投稿元:
レビューを見る
140614 中央図書館
色々な地域、自治体が、美しい景観のまちの実現を求めて、ディベロッパーや地元の意見を苦労してまとめ、電力会社やNTTと交渉して、電線のない街並を(限定されたエリア)で実現した例を並べ、「頑張ればできるのです。皆さんも努力しましょう」と啓発する。
実際に美観が尊重されるべきである、と地元が合意しているエリアにおいて、一定の適正な受益者負担のもとに電線地中化がはかられるのは、好ましいことである。しかし、地中化電線のシステムは、架空電線システムに比べ、どうしても数倍のコストが、イニシャル、メンテナンスを通じて均等経費として必要であることに間違いない。一部の自治体が、自分たちのエリアの電線地中化コストの一般負担化(すなわち自分たち以外へのコストのつけまわし)を主張するのは、公平性の観点からは同意できない。また、地中電線のシステムは、頻繁な区割り門標の変更や建物更改に伴う引き込み変更に対してどうしても柔軟性がない。また専門家にしかわからないのであろうが、高圧の地中電線は通常の絶縁電線ではなく「電力ケーブル」と呼ばれるものであって、線の途中で頻繁な分岐の追加削除ということは、不可能ではないが、面倒であるし全体の信頼度を著しく下げてしまう。また、電力ケーブルというのは素人が思うほど安定した設備ではなく、ある確率でどうしても「絶縁破壊」事故を防ぎ得ない。そのとき、架空電線システムと異なり、電気の復旧に非常な長時間を要する。また地上に設置する分岐箱や変圧器箱が車両衝突で痛むリスクも、無視できない。こういうリスクに対して架空電線並みの信頼度を維持するためには、設備の冗長性を上げるしかなく、ただでさえ高いコストがさらに上昇してしまう。
このように、公平性、コスト、信頼性の面からみて、電線の地中化は必要性を吟味して慎重に進めるべきものであって、現在、小池百合子などの一部超党派議員が主張するように、公共事業的対策を隠れ蓑に人々の情緒に訴えて軽卒に進めるべきものではない。