紙の本
男性がひやつとなる詩集
2010/08/06 08:40
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「永遠の詩」全八巻の五巻めは、石垣りん。四十篇の詩が収められている。
巻末のエッセイは、作家の重松清が担当している。
石垣りんに「定年」という詩がある。この詩を読むと胸をぎゅっと鷲づかみにされるような気になる。
その冒頭、「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」」にぎゅっとなる。
石垣りんが日本興業銀行の事務見習いとして就職したのは14歳(!)の時。定年退職したのは、55歳の時。実に40年以上の歳月を銀行員として働いていた。
石垣が定年を迎えたのは1975年(昭和50年)で、まだその当時は55歳の定年があったのだろう。女子行員として働くことの厳しさを石垣は目の当たりにしてきたにちがいない。そして、家庭の事情もあって、生涯独身であった石垣だが、「生きていることの さびしさ。」(「二月の朝風呂」)も正直に詩にしている。
長年勤めたところであっても、会社はやはり「あしたからこなくていいよ」という。そのことを石垣は「定年」の最後でこう詠っている。「たしかに/はいった時から/相手は会社、だった。/人間なんていやしなかった」。
だから、石垣りんは、ひとりの女性として、一人の人間として、こう言わざるをえなかったのではないだろうか。
「石垣りん/それでよい。」(「表札」)
どんな時代であっても働くことに失望し、ときに絶望することもあるだろう。
そんな時、石垣りんの詩にふれてみるといい。
すっくとあることの素晴らしさを彼女の詩は教えてくれるにちがいない。
ちなみに、表紙の「私の目にはじめてあふれる獣の涙。」は「くらし」という詩の一節である。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
紙の本
つよい「ひとりの」やさしさ
2010/07/17 22:46
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る
永遠の詩05は『石垣りん』です。
年譜を見ると、どの写真も彼女は笑っている。
石垣りんは大正9年東京・赤坂に生まれました。
4歳の時母を亡くし、高等小学校卒業後、14歳で銀行の事務見習いとして働き始め、家族6人の働き手となって定年まで勤めあげた彼女の詩は、優しさと切なさと健気さがほとばしっている人生の詩です。
第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 (32歳)
それはながい間/私たち女のまえに/いつも置かれてあったもの、(表題詩)
初期の代表作です。
「私は日本の女性たちの愛情と智慧と哀しみとが、炎のように燃えているのを感じた」と、鑑賞解説のなかで伊藤信吉さんは記しています。
また作品集にある『屋根』『貧乏』『家』は、家族や社会と闘っています。まるで彼女の血が噴き出ているような詩です。
第二詩集「表札など」 (48歳)
石垣りん/それでよい。(表札)
石垣りんといえば「表札」。やはりいいですね。
第三詩集「略歴」 (59歳)
ほんとうのことをいうのは/いつもはずかしい。(村)
石垣りんという、詩人に出会って良かったと思えた詩でした。
第四詩集「やさしい言葉」 (64歳)
海よ云うてはなりませぬ/空もだまっていますゆえ
あなたが誰で 私が何か/誰もまことは知りませぬ (契)
石垣りんの詩碑に刻まれている詩です。
書評タイトルにした『つよい「ひとりの」やさしさ』は、本書の最後に重松清さんが石垣りんを語っているタイトルからとりました。
重松清さんの語りはとても素晴らしかったです。
しかし詩には言葉はいらない、と思いました。
詩は感じるままに。
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読んでみたいと思い、図書館で借りた。
詩は奥が深く難しいが、怒り、悲しみ、嘆き、憎悪、哀れ、愛情、どれも素直で大人しいと思われる作者自信の人柄が出ている作品だった。
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この『永遠の詩』シリーズは詩人の人生に沿って数十の詩がのせてあります。こんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが、その人の歴史を本人の声で聞けているような気がして、すごくその詩人のことがわかって、仲良くなれたような気がします。石垣りんさんは、すごく心の美しい人だったのでしょうね。
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読んでいて、しゃんとしなさい!と叱られた気分になるような、不屈の詩人という印象でした。つよい、ほんとうにつよいひとです。弟の「僕たち正解だったね」という言葉が詩人の生涯を祝福するような言葉で、すきです
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20180617 詩という物の強さ。これまで恥ずかしさのほうが優っていて敬遠していたのは本気の言葉に会ってなかったからだと思った。綺麗な言葉より生きている言葉。飾らない本音。男ではどこか出てしまう正義とか高潔な精神だとかいう言い訳が無いのが良い。
