投稿元:
レビューを見る
【労働者に向けて】
「かれらは世界を獲得しなければならない」p45
フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
「宗教が人間をつくったのではない、人間が宗教をつくったのだ」p69
マルクス「ドイツ人の解放は人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、それの心臓はプロレタリアートである」p175
投稿元:
レビューを見る
『資本論』に至る前のマルクスの思考の過程。青年マルクスが当時の社会の何を憂いどのように変えようとしたか、がとてもおもしろい。
内田樹は変わった視点からでおもしろい。
自分の考えの浅さ、知識の無さを改めた感じる。
投稿元:
レビューを見る
マルクスの書いた「事柄」とマルクスという「人」の二つの焦点があるとすると、石川氏が事柄、内田氏が人担当というように読めた。それにしても、内田氏の視点はあっと思わせる深く、ユニークである。
マルクスという人に改めて興味を持った。
投稿元:
レビューを見る
内田樹氏のブログに掲載された韓国版の序文を読んだ。マルクスを読むことが、「大人」形成の装置という考えに、いわゆるもうマルクスを読まなくなったと言われる世代の私だけど、とても共感した。まだ、私が小中高生だったころは、そういう時代を抜けてきた先生がいて、弱者に対する視点というものを、社会や国語や音楽の授業で叩き込まれた気がする。共産主義は至上善なのだと、素直に理解すれば、そう思うくらいに教育は弱者視点で作られていた。結果として、その理想社会の実現の難しさが明らかになった今、もうマルクスは取るに足らないものとして片付けられているが、そこにある青くさいまでの正義感はやはり若者が一度は感じなければいけないのではないか。そんなことを思いました。
投稿元:
レビューを見る
内田樹氏と石川康宏氏の往復書簡の形を取った、高校生向きに書かれたマルクスの入門書。著者の1人内田氏によると、「「マルクスはすごいぞ(だから、ぜひ読んでね)」ということをマルクスの「マの字」も知らない若者たちにご理解いただきたい」という趣旨で作られた本だという。続編の刊行が前提で、本書では、マルクスの若い頃の著作『共産党宣言』『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』のみが扱われている。それぞれの著作について、石川氏が内容を概観し、内田氏が著作内の特定の部分について面白おかしく感想を述べるというような流れになっている。
そこまでマルクスの各著作についてわかりやすい解説になっているかというと微妙なところではあるが、マルクスについて学ぶきっかけとしては良い本ではないかと思う。マルクスと一口にいっても、各著作ごとに考えが成長・変化していっているということもよくわかった。
投稿元:
レビューを見る
アンフェアな社会の実情を無視することのできない、人間的で熱いマルクスが好きです。自分の力を総動員して問題を突き詰め、ぐいぐい探求して、答えを探り当てようとする。そういうマルクスの「熱」を、マルクスのことが大好きな素敵なおじさま方が丁寧に、熱意を持って教えてくれる本。
私的マルクス体験で言うと、初めて世界史でマルクスを知った時、共産党宣言のあの有名な文句を何度も暗唱してたことを思い出しました。マルクスを読むと胸が熱くなる。
投稿元:
レビューを見る
マルクスは熱血漢だった。
知的な熱血漢。
漫画家に喩えると島本和彦だな。
=ぼくはマルクスが好きだな。
帰納法的証明おわり。
石川康宏氏が地盤を固め、
内田樹先生がそれを踏み台にするというスタイルの本書(偏見)。
だから、
内田樹先生が面白いのは当然である。
足蹴にしてるんだから。
それを差し引いても、
彼のエンターテイナーとしての芸は卓越している。
芸人で言うとバカリズム的(もっとすごいけど)。
優れて豊かな視点だな、とつくづく思う。
石川氏の言説も知識面では非常に充実している。
歴史的経緯や背景を盛り込んでいるため、
パースペクティブがしっかりとれていて分かりやすい(あまり理解してないけど)。
この文章を書きながらふと思ったけれど、
本書は掛け合い漫才のようなものだな。
石川氏がまず振り、内田先生がボケる。
そして石川氏が突っ込み次の振りへ、という具合に。
投稿元:
レビューを見る
時間をおいて再読したら、もう一歩先に進めそうです。
