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文字の大陸汚穢の都 明治人清国見聞録 みんなのレビュー

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紙の本

本書は、亡くなった草森紳一氏が大修館書店が発行していた中国学関係の雑誌『月刊しにか』に2002年4月号から2004年3月号まで全23回(休載一回)にわたって連載された「肘後集 明治人の中国見物」を単行本化したものである。

2010/12/27 13:44

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「肘後集」とは草森氏が愛した李賀「陳商に贈る」の「長安に男児有り 二十にして心は已に朽ちたり」に続く一句「楞伽は案前に堆く 楚辞は肘後にかかる」からとったものである。私は本書は『肘後集』と題して出版したほうが草森氏らしくて良かったと思うのだが、大修館編集部は「さすがに一般読者には伝わりにくい」と考え、草森氏との打合せ時、しきりに彼が口にした「汚穢」をキーワードにし、本書名となったという。出版不況の折、少しでも売り上げを伸ばしたい大修館の気持ちは痛いほど分かるが、そもそも草森紳一に「一般の読者」なんかいるのだろうか。よほどの物好きしか草森氏の本なんか手に取らないのじゃないか。そしてこの「よほどの物好き」は「肘後集」の方を好むはずと私は信じる。

本書の中身は副題に「明治人 清国見聞録」とあるように明治の錚々たる日本人が隣国たる清を訪問した際の記録を草森氏と共に読み込んでいくものである。草森氏が取り上げたのは尾崎行雄、原敬、岡千仭、榎本武揚、伊藤博文で、この中で、「一般の読者」に解説が必要なのは岡千仭くらいで、後はいずれ劣らぬ明治日本が生んだ大政治家ばかりである(岡千仭は旧仙台藩主で漢文の達人で最後は東京図書館長(帝国図書館=国立国会図書館の前身)にまで登りつめた人である。綺羅星のごとき明治の偉人が残した隣国清との出会いの記録をたどることさえなかなか出来ないことだが、数万巻を読破した偉大なる読書人草森紳一の導きでそれをたどることが出来る。しかも随所に読書人草森ならではのナイスな解説が入る。本書を通じて、明治の偉人達が、如何に隣国シナに相対し、これを冷徹な目で観察していたかを確認することが出来る。

さて、本書のキーワードたる「汚穢(おわい)」だが、これは主として尾崎行雄、原敬、岡千仭の清国見聞録に頻繁に登場するものであって、後半の榎本武揚や伊藤博文の巻にはほとんど登場しない言葉だ。先般、私は『梅棹忠夫 語る』について書評を書いた。その中で汚穢に関する梅棹の強烈なシナ体験が出てくる。梅棹は張家口にあった京都大学の西北研究所に勤務していたが、その研究所への通勤の途次、毎朝「信じられないような話やけど、中国で二年間生活してたとき、朝、研究所への通勤途中、道端でウンチしている(中国)人がいっぱいいた。ほんとうにすさまじい社会やった。道端に(中国人の)男がザーッと並んで、ウンチしているんです」という眞に信じられないような光景を目にしたという印象的な記述がある。脱糞に関する日本と中国のあまりの違いに関する強烈な印象が後に梅棹が『文明の生態史観』を発想するに至った原体験でもあるように思えてくる。シナかぶれの半可通が「梅棹の話は誇張だ。ウソだ」と喚いているようだが、本書を読むとシナとは昔も今も梅棹が描写したように汚穢の都とであって、市内至る所で男女が並んで脱糞し、市中にその臭気が充満する住むにたえない強烈な異空間であったことが確認できる。本書にも「北京の市民が男女問わず人多き街のど真ん中で五人乃至十人尻を列ねて大便を為す」という記述が出てくる(原敬の巻)。シナは貧しい。昔も今も。シナは自身を大国だと言い張るが、昔から公務員の給料は低く(だからこそ汚職が蔓延する)インフラに政府がカネを投じることがない。インフラ整備が進まないから一般市民はうんちを路上で行うのが長い長い伝統となっているのだ。こんな不潔な奴らが「文明国であるわけがない」と梅棹でなくても思うことだろう。上海などは城内に入ると、至る所に野グソがてんこ盛りで、それも人間さまが垂れ流したうんこのみならず、犬のうんち、ラクダのうんちと多種多様な汚穢が山をなして臭気ぷんぷん。北京や天津も同様の臭さで、しかも冬になるとこれらが冷凍保存され雪解けと共にまた臭うという念のいれよう。

本書での読みどころは岡千仭の巻と伊藤博文の巻だ。岡は漢文の大家であるが同時に開明思想の持ち主で、頑固に旧習を墨守するシナ人どもを見て歯がゆく思っている。シナを旅行中、岡はずっとフロックコートで通したという。その意味するところは「シナ人どもよ、我ら日本人を見習え。そうしないと西洋人どもの餌食になるぞ」だったのだが、自信過剰のシナ人には岡のメッセージは聞こえない。聞きたくない。こうしてシナ人どもは、やがて滅亡していくのである。この間の岡の悲憤慷慨が読んでいて興味深い。

伊藤博文の巻は、清末のシナの外交家李鴻章との甲申事変を巡る外交交渉の模様で占められている。フランスとの間で起きた清仏戦争を抱え、尻に火がついたシナは朝鮮如きを巡って日本との間で新たな火種を抱えている余裕はない。このシナの足元を見透かした伊藤博文は大国清を相手に堂々の外交交渉を展開する。常に微笑を湛えつつのらりくらりと相手の言い分を交わす「ぬらりひょん」スタイルは今に続くシナの伝統だが、その李鴻章に対し理路整然と詰将棋の如き理論を展開する伊藤博文は非常に優秀な政治家であったことを読者は知るであろう(今の政権とは大違いである)。

更に本書の価値を高めているのが随所に散りばめられた草森氏によるシナ論である。以下、その主なものを列挙する。

「中国の歴史を見れば恥も操もなく、実に卑劣の行いを極めているのが分かる」が「漢籍を盲信している日本人は、そこに書かれた道徳を見て、中国人がそのように生きていると思い込む」

「日中同文、隣同士の言い草は、日本人も中国人も盛んに用いる。日本人は本気にそう思っているところがあって、しばしば大失敗するが、中国人にとっては、お世辞の方便でしかない」

科挙の弊害は社会の上流階級の子弟に大量の落ちこぼれを生み、彼らが世をすねることで社会が退廃することであると草森氏は言う。「(金持ちの)子弟は、89歳になると、必ず師を招き、科挙の受験勉強に入る」「(彼ら金持ちの子弟は)いたれりつくせりの待遇の中で育ち、衣食の憂いもなく、自足しており、驕奢に流れるようになり、試験に落ちるようになると酒色に溺れ、不平を漏らすようになる。頽然と自暴自棄となり、その心は世事のことなど見向きもしなくなる」「あげくに阿片に溺れ、資産を蕩尽し、子女を売り払い、性命を縮めるようになるが、自ら悔いることはない」

残念なことに本書は未完である。予定では天津談判の最後まで至るはずであったが、その前に草森紳一氏は他界してしまった。天津談判の終わりに伊藤博文が「シナなるもの」を如何に感じることになったのか、是非草森氏の筆で、これを解明してもらいたかった。

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2011/03/27 00:38

投稿元:ブクログ

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