紙の本
―澁澤の深遠な内面の片鱗に触れる快感に酔う―
2011/11/09 02:53
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投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルにあるドラコニア ”Draconia” とは澁澤龍彦の造語で、「龍の王国」という意味合いの言葉である。 澁澤の持つ世界観がドラコニア・ワールドだとすれば、この本に紹介されているオブジェは、澁澤が好んで集めた住人達と言えよう。 それらは、購入したり譲られた工芸品であったり、鎌倉の海岸で拾った貝殻や骨であったり、木の実や鉱石であったり、彼が執着した様々な形状であったりする。
そして、その解説は、澁澤龍彦自身である。 つまり、彼の著書の中から、そのオブジェや美術品に触れた文章が引用されているという構成なのだ。 この本のおかげで、昆虫や貝殻のような自然の造形のような、澁澤が抱いた興味の対象や、卵形の石のような魅力的な形状を通して感じられる形而上的な感性的対象が、澁澤自身が所有したオブジェとして私たちの目の前に具現化する仕掛けとなっている。 読者は、実物の写真を見ながら読み進むほどに、ああ、これが澁澤作品に書かれていたあのオブジェなのかと、感慨深い印象を受けるものがあるだろう。 前書きと後書きだけは澁澤龍子の手によるものだが、短い文の中に澁澤の日常の一面とオブジェへの執着が手に取るように分かる。
2007年のことだが、横須賀美術館で没後20年を記念する展覧会『澁澤龍彦 幻想美術館』が開催され、足を運んだことがある。 彼の所有していた膨大なオブジェの一部も展示された。 大変質の高い展覧会で、資料としてこれ以上にない高い価値のものではあったが、そこで感じたのは、オブジェと言うよりは、どうしても即物的なガラスの中の展示物(「テンジブツ」と書いても良いかもしれない)という感をぬぐえなかった事であった。 オブジェが自己表現できるには、やはり持ち主とそれが置かれる場所が共に共存してのことなのだろう。 そのような意味でも本書のオブジェは、澁澤自身の文章と本来置かれるべき場所で撮影された写真とともに、本来あるべき存在として息を吹き返している。
澁澤のオブジェは、書斎や居間で、彼の原稿執筆を、あるいは日常生活を静かに見守ってきた者達でもある。 ドラコニア・ワールドは、澁澤の内面にある世界観であり、作品であり、あるいは現実の自宅や書斎でもあるから、オブジェ達はその両方の行き来を許された特殊な存在だ。 読者は、オブジェが象徴するものから、澁澤の深遠な内面の片鱗に触れる快感に酔うことができよう。 この感覚は、何か神託を聞いているような行為に似たものがあるような気がする。
あるいはそこから一種の心地よい不満足感を与えられるとすれば、示唆に富み、個々の由来が曼荼羅のように行き交うドラコニア・ワールドを理解するに至ることが難しいことに改めて気づくからかもしれない。 言わば、オブジェを通して澁澤龍彦の感性を享受しようとしてそれに至らなかった未消化部分だ。 それだけに、ドラコニア・ワールドは人を存分に魅了して止まないものがあるのだろう。
早くも没後24年が経ち、来年で四半世紀になろうとしている(!)ことを思えば、澁澤自身が集めたオブジェの数々は、今や逆に澁澤へのオマージュにも見えてくる。 今日なお、彼の作品の数々は何ら色あせておらず、ますます光彩を放っているので、それぞれが生きたオマージュだ。
北鎌倉にある澁澤の墓を訪ねると、今でも小さな貝殻やウイスキーの小瓶が人知れず置かれていることがある。 山間の小高い斜面にあるその場所で、彼はひっそりと木漏れ日を浴びながら、独りグラスを傾けながらオブジェを愛で続けているようだ。
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澁澤氏が個人で収集していた様々なオブジェについての本。エッセイや小説、展覧会のパンフレットへの寄稿文の文章を美しい写真とともに味わえます。博物学的な標本の数々を文学的に表現するというのは理系の視点からも文系の視点からも楽しめて良いものですね。