今回、学んだことは、「~すべき」という言い方は「しなさい」と命令するより効果があるということ。
投稿元:
レビューを見る
内田樹と石川康宏の共著。
お互いに書簡を1通ずつ書いていくという文通形式で進む。
マルクスの思想を分かりやすく噛み砕いて紹介する趣旨の本であるが、石川康宏の書簡は網羅的である代わりにどうやら噛み砕くつもりが無いらしく難解。
内田樹の書簡は、僕のバイアスを認めつつもやはり分かりやすく興味を引く内容だが、部分的すぎる難も否めない。
内田樹の第6書簡と第8書簡が☆5の評価に値すると思いましたが、他がいまいちだったので全体としては☆3にしました。
でもまあ、確かにマルクスは面白そう!とは思いました。
巻は続くようなので、期待しておきます。
投稿元:
レビューを見る
「世の大人がこれだけ夢中になっているものだから、おもしろいものだよ。」
とゴルフを勧められ数回うちっぱなしに行ったことがあるけれど(残念ながら長続きはしていない)、これだけ名前を聞くマルクスについて読んでおいてもいいのかもなぁ、と手に取った本。
『マルクスを読んでいると、自分の思考の枠組み(「檻」と言ってもいいかもしれません)を外側からがんがん揺さぶられて、檻の壁に亀裂が走り、鉄格子が緩んでくるような感じがする。』
僕の中では、差別が当たり前だった世界から民主化を経て今の平等な社会に発展してきた、という感覚がなんとなくある。人権が保証された平等な社会に生まれて良かったなぁという感覚。
けれど、歴史は現在に向けて一直線に進化してきたものではないはずだし、今の社会が最善のものであるわけではもちろんながらない。そもそも、「効率」を第一とした高度資本主義社会が良いものなんだろうか。社会で成功できないのは能力がないからだ、と解釈されるような社会が。
僕が当たり前に受け入れている常識は正しいのだろうか。
なんてことをごちゃごちゃ考えさせられるいい本でした。
本としては高校生向けとのことで読みやすいけど、やっぱり難しい。(とても高校生向けとは思えない!)
内容を実感できるようになる(心の底から理解する)には人間としての経験とか成長といったものがまだまだ必要だろうな。
投稿元:
レビューを見る
政治、共産党、旧社会党出身者の愚行、全共闘世代、そのあたり
の思想、考えのルーツを知りたいがためにマルクスを読んでみたい
と思ったのがこの本を手にしたきっかけ。
「資本論」は経済を勉強する中で出てくるので断片的に知っている
が、この「資本論」と「共産党宣言」をどういう経緯でマルクスが著す
ことになったのかが知りたいと思った。
若くは無いが読んだことはないので教えてもらう。
この本では20代のマルクスが著した、「共産党宣言」、「ユダヤ人
問題によせて」、「ヘーゲル法哲学批判序説」、「経済学・哲学草稿」、
「ドイツ・イデオロギー」について、石川康宏氏、内田樹氏が書簡を
やりとりする形式で紹介する構成となっている。
石川氏は20代のマルクスの情熱を、内田氏は「共産党宣言」について
跳躍感、浮き足立つ感覚を魅力として紹介している。
情熱、跳躍感、たぶんこれがキーワードではないか。
両氏曰く、するめのようなものであるとされているので、難解と感じても
繰り返し読み返せば何か思い当たるのであろうか。
そういう捉え方があるのだと参考になった。
投稿元:
レビューを見る
30年前の大学時代に石川先生のような人にマルクスを習ったら随分、マルクスについての印象も違ったんだろうな。学生の頃は、初期マルクスとかマルクスはマルクス主義者じゃないとか言われて、何のこっちゃと思っていました。
石川先生の初期マルクスの解説に内田先生が別角度から感想を加える。確かに、高校生には難しいかな。
何者であるかではなく、何をするかで人間は決まる。まず人間を規定したフォイエルバッハへの批判が史的唯物史観とのこと。へえー、と自分の理解と違うところ多々あり、その意味では有意義な読書でした。
続編が、出たら間違いなく買います。マルクスの可能性や限界、誤謬についてまた熱く語って欲しい。
投稿元:
レビューを見る
「これは高校生向けに書かれたマルクスの案内書です」と前書きにあるので、オバサン読者はお呼びじゃないのだろうが、かまわず読むのである。
神戸女学院の同僚であるお二人の往復書簡という形で、マルクスの初期の著作が紹介されている。「共産党宣言」「経哲草稿」「ドイツイデオロギー」。おお懐かしい。大学時代、政党・党派色のない研究会で、哲学科の院生にチューターをしてもらって読んだ。あれを教授はどう語るのか?
