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不妊問題をかかえた夫婦が、旦那さんの会社で起こった事故に巻き込まれて二人とも被爆してしまう。絶望の淵に立たされる彼らに、待ち望んでいた子供が宿る。被爆したことによる周囲からの罵倒・孤立、精神的なもろさ、二人のこれからは…。
絶望の中から希望の光を見出していくことの難しさは計り知れない。
それでも前に進むしかないんだな、と思わされた一冊。
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ふとしたきっかけで、放射能汚染の巻き添えになってしまった一組の夫婦。放射能除去のエクスパートが差し向けられるが、彼らの行った先々の放射能除去を行うために、近所・親兄弟・コミュニティからも遠ざけられる二人。平安はなかなか訪れない。もしかしたら、現実にどこかで起きそうなストーリーです。そして奥さんの妊娠が発覚。どうするか迷う二人。人生は、ふとしたきっかけでとんでもないことが降りかかってくることがあるんだなと思わずにはいられませんでした。
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2011.01.05読了。
とても40年以上前の作品とは思えない。まるで自分自身に起こった事実の様なリアルな感覚を覚えてしまった。だけどこれがもし映像化などされたならばその物語は一瞬で色褪せてしまうだろう。
読み終えた後にアルジャーノンの最後で流す涙とは全く違う涙が流れてしまう。
ダニエル・キイスが紡ぐ小説でしか決して味わえない世界。凄い。
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ダニエル・キイスの非常に重い長編小説。
ナショナル・モーターズ社に勤務するバーニーは、趣味の彫刻に打ち込むかたわら、妻のカレンと共にごく普通の生活を送っていた。子供がなかなか授からないことが悩みの種だったが、それを除けば幸せな日々。しかしそんな夫婦をある日悲劇が襲う。
職場で起こった放射能事故により、2人は知らぬうちに被曝してしまったのだ。夫婦を襲う放射線障害。しかし世間は彼らに辛辣な目を向ける。汚染が除去された後でさえ、彼らが滞在した場所、彼らが触れたもの、それらすべてが汚染されるかのように人々は彼らを避け始める。バーニーの手はまるで触れるものすべてを黄金に変えた上で破滅していったミダス王の手(ミダス・タッチ)のようだ。
あまりにも過酷な状況の中、カレンの妊娠が判明する。夫婦の仲も冷え切るなか、産まれてくる子供は果たしてこの世界に歓迎されるべき存在なのか。
原著The Touchは1968年に書かれたキイスにとって『アルジャーノン~』に続く第2長編である。邦訳は本国アメリカで2003年に改訂版が刊行されたのをきっかけに、2005年に刊行され、2010年に文庫化された。
原著発表から40年近くを経て改訂版を刊行した事について、キイス自身はあとがきで「読者に彼らのような試練に直面した人々の身になって感じ、考え、産業界や政府にまだまだなすべき仕事があることを通告してもらうためである」と述べている。つまり放射性物質の取り扱い方について、人間があまりにも無頓着である状況が長く続いているためだという。
作者のこの言葉だけでも本書は今こそ日本で読まれるべき小説である。もちろん福島の第一原発の事故の事だ。
国際的に注目を集めている福島第一原発の事故は、収束への糸口さえ掴めないまま時間だけが過ぎ去ろうとしている。周辺の野菜や牛乳は汚染が疑われ、日本中から敬遠されている。地元から転校してきた子供がその地域の子供たちにいじめられるという状況も報告されている。
まさにバーニーたち夫妻のような状況が福島で起きている。また諸外国からの観光客は現在日本への旅行を控えているという。国際的に見れば日本という国自体に差別的な視線が向けられている。
考える程に原子力というのは人類にはまだ到底扱えない技術なのではないかと思えてくる。経済効率を優先させる資本社会の中で原子力発電が必然的に選択されていったのも分かるが、逆にそんな社会の中で安全性が後回しにされていったという矛盾。
何度も指摘されているが、津波など想定外だったというのは言い訳にすぎない。ドイツの原発は航空機が墜落した場合の防護策まで安全基準に組み込まれているという。テロなどの非常事態を考えた場合、それくらいの防護策は当然なのだ。
