紙の本
”皮肉屋”モームの400フレーズ
2010/05/16 22:12
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
“サマーセット・モーム”懐かしい名前である。私の頃の英文解釈書にはその文章の一部が盛んに引用された作家である。そして、金星堂の対訳シリーズで、「サミング・アップ(抄)」「モーム短編集」等を読んだものだ。本書で久しぶりにモームの言葉に接して、あらためて原書で全文を読みなおしたい気持が起きてくる。昔と違い原書が安価かつ手軽に入手できることがありがたい。
最近、本書著者訳による「サミング・アップ」が出版されたようであるが、「あとがき」によると、本書はその際に発案されたものだそうである。それから3年近くを費やしたというが、著者が楽しみながら編纂したことが伝わってくるような興味深い「語録」である。
味わい深い洞察に満ちた「語録」であるが、こうしたものこそ、原文との対訳とするべきであったと思う。
投稿元:
レビューを見る
人生に意味などなく、人は生きることで何らかの目的を達成することはない生まれようと、生まれ麻衣と大した意味はないし、生きようと死のうと意味はない。生は無意味であり、死もまた然り。
自分の存在の無意味さゆえに、かえって力を得たようだった。
自分が物事の中心でなく周辺に立っているのを自覚するのが大事だ。
いかなる過酷な試練に遭遇しようとも、すべては複雑な模様の完成に寄与するだけなのだ。
他人にどう思われようと、全く気にならず、世間の常識から外れても少しも苦にならないものもいるのだ。
投稿元:
レビューを見る
サマセット・モームの言葉は、なかなかシニカルで、私にとってはバーナード・ショーの箴言やアンブローズ・ビアズの『悪魔の辞典』と並ぶ、風刺のきいたものです。
編者は執筆に三年かかったそうですが、モーム作品の訳者なので、誰よりも語録をまとめやすかったことでしょう。
全体的に、思ったよりも素直で正直な言葉が紹介されていたので、驚きました。
私は相当ひねくれ者というイメージを彼に持っているようです。
それでもやっぱり、通常の人よりはかなり偏屈ものではあったようで、
「私は批評家たちから、二十代には残忍、三十代には軽薄、四十代には皮肉、五十代には達者、六十代の今は皮相だと言われている。」(p139)と、淡々と語っています。
普段だと、名言集などでは、感銘を受ける雄々しい言葉を好んで選んでいますが、彼の語録に限っては、彼らしい(と思われる)皮肉たっぷりの言葉にばかり、目が留まりました。
「長い苦難の努力の末ようやく成功を得た作家は、成功が自分を破滅させる罠だと気づく。」p180
「思うに、人は友人をその長所でなく短所によって覚えているのである。」p182
「私は尊敬心が弱いようだ。人々を敬うより、面白がる方が性に合っている。」p130
「人間を観察して私が最も感銘を受けたのは、首尾一貫性の欠如していることである。」p133
長い文章の中を掲載し、その中の注目すべきフレーズを太字にしているのは、わかりやすいのですが、そこに「チェックすべし」とする編者の意図が見えてしまいます。
箴言のようにずばり端的な一文ではないのは、前後の話の流れがわかるという長所はありますが、逆に作品を切り貼りしたようにも思えました。
テーマ別にまとめられており、随所随所に編者の注も入っているため、いろいろな表現を通して彼の生への姿勢や考え方が見え、簡潔な理解につながりました。
私が抱くイメージは、彼のアフォリズムばかりで、実際の彼の作品は『月と六ペンス』程度しか読んでいなかったことに気づいたので、もっと文章を全体的に知って、作品として親しまなくてはとも思いました。
投稿元:
レビューを見る
人は一回性の人生をいかに生きるか、自分とはいかなる人間か、自分の人生を好奇心のままに生きることは正しい生き方なのか。社会的通念に従って生き、平和に穏やかに何事もなく平々凡々と生きることは理想的人生なのか、それとも生きながら墓場にいる死人なのか。
北九州市立大学:名誉教授 乘口眞一郎