紙の本
さらば先生
2010/09/23 07:36
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は、いわゆる団塊の世代の、弟、妹の世代にあたります。
多くの若者たちの情熱の照射に頬を赤らめていた世代といえるでしょう。
北山修氏がザ・フォーク・クルセダーズで「帰ってきたヨッパライ」を大ヒットさせた1967年、声変わりの始まった声でやはり大声で歌っていました。
その後、作詞家となった北山氏が作った歌をどれだけ歌ったことでしょう。「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」など、北山氏の作った歌は団塊の世代だけでなく、これから青春期にはいろうとする私たちにも大きな影響を与えました。
しかし、やがて北山氏は「どこで誰が私を見ているのか分からない」と不安を抱くようになって、静かにマスコミの世界から遠ざかります。
北山氏はそうして精神分析医の道をめざします。
本書は九州大学で長らく教鞭をとった北山氏がその退官にあたって行った「最後の授業」を収録したものですが、単に活字になったというだけでなく、北山氏は「最後の授業」に自身が嫌ったTVカメラを教室に持ち込むという「実験」を行います。
北山氏は「テレビというマスに向けたメディアは、見る側の心にたいへん大きな影響を与えている」といいます。同時に「テレビに出る側やテレビに関わる人たちみんなの心のあり方にも影響を与える」と。
授業を放映するということは、北山氏の授業を聴講している学生たちに、「見る側」と「見られる側」という二重構造を作り出します。そうすることで、臨床心理士をめざす若者たちに、実際の経験をさせうることになります。
教壇を去る北山氏の姿は、あの頃、私たちに多くの歌を提供していた時代と変わっていませんでした。北山修氏は、団塊の世代の仲間であり、その弟、妹世代にとっては、かっこいい兄貴のままでした。
そういえば、北山修氏が作詞した「さらば恋人」にこんな歌詞がありました。「思わず胸にさけんだ/必ず帰ってくるよと」。
北山教授もまたどこかの教壇に帰ってくるのだろうか。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
投稿元:
レビューを見る
精神分析というのは人間の心に無意識があることを認める学問であり精神療法。心とは意味に満ち満ちているもの。
言葉は大変な道具もいらないし、多くの人にとって非常に便利です。ですから人の人生や生き方を取り扱う学問である臨床心理学は、言葉なしでは成立しえない。
映像があると物事がわかりやすくなる。
面と向かっていると、相手の心の裏を空想しない。でも、あなたが顔を背けると、あなたが何を考えているのだろうか?と相手は考える。
スポーツ選手の多くは、もう一人の自分がいつも耳元で囁いている。セルフモニタリングしながら、アドバイスしてくれるもう一人の自分がいる。
精神分析はやればやるほど、自分が問われる。自分のことを問うというのは非常に難しい営み。人間の心の奥にあるものを知るためのもうひとつの方法として、神話や昔話を活用する。
生き残ること。
投稿元:
レビューを見る
北山ワールドに入った感じ。はまりすぎると現実離れしている気がするが、ところどころに出てくる「ことば」の使い方が、心に響く。
投稿元:
レビューを見る
ランディさんの本ではなく、戦争を知らない子供たちなどを作詞した精神科医の北山修氏の本。私はblogやtwitterでちょっとマシに見せている人。以降は本からの引用です//無口な表とお喋りな井戸端(裏)。お笑いとは裏をどさくさにまぎれて表出させるシステムをもっている。無意識を意識化させる。人間には意識と無意識がある、心には表と裏がある、言葉の意味にも表と裏がある。見えると囚われてしまう。見えないと心眼がものを見る。映像があると物事が分かりやすくなります。でも、裏を読まなくなる。「裏の喪失」心も置いておく場所がなくなってはいないだろうか。顔をあわせないでいると人は相手の心を考えはじめる。ちょっとましに映してくれる鏡というものを現代人は手にいれた。離見の見。いなくなるから、上手く消えるから、取り入れられる。愛している者を傷つけたことに直面して私たちは悪いと感じる。自虐的世話役。美しいものの二面性、醜い姿、汚いものを直視したときに慌てて・・・悲劇的に去っていこうとする・・・時間と空間を提供する・・・。
投稿元:
レビューを見る
目に見えないものに名前をつけることで、それが取り扱いの対象になるということ。
言葉にすることで、溜まっているものを外に出すことができること。
私の経験をふまえた上での臨床心理学>「私たちのフィールドはパーソナル・コミュニケーションにある」ということ。それは、マスコミュニケーションとは対立する、相容れない、あるいは共存するしかない領域です。
リフレクション効果>患者さんの自己イメージを聞いて、それを私たちが体験し、照らし返してあげることが私たちの重要な仕事です。
つまり、人の心が持つ傾向を映し出す鏡になること。「人と出会うと必ず競争してしまうんですね」とか「結局あなたは甘えたいんだ」とか「あなたは愛されてないときっと思っている。でも、実はちょっとくらい愛されていると思っているでしょう」、というようなことを指摘する鏡になると言うことが、私たちの仕事として果てしなく続くのです。この、人の心の鏡になるという機能において、臨床心理学は儲からないけど生き残ると思います。
