、直接に火に近づけて焼く「直火焼き」の意味に使われる。つまりビーフ・ステーキは、牛肉のグリル(直火焼き)のことで、ローストとグリルの違いは「火からの距離の差」ということになる。
直火による料理法(途中に水や油を介在させない)には必然的に空気が働きかけてくる。
火と空気の度合いにより、
炎に触れるほど近づけて焼く→グリル
少し火から遠ざかる→ロースト
さらに火から遠ざかる→くんせい
太陽の日と風で干す→干物
になるのだ。
3 天ぷらの分類
空揚げと天ぷらの違いとはなにか。
空といいながら、粉をつけることは許される。しかし、衣――粉を液体に溶いて作った結果できるドロドロした流動体――をつければ天ぷらになる。天ぷらはほとんど全地球市民に共有の財産だ。
とは言っても、日本語の「天ぷら」と「カツ」と「フライ」はかなりいい加減な分類であるため、これを正しく構成し直そうとすれば、
①なにもつけずに揚げたもの
②粉をつけて揚げたもの
③粉を含む流動物質をつけて揚げたもの
④粉を含む流動物質にさらに別の固形物質をつけて揚げたもの
となり、それぞれ
①素揚げ
②粉揚げ
③衣揚げ
④変わり衣揚げ
という名前になる。
一方、英語では炒めるも揚げるも、両方ひっくるめて「フライする」という。
世界三大料理の一角であるフランス料理は、揚げもののレパートリーが少ない一方で、中国では、鍋を基本的万能調理器として料理のシステムを発達させたので、ロースト料理のレパートリーに乏しい。
中国には焼き魚などの直火焼き料理すらないのだ。これに対して、暖炉→オーブンを万能調理器として活用してきた西洋人は、ふつうの煮物までオーブンの中に鍋ごと入れてしまうようなクセがつき、火にかけた鍋で油を操るテクニックには習熟しなかったのかもしれない。
4 火を使うもの使わぬもの
フランスや中国には、火熱と手間を加えたものでなければ料理とはいえない、という伝統がある。事実、生野菜の盛り付けをコックではなくウエイターがやっているレストランがある。一方、日本はすし屋の板前のように、「切る」「飾り付ける」部分も「料理」の過程とみなしている。
火を通さない代表的な料理がサラダだ。ここで、酢のものに油を一滴加えれば「サラダ」になる、ということが正しいと同時に、油の入らない酢のものもまたサラダの一種である、と考えることにしよう。
西洋における油の使い方は、日本における醤油の使いかたと似ている。とにかくなんの料理にでもかけてしまうのだ。とすると、「マグロの刺身」もまた、ひとつの立派なサラダであると言えるのではないか。(信じられない人は、マグロとツマとミョウガとシソ葉を混合して、しょうゆをかけて混ぜ合わせてみるといい。見た目も中身も立派なシーフードサラダになる)
サラダは、つまるところ材料を調味料で混ぜ合わせた「和え物」なのだ。
火熱を加えて料理した後の材料を調味料で和えたものは、それも抵抗がなければサラダと呼んでも構わない。ステーキにワインソースをかけた一品でもサラダと呼べるだろう。
サラダという名称は、火熱を加えて材料を処理するという意味での「料理」の中心的工程の前後に接続する、調味料を和えるという作業の総合的な表現にかかわっているのだ。
5 煎る
油が十分に多量の場合には「揚げる」、それほど多くなくても物体と鍋のあいだに充分に油が介在していれば「炒める」、それがどんどん少なくなれば「煎る」、そこからさらに進んで物体の表面が黒くなり、煙を発し始めたら「焦がす」ことになる。同様に、「蒸す」と「煮る」も非常に近しい関係にあり、煮る工程において水のほかに空気が強く介在していれば「蒸す」になる。
6 料理の四面体
料理とは、
(1)火
という中心要素の営みを受けてそれに対応する、
(2)空気
(3)水
(4)油
の三要素が支えてできるものである。
一方で、「料理以前」に登場して、しかも火と同じく必要不可欠な、ナマものの世界がある。
火を一番上の頂点に置き、空気、水、油を底面の3頂点とした四面体を「料理の四面体」と呼ぶことにする。
空気、水、油の頂点と火を結ぶ稜線が、それぞれ
「火に空気の働きが介在してできる料理」=焼き物ライン
「火に水の働きが介在してできる料理」=煮ものライン
「火に油の働きが介在してできる料理」=揚げものライン
である。
それぞれのラインにおいて、火の頂点に近ければ近いほど、三要素の介在の度合いは少なくなり、逆に、それぞれのラインで、火の頂点から遠ざかって下に行くにつれ、それぞれの要素の介在度は増し、同時に火の直接的な影響はしだいに少なくなって、ついに底面に達すると同時に、火の影響は途絶え、「ナマもの」になる。
何か一つの材料を、この四面体のどこかの一点に置くと、ひとつの料理が出来上がる。そしてその点を移動させていくと、次々に新しい料理ができる。
実際の料理では、何種類もの食品を組み合わせて作ることが多いから、その成り立ちはなかなかに複雑である。しかし、手順のひとつひとつを見ていくと、結局は基本的プロセス――四面体の中に位置づけることを繰り返す――なのである。
世のなかの料理のすべては、四面体のどこかにあるのだ。
料理の本を読むときには、まずそこに書かれている作りかたの手順を、四面体の原理を頭に置きながら、ひとつひとつ基本的プロセスに分解してしまおう。そうしてその料理の根幹を掴んでおけば、好みに応じて不必要なプロセスを省略してみたり、自己流にアレンジしてみたり、主体的な料理ができるはずだ。