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源氏物語は紫式部自身が「源氏の物語」と呼んでいたとのことから、これは光源氏ではなく、当時の本当の源氏をさしているとして延喜天暦の治の時代に活躍した源融、源高明がモデルであって藤原道長はモデルではないとのこと。源高明の屋敷・別邸の名前が似ていること、天皇の名前が、小説中では桐壷・朱雀になっているが、この2人が延喜天暦の醍醐・村上天皇に比することが自然と考えられることなども、小説の時代設定が思ったよりも過去になっている可能性がありそうですね。源氏にとっての過去の良き時代を描いたものでしょうか。そして後半には光源氏を藤原伊周、敦康親王(一条天皇・藤原定子の子)の人生と重なる部分もあるなど、源氏物語が必ずしも1人の人物をモデルとした1つの小説として出来上がったものではなく、短編集が天皇・皇后の人生を想起させる部分が多く含まれ、彼らのために書かれていったものであるという説を展開していきます。54巻の名前の由来、本筋と番外編のような2つの流れがあることなども興味深い説明です。巻名の多くが掛言葉からなっている「葵とあふ日」「澪標と身を尽くし」「明石と明かし」「御幸と深雪」などがその例です。幻の書があったのではと言われる「輝く日の宮」は藤原彰子中宮と敦康親王の関係を慮って道長が削除させたのではないかというのも大胆な推理です。 また、藤原氏は「春日」という言葉が象徴していることから、玉鬘が藤原氏の姫としての扱いになっていると思われる記述があることから、むしろ父の頭中将が藤原氏ではないかという著者の推理は大変説得力があります。
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源氏物語の真相、というのは
少々大げさなタイトルだとは思うけれど
私が今まで全く思ってもみなかった源氏物語の深奥を
垣間見せてくれた
特に和歌について。
現代の私たちには、当時ほどの和歌の知識はないので
例えば「をちかた人にものもうす」などとあっても
その言葉どうりの意味しか捉えられない。
が、
平安貴族は和歌を常識・教養として嗜んでいるから
その言葉から、いろいろな和歌を連想し
さまざまな意味が伝えられる、ということ。
ちょうど、今、モナ・リザといえば
ただの人名ではなく、ダビンチの絵画を想起するように
またそこから謎めいた微笑の美女を連想するように、
平安期の貴族はただ一言から和歌を連想して、
その和歌にまつわる情景や感情を共有できたのだろう。
なので、源氏物語の各帖名からも(それだけで)
ある情景や状況が連想できる、という。
そうだとすると、
今、私たちが読む源氏物語よりずっと情報が多い物語を当時の人は読んでいたことになる。
きっと、そうだったのだと納得させられる。
なんて奥深いことか!
本当にまいった。
源氏物語を読み込むのって、終わりのない試みだ・・
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和歌をもとに分析しているため、読んでも読んでも古の和歌ばかりで若干退屈な時もあったが、『源氏物語』における藤原氏と源氏の描き方、女君の名前と巻名の由来、存在したはずの「輝く日の宮」巻など、私が今までもっていなかった新しい視点の論が多く、その点はとても面白かった。