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心の中の玉手箱ですな。他人から見るとなんでもない物でも自分の玉手箱の中ではきらきら輝いている物たち。澁澤龍彦のなかでは、こういうものたちが輝いていたんですね。私の中では若き日に澁澤龍彦さんの本に出会ったことも宝物の一つです。
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欲しい本。
澁澤龍彦さんが集めた「オブジェ」を、沢渡朔さんの写真で澁澤さん自身の文章とともに紹介。
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[ 内容 ]
フランス文学者、作家、エッセイストとして、文化のさまざまな局面に力強いくさびを打ち込み、圧倒的な支持を受けた澁澤龍彦は、没後もなお光彩を放ち、人びとを惹きつけてやまない。
そして自ら「ドラコニア」と名づけた「龍彦の領土」には、澁澤龍彦の少年のような無垢な心を感じさせるオブジェが、今も息づいている。
本書は、それらのオブジェを、写真家・沢渡朔があるがままにとらえた写真と、澁澤龍彦自身の文章で構成した、ドラコニア・ワールドのオブジェ編であり、サド、エロチシズムと並ぶ澁澤龍彦の主要なテーマ「オブジェ」を具体的に浮かび上がらせたものである。
[ 目次 ]
プロローグ(私のコレクション;過ぎにしかた恋しきもの)
1 髑髏の巻(髑髏;絵のある石 ほか)
2 アストロラーブの巻(アストロラーブ;時計 ほか)
3 人形の巻(四谷シモン;ベルメール ほか)
4 庭へ(声;日時計)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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澁澤宅に招待されてもないのにそんな気になり、つい聞き入ってしまいたくなる素敵薀蓄を聞かせてもらいながら、蒐集した数々の美しいものを私の手垢でぎとぎとにしてやったかのような贅沢な読後感。やっぱりうっとりさせてくれるお部屋。そのどれもにうっすらとエロスを感じさせ、色んな妄想に耽ってしまう。澁澤はこれらの前で少年になってしまうのかもしれないけど、私だって少年になっちゃうよ。べたべた触ってその造形美を堪能したいもん。
あ、そうだ。澁澤の昆虫に対する態度ってのは、なんというか拷問に近い。猫がお腹一杯のとき獲物(蝉とか)を弄ったりするでしょ、そんな感じ。その都度虫死んでるとか思うんですけど。
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新書版で、これだけの写真、満足!共に収められている文章は、「単行本未収録」以外、ほとんど全部わが家の「澁澤棚」にあるもの(文庫がほとんどですからそれほど広くない)からですが、こんなふうに編纂され、そしてこんな写真が綺麗に挿入されていたら、やっぱり手元に置きたくなりますね。楽しみました。愉しむにじゅうぶんな1冊です。蛇足ながら、このような本が出るには、没後20年余、という時間が必要だったのかもしれませんし、そのへん、ほんとうに僅かなんですが屈託して眺めてしまう自分がいます。以上、蛇足。玉虫が、とってもきれい。たしかにわたしが小さい時には、割り合い玉虫を見かけたものだった、あの美しい虫を見なくなってどれくらい経つんだろう。幼かった私には「とってもきれいなタマムシ」が「美の基準」で、見えるもの・聞こえるもの等の別に関わらず、なんにでも玉虫をひき合いに出してました。「今日のお洋服は玉虫ぐらいきれい」とか。「この音楽、玉虫よりもきれいね〜」と、感極まって初めて「玉虫以上」と認定したのは、バッハの管弦楽組曲第二番です。幼稚園に入る前のことです。どんだけヘンな子どもだったか、母が「子どもらしくない」と心配した気持ちも、今となっては、よくわかります。これも蛇足でした。でも、玉虫、きれい。ガラスの球体、きれい。ガラスの瓶に何やら詰める私の癖も、加速しそうで、ちょっとこわい。
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氏の身近な品々に関する短い随筆と写真。持ち歩いてちびちび読んだ。氏のおちゃめな一面がちょくちょく顔を覗かせる随筆集だった。凸面鏡の話とムクロジの話が好き。
