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尊敬する俳優アル・パチーノを育てたというウタ・ハーゲンの著書。
演技とは何か、役作りの方法など、俳優にとって必要なことが細かく丁寧に書かれている。
自分にとっての演技のバイブルで、困ったらいつもここに戻ってくる。
かなり良書だが、あまり信仰しすぎるのもよくない。本にもあるように、役に対しては様々なアプローチをするべきであることを忘れてはいけない。
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アドラー著「魂の演技レッスン22」と並んで、演技論では評価が高い本。本全体のトーンは「魂の演技レッスン22」と同じ。こちらの著者もハリウッド有名俳優の多くを育てている。
<イントロダクション>
・演じることにも技術が必要。俳優の技術は軽く見られている。素人がこぞって演技を批評するから。音楽の素人は、バイオリン奏者の弓使いがどうだと語ったりしません。美術の知識がない人は、ブラシのテクニックがどうだと評価しません。なのに俳優だけ誰もが茶々を入れたがる。また悪いことに俳優もそれらの声に耳を傾けてしまう。そして、演技には技術や才能は関係ないんだとますます思い込んでしまう。演技力を伸ばすことは、きっと誰にもできるはず。
<第1章コンセプト>
・演技には2種類ある。1つは表面的、形式的な「描写の演技」である。もう1つはリアルな、人間そのものを見ているような、「役を生きる演技」である。
・描写の演技は、人からどう見えるかを意識。役を生きる演技は、今という瞬間を生き、行動する。(脚本家にも2種類ある。ストーリー、構成、見せ方重視の「ストーリーの脚本」、人物をリアルに描く「生きる脚本」)
・いい作品を上演するだけではダメ。時代が抱える問題点を描く視点を持つ。
・「世の中のことは知らないけれど、私の理想は」と語ることは誰にもできる。今の状況を十分認識したうえで、理想を掲げるべき。「現状のままでいいです」では、都合がよすぎ。現実逃避している。「闘ってやろうじゃないか」と言うためには、知識と個性が必要。
・自分以外のものに評価の基準を求めると、何が正しいんだろうという問いから抜け出せなくなる。
・自分でゴールを設定する。練習時間や勉強の習慣も自分で作る。生活の大変さを言訳にせず、やるべきことをしっかりとやる。
<第2章アイデンティティ>
・ハムレットのホレイショー役を演じてくださいと言われたら、あなたが頭に思い浮かべるのは「ホレイショーの演技」。リアルな「ホレイショーという人間」ではないはず。ホレイショーをリアルな人として考えて欲しい。他の俳優の真似をせず。
<第7章思考>
・演技と関係ないことは、楽屋に入る前にすべて捨てる。どう見られているか、よく見られたいという自意識過剰は捨てる。作品の世界に属するインナー・オブジェクトを強く大きくあなたのなかに刻み込む。劇の中の人物にリアリティーが感じられなければ、リアルな思考も生み出せない。
<第13章イミディアシー:今、目の前にあること>
・「私はこうしたい」と思うゴールに向けて、アクションを行うこと。先のことを頭で考えず、今、この瞬間に集中すること。
<第21章脚本を初めて読む時>
・読んだ時の印象をいっさい捨てて、作品を根本から主観的に探るとうまくいく。私は誰だろう? 私は何を欲しいんだろう? 私は何をするんだろう? 作品の中にある私を見つけていくと、人間的な深みを演技にもたらすことができた。(脚本を書く時にも必要な心構え)
<第24章関係>
・敵対人物イコール悪人ではな���。主人公と対等に演じるために、敵対者が望むことをはっきりさせよう。
<第25章目的>
・作品全体を通じて、人物が求めているもの。
・作品の各シーンの中で、人物が求めるもの。
・シーンの中で次から次へと生まれる、人物のゴール/ビートのなかで、人物が求めるもの。
・「したい」と「しなければならない」の違いに気をつける。目的と義務を一緒にしないこと。「家を掃除しなければ」と「家を掃除したい」では、アクションが違ってくる。本心から求めることを探る。「しなければならないこと」は「したいこと」を邪魔する障害かもしれない。(リアルな人生にも当てはまること)
<第27章リハーサル>
・一番貴重なことは、自分自身の中で失敗したことはなかったか、自分で気づくこと。「今、この瞬間」ではなく、先のことを計算して演技した瞬間はなかったか?「こうなったら、次はこうする」というロジックに従って、動けなかったところはあったか? しっかり気づく。(脚本を書く時も有用)
<第29章実践上の問題:俳優業についてのQ&A>
「才能はありますか?」
・マックス・ラインハルトの言葉「才能はいらないよ! 粘り強くいけるかい?」。著者の母の言葉「才能がある人はたくさんいます。才能をどう生かすかが、アーティストになれるかどうかの分かれ道!」。
「私は演技しすぎですか?」
・演技には過剰も不足もない。演技は演技。その瞬間にふさわしい演技であれば、大きい小さいは関係ない。演技しすぎた、大げさだと言われたとき、本当は何を意味しているか?
相手役と真のやり取りをしておらず、観客にどう伝わるかを意識して演技している。自分が感じた感覚や興奮を意識しすぎている。自分で創り出した感情に浸っている。一方で、演技を抑えすぎと言われたら、外に見える部分をなぞっているだけの場合が多い。劇中にあるべきリアリティに関係なく、「自然な感じ」に見える仕草をしているだけだろう。
「観客に向けて語る演技は、どうしたらいいですか?」
・独り言にしない。観客を相手役に見立てる。
<第30章コミュニケーション>
・伝わるだろうかと考えるのは、作品が完成してからでいい。それまでは自分の視点に立って創作する。
・その一方で忘れてはならないことがある。俳優が演じるのは、何かを伝えるため。自分自身のために演じて終わりではない。
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嘘と演技について迷い、手に取った。
俳優ではないので細かいことは分からないが、「演技」というものを読む前よりも肯定的に捉えることができるようになった。