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なんて真っ直ぐな人なんだろうと衝撃を受けて以来、私は茨木のり子さんの詩が好きだ。「わたしが一番きれいだったとき」は教科書に載っていたので、1度くらい目にした人も多いのでは?女性らしい感受性、凛とたくましく生きている生命観。茨城さんのように繊細な感受性を失わずに生きれたらどんなに素敵だろうと思う。大人になっていくと廃れているなという部分が見つかるが、茨城さんの詩を読むと救われたような気分になる。
茨城さんがどのようにして詩人になったかのエッセイもついているので、それも面白く読むことができる。
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詩篇の最後を飾る長詩「りゅうりぇんれんの物語」に瞠目。そして巻末に置かれた先行世代の詩人たちの評伝的エッセイ「うたの心に生きた人々」よりとられた破天荒な貧乏詩人「山之口漠」には、思わず吹き出したり、あるいはグッときたりと、敬意と愛情の籠った見事な活写ぶりに、詩人の面貌が鮮やかに肉薄してくる。
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詩集、エッセイ、ラジオドラマが収められている。作者の詩はとても好きで言の葉Ⅱ・Ⅲと同時購入した。難しいことはなくわかりやすい。「強」「凛」「潔」といった言葉が似合う女性だ。有名な「ぎらりと光るダイヤのような日」がある。
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購入
茨城のり子の作品を読みたくて買った
詩だけでなく、エッセイや童話なども載っている
一度読んだだけでは咀嚼しきれず
またゆっくり読み返したい本
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卒業論文の底本(文庫じゃなくてハードカバーだったけれど)。
別に自分を茨木のり子を重ね合わせるわけじゃないけど、やっぱり私の根っこになってる詩集だと思う。
手軽に文庫になっているので、ぜひ。
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比喩がとてもすてき。
「頼りない生牡蠣のような感受性」
とか、他の詩集に出てくる
「柘榴のような傷口も」
という表現。
強いんだけど、頑なではないところがとてもすてき。
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茨木のり子さんは1926年(大正15年)生まれ。
惜しまれつつも2006年にお亡くなりになりましたが、ちくま文庫のこれは全3巻からなる自選作品集。
第1巻には、敗戦時20歳だった自分を詠んだ「わたしが一番きれいだったとき」
第2巻には「自分の感受性くらい」
そして第3巻には「倚りかからず」などの詩が収められいて、その他、貴重なエッセイなども読むことができます。
私が好きなのは第1巻に収められている「汲む」という作品。
戦中戦後、価値観の180度変わってしまった時代の中で、そこに生きる人々、女性、これからの社会を見つめて書かれた数々の作品。
自分の足で立つこと、自分で決めて、自分で行うことを選んだ茨木のり子さんの意志の強さのようなものを感じることができます。
ある意味、強烈に殴りつけられました。
言葉の持つ力に。
茨木のり子さんの感受性が、とっても好きです。
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詩やエッセイなどを年代別に収録した全3巻の最初。詩はもとよりエッセイと評論の味わい深さに瞠目した。
有名な一編「わたしが一番きれいだったとき」に繋がる敗戦直後の気持ち。詩誌「櫂」に集った詩人たちとの交流。詩を朗読することについての考察。
その時々の周囲の状況や自分の考えをていねいになぞり、筋の通った文章を生みだすさまは、きりりと自立した茨木のり子の詩と変わりなく、ほんとうにこの人はこういう人であったんだなと感じさせられる。
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「汲む」にとくに心うたれる。自分自身を等身大に見つめて、そのことばを探り当て、研いで綴っていく。気取らない飾らない、けれどこころをさっと目覚めさせる。それが詩なのかもしれないと思う。戯曲「埴輪」や童話「貝の子プチキュー」、山之口貘に寄せた文章も、そのままありのままーーときおりあやまちながら、そのあやまちを隠すことなくーー自分を語っているようで、詩への苦手意識をかなり拭い去られた。
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詩はもちろんエッセイやラジオドラマ、面白かったです。
詩では
