紙の本
セナとプロスト
2015/02/02 17:28
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投稿者:おーたけさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
プロストファンだった私にとっては、プロストサイドからの見解の解釈の仕方で心地よく読むことができましたが、セナファン=アンチプロストにとっては読んでいてあまりよい気持ちがしない本の内容ではないかと思います。ただ関係者からの証言に沿って執筆されているため、内容自体の信憑性は高いと思いますし、当時を振り返る上ではよい本だと思います。
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16年の年月を経て、ようやく落ち着いて真実に向き合う事が出来る様になった・・・。
9/28 追記:連休中に読み終わり、ようやく一息ついたところです。当時日本ではプロスト(政治力)を一方的な悪と捉え報道されていたけど報道されなかった部分が数多く紹介され、またプロストが動揺した状況など初めて知り非常に驚かされた一冊。
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会社の先輩から借りた本。私はシューマッハとF・アロンソの時代からしか
見ていないニワカだから、セナとプロストの戦いがどれだけ激しかったのか
知らない。でも、これを読んでわかったことがある。F1は、ドラマの連続だ。
アラン・プロストを軸に語られる。
フェラーリのジル・ビルヌーブとディディエ・ビローニの確執、そして死。
元王者、ニキ・ラウダと若きプロスト。
マクラーレンのエースドライバ、プロストと若きセナ。
エースとなったセナ、ふたりの「最速」ドライバーの激突、確執。
ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルの『四天王』。
1989年のイモラでのトサコーナーとプロストのフェラーリ移籍。
1990年の鈴鹿での”特攻”。
1991年の屈辱と1992年の浪人、1993年の和解、
そして1994年5月1日のサンマリノ、イモラサーキット。
最後、泣きそうになった。どっちにも感情移入してないのに、謎の感情が涙を出してやろうと試みてきた。
虚無感だけが残った。
1979年の初夏、ホーガンが目をつけたのは、アラン・プロストという名のフランス人ドライバーだった。
「あの瞬間から、私は走り方を変えた。私にとって《1982年》が決定的な瞬間になったことを、今でも覚えている」
「誰かを殺してでも、タイトルが欲しいのか?」
「聖書に誓って言う、私は黒旗を見ていない」(ナイジェル・マンセル)
1994年5月1日、日曜日
だが、それきり彼は動かなかった。ゾッとするほど、ピクリとも動かなかった。
あまりにも短すぎたアイルトン・セナの人生はしかし、アラン・プロストと共に語り継がれる時、伝説となって、永遠に生き続ける―。
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アンチプロストですが、プロストの言い分も聞こうと思い読んでみました。
セナファンは変わりませんが読んでよかったと思いました。
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セナ・プロ世代である私にはビッたんこはまる話であり、懐かしい話であった。両者とも強烈な個性でなければチャンピオンにはなれなかっただろうし、衝突は必然であったのが良くわかる。本書はプロストの言葉を多く挟んで書かれており、どちらかと言えばセナのエキセントリックで自己中心的な振る舞いが強調されているきらいがある。でも、それらも含めセナの魅力なのだろう。第三者から見ればであるが。
プロストがずいぶんマトモな人間に見えてしまうが、こちらも相当なくせ者だったのは間違いない。