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美と悪と秘密の信奉者というイメージの強い澁澤龍彦のコレクション集。
神奈川近代文学館で開催された「澁澤龍彦展」でも、彼の作品と一緒に、凝りに凝ったさまざまなコレクションが展示されており、目を奪われてばかりでした。
サド作品を翻訳したことから、勝手に反社会的な黒い美学を貫いた作家だと思っていましたが、実際にはもっと健康的で、交流関係も広く、興味領域が多岐に渡っていたことがわかります。
妻の口を通して語られる彼は、好奇心旺盛な少年のままの心を持ち続ける純粋な人物だったようです。
ここまで自分の好きなものを集め、時間と手間とお金を存分にかけて入手したお気に入りのものたちに囲まれて暮らす生活を送るというのは、かなり満足感の高いものでしょう。
彼亡きあとは、それらが生前の彼を語る記録情報となっています。
単にお金の力で収集したというわけではなく、情熱を注いで理想のものを手に入れていることがうかがい知れます。
例えば、見たこともないような平たい球形の不思議な物体があり、それは自分で海から採ってきて、中身と針を抜いて乾燥させた海胆の殻だと紹介されていました。
また、ムクロジとは羽子板の羽根のお尻についている黒い球だということも彼は知っていました。
博覧強記で、なお実践的である氏の横顔が、残された品々から浮かび上がってきます。
花札にも言及しており、雨の素札で赤と黒の不可解なデザインについて語られていました。
私も子供のころからさっぱり意味がわからない絵ですが、これは氏によると、天井から雷神が手を伸ばして、落とした太鼓を引っ張り上げようとしている絵だそうです。
なるほど、と思って見返しましたが、それでもやはりよくわからないままでした。
これほどに凝った、彼にしか集められないコレクションこそ、現実世界からは一線を画する一つのワールドと呼べるものでしょう。
私はその中でも、ジャン・コクトーからの手紙にとても気持ちを惹かれました。
彼宛てではありませんが、サドの手紙も所蔵しているそうです。
本人ならではの濃密な世界を堅固に形づくっている、彼を物語るオブジェの数々。
本人がいなくても、澁澤龍彦という人の息遣いがまだ部屋中に色濃く残っているように感じられました。
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澁澤の部屋のオブジェたちを、文章つきで紹介する写真集。
彼の子供っぽい偏愛がうかがえる。
あんな部屋に住みたいなぁ。
部屋から生まれた文学的エッセイであったのだと理解できる。
「澁澤龍彦の少年世界」とはまさによくいったものである。
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澁澤龍彦の愛用品などの写真を澁澤自身の文章の抜粋で語る、タイトルどおりの本。文章は細切れだが、美しい写真と相俟って楽しい。雑誌に書いて、単行本に収録されていない文章もいくつかある。若冲の五百羅漢が好きで石峰寺に通っているという文章を書いたのは1977年だった。
澁澤夫人が編集しているのだが、澁澤十三回忌に飛んできた玉虫を生きたまま瓶詰にしてしまった、と書いているのには、ちょっと引いた。…
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カバー折り返しの惹句によれば―
「自ら『ドラコニア』と名づけた『龍彦の領土』には、澁澤龍彦の少年のような無垢な心を感じさせるオブジェが、今も息づいている」
おぉ、私も我がアトリヱを筆名「仏滅」に因んで「ブツメツィスタン」と命名することにした。
澁澤好きには堪えられない一冊。澁澤ゆかりのオブジェを『少女アリス』の沢渡朔が撮影し、関連する文章が、小説・随筆を問わず引用されているのだから。
博物学などの学問が細分化される以前、ディレッタント貴族らの玩弄物だった時代を窺わせる澁澤コレクションは、眼福この上ない。
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11年ぶりに再読。澁澤龍彦が偏愛したオブジェをテーマに彼が蒐集したコレクションを豊富なグラビアをつけて、彼の著作から選りすぐりのエッセイを収録した本。本書を読むと澁澤邸に訪れたような気分になります。北鎌倉はいつか訪れてみたい聖地です。