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人を幸せにできるひとだけが、幸せになれる。他者と交わるノイズ耐性やグループワーク力のない子供や若者、親が増えている。
昔で言う地元で、ガキ大将がいて、他者と交わって、教えてくれる仲間をリスペクトしたり、という事が必要だ。
それを変えるには、①男性もWMのように仕事と家庭を混ぜて、ノイズに強くなる生活にしてみる。制限された中で対応する力が必要。②コミュニケーション能力=コネを競い合う階級社会にする。親子も複数のコミュニティーに属し、自分がリーダーになれる時もあれば、人に教えてもらう立場も経験することが必要なのだろう。③自分がハブになる。ツイッターでフォロワーの立場だけの人も必要だが、ハブになることを意識が重要なのだろう。
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お2人の子育てについて、かなり具体的に書かれていました。ノイズ耐性云々の、宮台さんの指摘はいつも重要だなぁと思わされます。ただ、ノイズ耐性が低いことを前提とした子育ての仕組みってできないものでしょうか、と少し思いました。
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宮台真司・東浩紀の対談本。どちらも好きなので、書店で見つけて即購入。
■血縁を超えるネットワーク(p.84)
(映画「サマーウォーズ」に触れた後・・・)
宮台
むかしから社会学者が指摘するように、ああした血縁的な大家族は日本に存在したことはない。「ひとつ屋根の下」に大勢いたとしても、実際には従業員だったり、丁稚奉公だったり、要するに血が必ずしも繋がっていないひとたちでした。
ここに、社会的記憶についての、郊外化=核家族化を背景にした、虚構というかウソがあるわけですよ。柳田国男の言うように、日本では琉球を除けば血縁主義の文化が皆無であるぶん、一緒にいるだけで家族みたいになれるので、養子縁組の制度ができあがったわけです。もちろん、敗戦後の企業が終身雇用制で擬似共同体になったのも、同じ背景があります。
僕は以前から「典型家族から変形家族へ」というスローガンを謳っています。「大きな社会」をつくり出すべく家族的な相互扶助を重視する場合、かつての大家族と同等の役割を果たせば、見かけがどうあってもOKだと「機能的に」考えるのか、特定の家族イメージに「実存的に」こだわるのかで、話がちがってきます。
柳田的な教養を踏まえると、店の一同が家族になったり、企業が家族になったりするほどで、特定の家族イメージなどにさして意味がない日本の伝統においては、「典型家族」ならざる「変形家族」を機能的に構成することこそが適しています。あとは、マスターベーション的に特定のイメージにこだわる安倍晋三的な「ウヨ豚」を取り除けばいいだけ。
無教養な「ウヨ豚」を廃して「真正保守」の伝統に棹すなら、親しい者たちの家族が近隣に住み合うようにして相互扶助すればいいのです。たとえば、子育てのときに相互扶助ネットワークとして近隣の親族を頼れるかどうかが、従来の核家族にとっては重要でした。
→琉球以外血縁にこだわらない、というのは意外。でも確かに。特に武家だと養子よくやってたもんな。自分の母方の祖父も養子に出されてる。
■学区的共同体の再構築(p.168)
東
(前略)明治以降、地名や町名にはほとんどなんの意味もなくて、学区だけがかろうじてコミュニティとして機能してきた。(中略)実際に日本の建築史を見ると、コミュニティをつくるときはまず学校をつくるのだと。ヨーロッパならば協会をつくるときに、日本では学校をつくる。前近代において共同体の中核だった寺社の機能が失われたあと、日本では学校は、教育機関であることに加え、共同体の核としての機能も果たして来たわけです。
しかし、先ほど宮台さんがおっしゃっていたように、現代の日本では学校はまったくその役割を果たさなくなってきている。だからそれは教育の崩壊に止まらない、もっと大きな影響を社会全体に与えている。
→日本の台湾統治でも、学校の建設が先だったと聞いた。
■グループワークの効用について(p,172)
宮台
(前略)グループワーク能力がさまざまなモチベーションのベースになっていることが実証されたこと、グルー��ワーク能力の上昇には大人たちとの相互包摂的な関わりが役立つことが実証されたことは収穫でした。いずれにしても、地域再生のためのひとつの方法はそれです。
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頭の悪い私は途中から議論についていけなくなった…(涙目)
そんな身分でレビューを記すのはあれなので、備忘録的に自分が思ったことを記しておく。
自分は「親」でありたい。
親になれば、子どもの存在が故に、
地域その他色々なコミュニティに否応がなしに関与することになる。
この本でいうところの「グルーブワーク能力」が求められる。
人ってのは色んな顔を持っている存在であって、各コミュニティで担う役割も違ってくる。
また、全ての役割を担うこともできないから、相互のコミュニケーションで扶助し合うことになる。
「親」とはそれを実践する存在であって、その背中を見て、というか真似して育つ。
そんな親子関係が築けたらいいなと。
でも、実はそういう関係性を築く素地というのは、
自分が親を真似て育ってきている以上、親の影響が大きい。
私の場合、親には精一杯努力してもらったと感じているが、果たしてどうなるだろうか。