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初期の詩は、少しこわいくらいの精神力の強さが感じられました。
少女の頃から一家の生活を支えて、家族を次々に亡くしたという環境もあったことだと思われます。
初期といっても、初めての詩集『私の前にあるお鍋とお釜と燃える火と』を出されたのは39歳という遅咲きの詩人だったそうです。
晩年の詩は肩の力が少し抜けたようなかんじで、しみじみと心に染み込んでくる味わい深いものが多かったように思います。
「崖」
戦争の終わり
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
<解説より>
石垣りんにしか書きえなかった反戦詩の傑作。
茨木のり子は、「戦後詩のなかで一番衝撃を受けた行は?と問われたら、まっさきに石垣りんの詩『崖』の最終連をあげずにはいられない」と書いている。
戦後になって公開された、アメリカ軍が撮影したサイパン島陥落の映像には、追い詰められた日本人女性が、次々に崖上から身を投げる姿が映し出されていた。もんぺ姿の若い女性が崖の上かに現れ、それから意を決してとびこむ様子が、鮮明なカラー映像に残されていた。どうして忘れられようか。かつて軍国少女であった石垣にとって、戦争は十五年経っても二十年経っても、終わっていなかったのだ。
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「白いものが」
「その夜」「表札」「幻の花」「村」「かなしみ」「おやすみなさい」もよかったです。
石垣りん(いしがき・りん)
1920年(大正9)~2004年(平成16)。
東京の赤坂に生まれ、高等小学校卒業後、14歳で銀行勤めを始め、働きながら、家と社会の問題に鋭く斬り込む詩を生んだ。
現代人の孤独と真っ正面から向き合う言葉の数々は、深く、つよく、温かく、読者の心を揺さぶる。
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ひとりの詩人の生きた証が、ぎゅっと詰まった一冊。家族を支える肩の重み、紙幣がさらさら消えていく給料袋のあつみ、そして労働とは何か。台所から人の生き死にまで綴られる、言葉の潔さ。
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衝撃的な作品が多く、大好きな詩を書く人。
給料袋の中身を見て、時間の行方を探す描写や、二人の核弾頭ミサイルを運ぶ飛行機のパイロットが、お互いの国を滅ぼしたあと、二人で過ごす未来書いた描写など、暗闇を除いてしまったようにぞくぞくっとする。
いちばんは、やはり、「家でのすすめ」だろうか。
揺籠の中で、仲間を噛み殺す蟷螂もいる。いいえ、やがて根がつかえる。鍵の必要な家を出て、野原へ出かけましょう。このくだりは、初見のときに衝撃を受けた。
家族という、どこか暖かく、美徳に溢れた、道徳的な概念。その実情を作者はよく観察していたのだと思う。家族という足枷で、みんながみんなの足を引っ張りあい、悲しみも喜びも平均化する装置。
作者が家族に取り込まれたのは、10代から30代までの青春と言われている時間だろうか。
皮肉から生まれた詩でもあるのだろうところが、この詩から匂い立つ。
言葉選びが好き。直接的で、比喩的な、抽象的な表現は選んでいないところも好き。ただ、芯を捉えた、短く実のある言葉で描かれている。
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石垣りんさんの詩集ですね。
永遠の詩シリーズ 05 の作品です。
このシリーズの魅力は、時代に関わらず読み次がれていける作家と作品を見事に紹介されていることですね。
石垣りんさんの詩集も、ものすごく受け入れやすく、働く私たち職場の隣に席する仲間だという事だと思います。また、『職場の詩人』であり、『詩情豊かなロマン溢れた詩人』でもあるようですね。
石垣りんさんは、2月生まれ(21日)との事。初めてふれる詩人の誕生の月に巡りあえて二重の喜びでした。
同時に、茨木のり子さんの大親友(石垣りんさんが六歳年長)であられたようなので、親しみを増しました。
解説の井川博年さんは語られています。
「現実から逃げないこと、そのことが石垣りんの詩を強くした。これが、石垣が、その頃よくいわれた『職場詩人』『生活詩人』から、大きく脱皮・成長できた理由であると思う。」
「生涯独身。生前出した詩集はわずかに四冊である。しかし彼女が書いた多くの詩の言葉は、今でも私たちの身近にいて、永久に忘れられることはない。『石垣りん、それでよい。』」
川のある風景
夜の底には
ふとんが流れています。
川の底を川床と言い
人が眠りにつくそこのところを
寝床と言います。
生まれたその日から
細く流れていました。
私たち
今日から明日へ行くには
この川に浮き沈みながら
運ばれてゆくよりほかありません。
川の中に
夢も希望も住んでいます。
川のほとりに
木も草も茂っています。
いのちの洗濯もします。
川岸に
時にはカッパも幽霊も現われます。
川が流れています。
深くなったり
浅くなったり
みんな
その川のほとりに住んでいます。
優しく、そして強い、石垣りんは、茨木のり子さんの言われる『凛』とした、心の底に『みずうみ』がある方だったのでは、ないでしょうか。
また一人、お気に入りの詩人を見つけました。
というより『永遠の詩シリーズ』の詩人はこれまですべて、私を詩への誘いを促せてくださる旅先案内人であり、人生の同伴者を得た想いです。