内部からくさる桃/もっと強く/敵について よき。
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茨木のり子集言の葉(1)(全3巻)(ちくま文庫)
著作者:茨木のり子
発行者:筑摩書房
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
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以前何かで紹介されていた「倚りかからず」を読んで、身を律することの厳しい強い人なのかなあという印象を持った。
TVで紹介されたためか、『言の葉』3冊が書店に積み上がっていて、いい機会だと思い、まとめて読むことにした。
1に収録されているのは最初期の詩集からのものなので、戦後を感じさせるものが多いが、一つ一つの言葉は平易だが力強く、著者の考え方、生き方が真っ直ぐに感じられて、読んでいて気持ちが良い。
そうして読み進めていって、最後の「りゅうりぇんれんの物語」に打ちのめされるような衝撃を受けた。中国山東省から、労働力徴発のため日本軍に攫われて、結婚して間もない身重の妻に言付けすらできず引き離され、北海道に連れて行かれた。重労働の日々、中国に戻ろうと脱走、しかし陸続きではなく故郷は遠い。終戦も知ないままに隠れ隠れて14年。妻は我が子を育て待っていてくれた。
こんなことがあったのか。自分の生まれる前のこととはいえ、この詩を読んで初めて知ることだった。帰国後に中国で書かれた本に拠って詩の内容は書かれているのだろうが、作者は、りゅうりぇんれんと開拓村の子どもとが一瞬出会うシーンを挿入し、ラスト、時がたち、その子があの出会いを思う場面を描いている。日本人のしたことへの贖罪の気持ちが、著書にこの場面を書かせたのだろうか。
それからラジオドラマとして書かれた「埴輪」。埴輪を作るに至った歴史を背景に繰り広げられるドラマがとても面白い。滝沢修や山本安英が出演していたようだが、音源が残っているのなら、是非聴いてみたい。
山之口貘について、詩及び詩を作る苦労、沖縄出身者としての苦労多かった人生などについて、詳しく知ることができたのも良かった。
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1950年代〜60年代の、茨木のり子女史の詩集「対話」「見えない配達夫」「鎮魂歌」からの詩篇と、エッセイ、ラジオドラマ、童話、民話、評伝を収録。茨木さんが、詩以外にも色々な作品を生み出していることを初めて知った。
いずれも戦争の空気感を感じるものだったり、人の負の側面が炙り出ているような仄暗い雰囲気を感じるものだったりが多かった印象。本当に作品を理解するには、当時の時代背景をしっかり理解していた方がよいのだろうとは思うが、あまり時代背景を鮮明に思い描くことが難しい私でも、あったはずの瑞々しい日々が奪われてしまった重たさを感じたり、日本がおこなった残忍とも思えることを知ったりすることができた。
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正直、茨木のり子さんの詩は大半がよく分からない。でも、分かる詩はとっても好きだ。彼女の生き方が伝わってくる。この本の最後の「山之内漠」さんについてが、一番面白かった。貧乏詩人の漠さん。よく落語家さんが「うちは貧乏ですけど貧困ではありません」という言葉が脳裏に蘇った。まさにそんな感じ。それにそんな人に嫁いだ人も偉い。「貧乏はしましたけれど、わたくしたちの生活にすさんだものはありませんでした。ともかく詩がありましたから・・・・・・」だって。素敵すぎる!
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「詩」にはなかなか親しめていなかったのに、いつの間にか日常に「詩」が入り込むようになったのは、茨木のり子さんのおかげです。
いっとき、深く耽溺し、別の世界にと思っていたのに、著者生前に編まれた自選作品集にまた手が伸びてしまいました。第一巻は、1950年から1960年代の詩、エッセイ、ラジオドラマ、童話、民話、評伝と充実しています。エッセイのうち、「櫂 小史」、すごく面白い。そして、「語られることばとしての詩」にはガツンとやられた感じです。
この中で、読み過ごせない箇所があり、自分なりにまだ自問自答中です。茨木は、「いくら惚れこんだとしても、泣いてしまっては元も子もない。また、もし詩に感動があるとするなら、「泣き」からは最も遠い地点に立つものであることを、理解しないのなら、何をか言わんやと思ったのである。日本では最高の讃辞が「泣いてしまった」であるらしく、源氏物語の頃より、延々と見えがくれしてきた私たちの感受性の質なのだが」というのである。そうなのか?魂を震わす言葉があり、涙が込み上げることもあるのでは?
と、いつまでも、発見があって、楽しい。