主に石川先生が著作の内容とその背景となる状況の概略を説明し、それを受けて内田先生が好きなように語るという形を取っている。だから仕方がないことだとは思うが、圧倒的に内田先生のが面白くて読ませる。石川先生のは正直言ってとばし読み。真面目に説明してあるのにゴメンナサイ。
内田先生のお話は、あちこちで「そうか!」と思うところがあり、非常にひきつけられた。マルクスの魅力は、なんといってもその高い倫理性にあるという指摘には特に納得させられた。以下、いつもの通り本文から。
「共産党宣言」の章より
「『万国のプロレタリア団結せよ』すばらしい結びの言葉ですね」「世界に正義と公正をもたらすための戦いの基本的な構えが『団結』であるというところにぼくはマルクスの偉大さを感じます」「真の革命宣言は『憎しみ』や『破壊』を称揚する言葉ではなく、『友愛』の言葉で終わらなければならない。このきわめて人間的な構えにおいて、マルクスは一九世紀、二〇世紀の無数の凡庸な革命家達に卓越しているとぼくは思っています」
「ユダヤ人問題に寄せて」「ヘーゲル法哲学批判序説」の章より
「マルクスは『プロレタリアに全権を』というテーゼを贈与の構文で書きました。このテーゼはプロレタリアでないマルクスが『自分の所有物』を贈り物として差し出しながら言っているがゆえに倫理性を維持できている」「人間は自分が手に入れたいと望むものをまず他者に贈与することによってしか手に入れることができない」「近代市民社会の成員達は『私人』と『公民』の二つのありように分裂している。そして、私人であることの方が本来的なあり方だと、ぼくたち自身も深く信じています。マルクスは『それはおかしいのではないか』と言うのです。『自分さえよければそれでいいが、いろいろうるさいから法律には従う』というような人間を作り出すために人類は営々と努力してきたわけではないだろう。人間が真に解放されるというのは、そういうことではないだろう、と」
おまけ
「ドイツ・イデオロギー」の有名な箇所(「朝には狩猟を、昼に魚取りを〜」のくだり)を内田先生も引用して「ぼくがもっとも感動したもの」と書いている。なぜ「内田先生も」かというと、私はこれを高校生の時、庄司薫の赤頭巾ちゃんシリーズの主人公薫クンが「ちょっとうっとりする」(正確ではないがそんなような言葉だった)と言っているのを読んで以来、忘れられないからなのであった。内田先生は、薫クン(主人公の方ね。作者ではなく)と同じ1950年生まれの日比谷高校生だったのだ。うーん。
投稿元:
レビューを見る
何を成し遂げた人か解ってるようで解ってないマルクスの思想、その背景の一端でもつかめればと高校生をターゲットしたとまえがきにあるこの本を、内田さんが著してることもあり買ってみた。ふたりの書簡形式で進んでいくこの本、石川さんのパートが読みづらいものがあり挫折しそうだったが、良い頃合いに内田さんのパートに移り持ちこたえるということを繰り返し何とか読了に至ったという体たらくだった。とはいうものの、何を以て正しいか、正しくないかという基準は与えられるものでなく、自分で練り上げていくマルクスのスタイルは嫌いじゃ無い。
投稿元:
レビューを見る
http://staygold1979.blog.fc2.com/blog-entry-170.html