キイスはあとがきでチェルノブイリやスリーマイル島の事故に加え、東海村の臨界事故にも言及している。我々はあの事故から何を学んだのか。
人知を超えた放射能の悪夢の中、いわれなき中傷と放射線障害の悪夢の中、やがてバーニーたちは新たな罵声を浴びせられる。彼らが会社を訴えて巨額の賠償金を勝ち取ろうとしているという噂に人��は嫉妬し始めたのだ。本来の意味でのミダス・タッチとなったバーニーの手に人々は好奇と嫌悪の目を向ける。
その様はリアルで、渦中で精神のバランスを崩していくバーニーの姿は痛切だ。
もちろん本書が描くのは放射線の恐怖だけではない。ありふれた夫婦がある日突然特殊な状況に陥った時、彼らはどうやって魂の救済を求めるのか。この物語はその足跡を描くものでもある。
今回の福島原発の事故で東京電力は1兆円以上の赤字を出したという。それだけでも経済社会で原子力を扱う事はリスクが大きすぎることがわかるが、キイスはまた次のように語る。
「個人がこうむった苦難が経費の計算や、貸借対照表のなかに算入されることはけっしてない」
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「アルジャーノンに花束を」のダニエル・キイスの作品。夫婦で事故によって被爆し、周囲の偏見やマスコミと戦って・・・という重いテーマで、だんだん、気持ちが暗くなってしまった。それにしても日本は広島長崎のことがあるから、被爆についてある程度の知識があるけれど、(と思ってるけど、実際どうなんでしょうね。)海外ってある程度の知識階級しか、知らないんじゃ?と思うことがある。以前に、アメリカの陸軍かなにかの訓練で、原子爆弾が爆発したときは、爆風をさけるため、体を低くして何かのかげに隠れるようにと言ってたのを見ました。爆心地から100m足らずでです。広島だったら、その何かごと塵と化してるように思うんですが・・・かと思うとこの本にあるように過剰反応してしまったり・・・でも、風評被害を恐れるせいか、被爆事故って長期的に取り扱われることって少ないような気がします。犠牲者の方のためでもあるのかなあ。そして、被爆事故って闇から闇へ葬られてることもあるような。近畿の膨大学の事務の方から聞いた話ですが、某大学と取引してる放射性廃棄物処理業者さん、放射性物質のプールに誤って落ち、放射性物質を吸い込んだため、肺がんで1ヶ月後なくなったそうです。放射性物質じゃなかったら、おそらく、ニュースねただと思うのですが、そんなニュース聞いたことないですよね?業者が隠蔽したのか、マスコミが自粛したのか・・・物理系の研究室でも、ちょっとした被爆事故はよくあるそうですが、それを国などに報告してしまうと、研究の妨げになるということで、言わないこともあるよう???実際、化学系や物理系の研究者の子供は女の子率が高いようです。(男の子の遺伝子の方が弱いので、過酷な環境だと男の子は生まれにくい。)でも、科学的な統計データは出ていない。なんでかというと、そういう研究者の方々は対外的には、危険な作業はしていない(被爆していない、危ない科学物質は扱っていない)という建前になっているからだそうです。怖いなー。とだいぶ話はずれたのですが、この話、どんどん追い詰められていくのがかなりつらいです。あと、タイトルのタッチってなんとかならないんですかね。ひどいです。私の年代でタッチといえば、あの有名な野球漫画でしょう。イメージが固定されちゃう。絵画などのタッチと、触れるのタッチの意味があるので、訳しにくいのでしょうが、その二つ(だけじゃないかもしれない)の意味を正確に思い浮かべられる読者がどのくらいいるかも微妙。少なくともタイトルは、こんなつけかたしないほうがいいと思うんだけどなー。
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放射能事故の恐ろしさはもちろん、放射線障害の苦痛、周囲からの差別など、人の心の動き、葛藤がメインに描かれる。
原書初版刊行時の時代背景に基づいているので、放射能汚染や放射線障害の記述については必ずしも正しくはないが、被災地で同じような精神的苦痛や差別を受けているかも知れないと思うと、改めてやり切れない気持ちになる。
ぜひとも国と東京電力には読んでもらいたい本だ。
被害者である主人公がなぜ自分たちが避難されるのかについて語る。
「被害者がいると人々は自責の念に駆られる、そしてその結果自己嫌悪になる、しかしこれは耐えがたい。そこで自責の念に駆られた心は、自己嫌悪に陥らないためにその憎悪を被害者に振り向けるんです。」と。
とても印象深い言葉だった。