私たちセラピストはお母さんの仕事を引き継ぐわけですから、お母さんの仕事から学ぶことがたくさんある。ここでお母さんがやっているのは、二者間内交流です。「面白いね」という話しかけ、それは非言語的に、情緒的に伝えられている。「きれいね」というようなことは、非言語的に身体的に伝わる。でも、この領域を言葉にして取り扱うのが私たちですね。
「面白い」の語源>柳田国男>(野の鳥の昔話に)子供が一致して耳を傾ける心持ちを面白いといったといい、「人の顔が一つの光に向かって、一斉に照らされる形を意味したらしい」としている。
投稿元:
レビューを見る
結構いろいろ考えさせられた。詳細は事情により秘密だが、専門的にはマスコミュニケーションとパーソナルコミュニケーションについて。キーワードとしては心の裏、母子関係論、罪悪感、神話、ってことかな。何より、講義録なのでするっと読めた。セラピストは楽屋裏を見せないということだったけれど、やはり、そのことで誤解を受けてることも確かだと思う。今回、かなり理解が深まった感はあり、そういう意味でも北山氏の「最後の授業」の公開は意味があったと思う。
投稿元:
レビューを見る
学生に読んでほしい著書。
北山修氏は精神科医(精神分析)の第一人者です。医者希望の学生たちには授業をとおして、人間のこころについてさまざまな視点から問いを投げかけています。
臨床現場の患者(精神疾患)の症例を用いて、分析方法や療法、
症状、問題等について専門的に書かれていますが、誰が読んでも理解しやすく「人間を考える」教材にもになるでしょう。
投稿元:
レビューを見る
心理にかかわるお仕事が知りたい方におすすめ。
社会と心の「裏」に焦点。
個人の交わりがもっと活発に行われたら心理系の
職業の需要を抑えられるんだろうな。
カウンセラーが多いのも社会問題のひとつと言えよう。
投稿元:
レビューを見る
『あの素晴らしい愛をもう一度』の作詞者であり、精神分析家である北山修の、九州大学においての最後の授業を文章化したもの。北山氏がメディア出演をしなくなった経緯も多少は書かれているものの、心の表と裏、心と言葉の作用、セルフモニタリング→セルフリフレクションによる自己イメージの取り入れ等について書かれている。心を言葉にすることによるカタルシス効果について書かれているなど、ストレスと戦う人間にとっては何かのはけ口になるかもしれない…。
投稿元:
レビューを見る
【読書リスト4】北山修『最後の授業』みすず書房。九州大学退官前に行った精神分析に関する講義が収録。相手の心をみるために顔を合わせず横になった相手の枕元で会話するという精神分析の方法論は、一般的な社会福祉援助技術とは異なるアプローチですがソーシャルワーカーにとっても参考になります。
投稿元:
レビューを見る
非常におもしろかったです!
前半のマスコミと精神分析のお話は
とてもわかり易くて、私が心理学をお勉強してよかったなと
思った部分と大きく重なるお話が出てきて
今の自分にとって取っつきやすかったです。
個と個との対面でのダイナミズムと言うか、やっぱ
そういうのを関係性の中で大切にしていきたいんだなって
再確認しました~
後半のお話は難しかったです・・・。
ああ、これ勉強したな~って言うお話が出てきてぐいぐい
読んでしまうんだけど、どことなく理解が不十分なまま
終わってしまいました。(集中力が切れました)
文化的原型(だったっけかな・・・)の考え方が大学時代に沢山学んだ中で
おもしろい!って思った考えの一つで、そういう意味でここでの昔話の
分析はとてもこころ惹かれました。
ただ、難しかった・・・。
"甘え"による分析との差異のところらへんで
すっかりと集中力が切れました。
でも、この本は大いに私を大学時代に引き戻してくれて、ああ
授業を受けてみたかったなと思わせるものでした。
やっぱ臨床心理学とか精神分析っておもしろいな~。
投稿元:
レビューを見る
北山修が九州大学で2009年度の後半の半年間行った公開授業を中心に出版したもの。
大学時代に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し『帰ってきたヨッパライ』を270万枚売ったことは有名。
その後、大学に戻り、精神科医、九州大学教授となり20年後に退職。精神分析家である。
著書や講演では、治療に当たった臨床事例は一切紹介せずに、主に日本の昔話や神話を例に出して、「見るなの禁止」という不思議なキーワードを展開している。
精神分析入門では
「精神分析とは人間の心に『無意識』があることを認める学問であり精神療法です」
「心の動きを観察し、それを言葉で取り扱う」
「言葉にすることで、溜まっているものを外に出すことができる」=「カタルシス効果」=「浄化法」
「言葉によって意識化できる」
「言葉によって人生を物語にする」
「私たちは心の表と裏の葛藤を生きている」
「お笑いとは、裏をどさくさにまぎれて表出させるシステムを持っている」
この後、自分自身の精神分析を題材にしたり、フロイトのことを易しく解説したり・・・
ん〜ん、実に深いことを言っている。再読しましょう。
投稿元:
レビューを見る
普通の人が読んで、普通に共感できる良書。
精神分析とか興味があるけど、自分はいままで畑違いだったなぁという人にもおすすめ。
自分も実際そうでしたし。
投稿元:
レビューを見る
物凄くわかり易く、魅力的。おばさんのファンが多いのもわかる。
インターネットはこころの裏をどんどん出していっちゃうんだよな。
投稿元:
レビューを見る
日曜美術館(ギュスターヴモロー)で良い解説してた著者。怖い絵作者を完全にやり込めていた。
その人の本