少なくとも大学に入った頃は、
まさにこの本のいう「不幸せそうな◯大生」だった訳で、非常に前途多難(笑)
なので、子どもに様々なコミュニティでの人間関係構築を体験させたいという思いと同時に、
自分も様々なコミュニティに積極的に参加する姿勢が求められるような気がした。
そんな学びを得られたので、読んでよかったと思う。
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小難しい記述が多々あるが、お二人の間の年齢で、子どもが同じ年代と言うこともあり、
書いてある内容については、同意できるものが、たくさんあった。
自分がなんとなく思っていたことが、文字となって書かれていて
自分と同じ考えの人が知識人にいると言うことが分かり、勇気をもらった気がした。
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最初はいいが、途中からよくわからなくなってくる。
頭が良い人が頭が良い人と、どうでもいいことを話しているだけにしか聞こえない。
この対談の中で紹介されている、実際に行動を起こしている人をよく調べたほうが役に立ちそうです。
以上
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2人の筆者の著書を沢山読んでいるわけではないし、全てに同意できるという類の人たちではないけど。
僕自身父として物事を考えることが多くなっているので、今までの自分の考えと変わってきた部分において、同意できる表現が多かったかな。
東浩紀とtwitterのくだりは、この前の早稲田の事件とからめて読めて面白い。
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父として役割を果たし始めた二人の学者の父親観から見えてくる現代社会の問題を、学者というより、父親として考える。
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2010.9.18
宮台さんの本は3冊目、東さんは初かな。
・職住近接
・隙間コミュニケーションの重要性
・複素数的な意味加工(ロマンチシズムとリアリズム)
・共同体と市場の両立性(剥き出しの個人は幻想)
・絆コスト
納得できる部分が多かった。
子育ての話は少なかった笑
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2章までは2人の話がかみ合ってて面白いんだけど、3章からは宮台さんの研究発表に東さんが相槌を打ってるだけみたいになってしまうのが残念。
それと、父親になると地域社会にコミットせざるを得ないと言うけれど、大学の関係でとある市の子育て支援課にインタビューに行って聞いてきた話によると、父親は依然として地域の子育てコミュニティに参画していない・できない現状があるそうだし、実際自分の父親もご近所付き合いなんて一切しない人で、それでやっていけていたのを目にしている。そりゃ、大学教授みたいな職業なら、論文書く気分転換にお散歩に出てご近所さんにご挨拶する機会なんかは多くなるのかもしれないけど・・・なんだか、宮台さんという人は視野が広いようで狭い印象をどこか受ける。
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同時代に父なった同世代として共感できる内容が多かった。論壇でもとがった二人が「父」としての表情に照れている感じが好感もてました。
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東さんと宮台さんの言う「誤った教育」を受け、コミュニケーション能力に支障を来たしている私たち(というより私)はどうしたらいいんだろう。大学生になっても人は変われるというのなら、変わることができそうな集団に身を投じていかなければいけないのかな。とかくコミュ障には耳の痛すぎる本だった。
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そこはかなとなく、ホモソーシャル臭がぷーんと香っていた。
注釈がある程度充実しているので楽しかった。ミードといえば、マーガレット・ミードを思い浮かべるが、ジョージ・ハーバート・ミードという方もいらっしゃるらしい。
四章に書かれている虚数の話がおもしろかった。ロマンチシズムや余白なしの、リアリズムはない。
「絆コストなくして絆なし」、っていうのは覚えておきたい。
字面や主義主張、研究者のパーソナリティーなどにとらわれすぎずに書物を読むやり方を今後模索したいものだ。
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「父として考える」読了。父になったことが二人の思考にどう影響してるかが興味の的だったけど、案外同じような感覚とわかり、残念なような、安心したような。大半は若者のコミュニケーション能力低下への警鐘。いくつかの素朴な子育て話の方がよっぽど説得力があった。東さんのツイッター論には賛同。
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・近隣ネットワークから外れてまで私立校に行かせるメリットは?
・異性にモテる>勉強ができる
・グループワーク中心のフィンランド
・ノイズ耐性のなさすぎる親子
・女子と仲良くなる能力=子供と仲良くなる能力
・遊びからの学び>ルールからの学び
・他人の強みを拝借する能力