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今年、新装版として中公選書に入った本書の書評(『経済学史研究』第53巻1号)。
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本書は,第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての時代に,「総力戦」に直面した日本の経済学者たちの言説や行動について論じたものであり,単に学説史的・思想史的叙述にとどまらず,当時の社会状況との相互関連性をも視野に入れながら叙述されている.著者自身,このような叙述スタイルについて,「通常の経済学史,経済思想史というよりも「経済学の社会史」いう方が適切かもしれない」(iii頁)と述べている.この自己評価の妥当性については,最後に総括しよう.
著者はまず,留学中に第一次世界大戦を目の当たりにし,大きな思想的影響を受けた河上肇から筆を起こす.河上は,第一次世界大戦中のドイツが採った総力戦体制を評価し,そこに資本主義の矛盾を克服する鍵を見いだした.「おそらく河上は,第一次世界大戦における総力戦への突入を体験しなければ「経済組織の改造」が具体的にどのようなことかを想像することはできず,また「利己主義」から「利他主義」への変化の実現可能性を信じることができず,『貧乏物語』を書くこともなかったのではないかと思われる」(17頁)という見解は,「戦時下の経済学者」の先駆けとして河上を措定する本書全体の導きの糸となっている.
日本が真に「総力戦」を体験した戦時下の叙述は,ノモンハンにおける敗戦と欧州における第二次世界大戦勃発を契機に結成された「陸軍省戦争経済研究班」(通称,秋丸機関)についてから始まる.ここでは,組織誕生の経緯から実際の陸軍の戦略・戦術への影響,そして終戦後の遺産に至るまでの詳細が叙述される(秋丸機関に触発されて海軍でも同様のブレーントラストが形成されたことも指摘されている).秋丸機関に関与した経済学者は多数存在したが,河上と同じように第一次世界大戦中のドイツに留学した有沢広巳の総力戦体制に関する研究が重要であった.陸軍は,有沢らの研究を利用しながら戦争を遂行していったが,経済学が戦争遂行に動員されただけではなかった.秋丸機関での研究成果は,戦後,「傾斜生産方式」の実現などに引き継がれていった.
河上の経済思想が陸海軍の総力戦研究に与えた影響は間接的なものであったが,「経済新体制運動」をめぐる二人の経済学者として取り上げられている柴田敬と山本勝市の場合,その影響はより直接的なものであった.京都帝大で河上のゼミに学び,一般均衡論とマルクス主義経済学の統合を目指した柴田は,独占による利潤率低下のもとではケインズ的な経済政策が無効になることを主張し,ケインズの修正資本主義とは異なる,国家主義的立場から資本主義の矛盾を克服しようとした.しかし柴田の経済学は,やがて作田荘一の「皇国経済学」と共鳴していく.対して同じく河上のもとで学んだ山本勝市は,当初から社会主義には懐疑的であり,当時の社会主義経済計算論争の研究から計画経済・統制経済批判を経て,国家のための経済自由主義を主張するにいたる.山本の主張には戦後ハイエクが展開したグレート・ソサエティ論を先取りする論点が含まれていた.そして,戦後は石橋湛山の政治的同志として活躍することになる.���じく河上の影響を受けながら,まったく異なる道を行くことになったこの二人の経済学者の対比は興味深い.
第3章では,戦時下において西洋思想排撃と日本独自の学問確立を担わされることになった経済学をめぐる思想的葛藤が描かれる.そこでは理論の純粋性を標榜する経済学が,統制経済を「アカ」と攻撃する立場と同一の政治的立場に立たされるといったように,逆に体制擁護のイデオロギーに転化するねじれ現象が生じた.「純粋経済学」それ自体が目指すものは市場経済メカニズムの解明であったが,けっして政治から無縁ではありえなかったのである.また日本経済の後進性を「半封建的」と規定する講座派マルクス主義の主張は,日本の独自性(転じて卓越性)を強調した「理論」を指向する「日本経済学」の立場と,合わせ鏡の関係に立つことにもなった.
このような経済学と政治をめぐる問題は,第4章の「「近代経済学」の誕生」において,とくに戦時下においても理論経済学の重要性を説き続けた高田保馬に焦点を当てつつ角度を変えて描かれている.高田の学問的立場とその政治的利用可能性は,戦時下にあっても経済学理論の摂取を可能にした.このことは,戦後の「近代経済学」にその立脚点を与えたのであるが,まさにそれゆえ,日本では近代経済学とマルクス経済学がその内実とは別に,体制か反体制かという政治的イデオロギーと密接に関連しながら展開していくこととなった.
最後に終章では,戦時下から戦後において独自の活躍をなした高橋亀吉が,河上肇と対比されながら論じられる.高橋の「生産力を維持するための資本の浪費の廃絶」という生産力主義の発想は,河上の「富者による贅沢品需要」という着想と類似するものであった.しかし,河上が利己主義から利他主義への経済倫理の転換を重視したのに対して,高橋は総力戦体制下の現実を踏まえ,利己主義を認めつつも峻烈な刑罰によって統制の実効性を高めようとした.高橋は,日本の戦後復興においても総力戦の経験が活かされることを確信していた.
さまざまな知見にあふれた本書の叙述を要約することは難しい.しかし,一貫しているのは,第一次世界大戦に大きな影響を受けて構築された河上の経済学が,第二次世界大戦という日本がはじめて経験した総力戦遂行にあたって,様々な「戦時下の経済学者」に対しても影響を持ち続けたということであり,そして,戦時下の「思想戦」の経験が,戦後日本経済学の出発点を規定したということである.
河上を出発点としつつ,戦時下という特殊な政治的状況の中の経済学者たちを適確に描いてみせた本書は,若き俊英の意欲作と言って良い.しかし,本書が第二次世界大戦という限定された状況に焦点を合わせていることで,両大戦間期の叙述がすっぽりと抜け落ちてしまっていることは,無い物ねだりかもしれないが,いささか残念に思う.河上と「戦時下の経済学者」の間に存在した「戦間期の経済学者」についての著者の見解は是非知りたいところである.
最後により根本的な疑問を一つ呈しておきたい.それは,「総力戦」の経験が直接的には第一次世界大戦に求められることは間違いないにしても,日本にとっては,むしろ日露戦争の経験が重要であったのではないかという点である.思想史的に見れば,国家社会主義者・北一輝の『国体論及び純正社会主義』が1906年に刊行されていることからもそれは明らかであろうし,政策レベルでも,地方改良運動や都市における社会政策への注目等々において,経済組織改造への志向が見られたのは日露戦後期からだからである.
本書は,河上肇というフレームワークから見たという条件付きで,戦時中の「経済学の社会史」を描くことに成功していると言える.しかし,逆にそのフレームワークをはずしたとき,また別の社会史が描けるようにも思われるのである.