紙の本
田中角栄が求められた時代
2010/09/12 05:50
9人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
政治の世界は常に闇、などと気取っている場合ではない。まったく信じられないことがこの国で起こっている。
あの小沢一郎がよもや与党の代表選に出てこようとは。そして、もしかしたら、というか、十分勝つ見込みもありそうという。勝てばもちろん、与党の代表としてこの国の総理大臣となる。
いわずとしれた田中角栄の秘蔵っ子。田中角栄的政治手法をそっくりそのまま受け継いでいる小沢一郎は、案の定、民主党においても「政治とカネ」に関する話題の中心である。まさにその「政治とカネ」がらみで、つい先日、鳩山首相に「道連れ」にされ、与党幹事長を辞めさされたばかりではないか。
何故ここにきて代表選出馬とは。これを不可思議、アンビリーバボーと感じない手はない。
しかし、その後のテレビやマスコミの情報を見聞きするにつけ、さらに不思議な感覚におそわれている。どうも、この摩訶不思議的な感覚の方が一般的では無いらしい。
「この時代には、小沢的な強引な手法が必要。」だとか、「正々堂々と代表選で戦い、みそぎを済ますべき。」だとか。
今の時代、小沢一郎が的キャラが、この国の首相として求められているなどと決して思えない私の感覚の方が世間から離れているのか。
小沢一郎が本当に今の日本に必要とされているかどうかを明確に判断するうえでも、この国にとって、その師、田中角栄とは何であったのかを検証する必要がある。
田中角栄が自身の総理大臣就任期のみならず、時の総理大臣に対し裏で強大な糸引きを行った「闇将軍」時代を含め、大きな権力を振るった時代は、この国に何を残したのか。
そして、なぜあの時代に田中角栄がそれほどまでに強い力を持ち得たのか、時代に求められたのか。
長期佐藤政権ですっかり疲弊しきっていた時代に求められた人物と同種の人物が必要なほど、今の時代は同じような疲労をあかえているというのか。
民主党代表選は、今後の超長期的な日本を占う鍵になる。
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田中さんは自分の軍隊体験を国名に話していないし、書いてもない。戦争なんかで死ねるか、と思っていた田中は決して日本を軍国主義にしない、それだけは断言できる。
日本の首相でもっとも対米貢献したのは田中角栄。日本研究のためにアメリカの大学に奨学金を出した。いずれ彼らが田中を評価するだろう。
田中は大日本帝国が崩壊したという虚脱感もなければ、国家の行く末を案じるという思想的、鉄学的な悩みも持っていなかった。自らの利益に忠実であるという確固とした信念だけをもって、田中は生きていた。
田中ですら、最初の選挙では落選している。
田中の同期は中曽根、鈴木善幸。
田中は国を動かす要ともいえる大蔵省の人脈図を池田を通して、常に確認していたことになる。田中は官僚の不得手を理解していた。それは言葉の使い方が下手ということ。田中は10代半ばから社会に出て辛酸をなめていたがゆえに、田中が言葉を武器として用いていくのはそのことを自覚していたから。
田中は、権力よくに加えて金銭よくが人間そのものの弱点になるということをよく理解していた。
田中角栄という人はよくも悪くも、戦後日本を体現したシンボル的存在だった。田中の成金的成功は、戦後日本の成金的成功の反映であった。
国民の欲望そのものを田中は代弁していた。信念や理念より目に見え手にとることのできるカネやモノに新らを寄せる国民の心理的、文化的レベルを田中は正直に私たちに見せつけた。
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昭和史にかなりの影響力を持つ田中角栄を通しての政治と人間ドラマ、今話題の小沢一郎の行動の原点が見えてくる。政治の好きな人の必読書。
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昭和史の権威である保坂正康氏の田中角栄評伝です。
田中角栄には政策はなく、政争に勝つノウハウと燃料(カネ)だけは豊富にあった、と。
カネにつながらない仕事には例え大臣職であったとしても興味を示さず、ひたすらカネを作り、カネをばらまき、権力を維持した。
その点では20代で代議士になったころから一貫している、とします。
こういうスタイルがアメリカからうとまれ、ロッキード裁判で有罪判決を受ける遠因となったのでしょう。
詳細な取材に基づく大部のノンフィクションです。
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[ 内容 ]
田中角栄とは、いったい何者だったのか?
時代によってつくられ、時代をつくりかえた政治家。
大衆の欲望を充足させた、悲しき代弁者。
死したのちにも強力な「遺伝子」を残した絶対権力者―。
昭和史研究の第一人者が異能宰相の軌跡を検証し、歴史のなかに正しく刻印する。
[ 目次 ]
序章 記憶のなかの指導者
第1章 戦わざる兵士の原風景
第2章 新世代の登場と挫折
第3章 権謀術数の渦中で
第4章 庶民宰相への道
第5章 田中内閣の歴史的功罪
第6章 落城、そして院政の日々へ
終章 田中政治の終焉とその残像
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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庶民宰相として大衆の圧倒的な人気を背景に総理大臣に就任した田中角栄。日中国交回復へのイニシアチブをとる等、就任当初は大きな業績を残したが、結局はロッキード事件・金権問題を理由に首相を辞任。その後も、政界に隠然たる影響力を持ち続けたが、二度と表舞台には登場しないまま、失意のまま死亡。田中角栄が首相になったのは1972年。もちろん記憶には残っているが、まだほとんど子供だったので、どういう登場の仕方をしたか、等の詳細はほとんど覚えていない。失脚に至るその後の動きも、詳細には覚えていない。今回、あらためて本で読んでみて分かったのは、田中角栄の表舞台での全盛期は、首相になるまで、あるいは、首相になった直後までであり、その後は、本当に坂道をころがり落ちるように大衆的な人気を失っていったということだ。何を意味しているかというと、結局、田中角栄という人物は、有能な実業家・有能なフィクサーであったかもしれないけれども、政治家としては有能ではなかった、ということではないだろうか。
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ロッキード事件について、田原総一郎説をとっているが、立花隆はたしかこれを一蹴していた。
日本海のメタンハイドレード開発に関連して、前説ではないのか?と思うようになった。
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面白かった。時代に求められ(日本列島改造論)、時代に捨てられた(金権、汚職、日本列島改造論への失望?)。ある意味チャーチルに似ていないか。
日本列島改造論→妖怪が田舎から都市に現れ始める時期?
著者が再三、田中が凡人?であることを強調するのが気になった。→庶民宰相、コンピュータ付きブルドーザーといった印象の否定。
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田中角栄について書かれた本。
日本の総理大臣としては稀有な経歴をもつ点で、
特に有名だと思われます。
彼について知りたく、購入した本です。
体系的にまとめられており読みやすい作品でした。
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「世の中は白と黒ばかりではなく、中間のグレーなところに真実がある」とは、まさに田中角栄の言葉だが、そのグレーを良しとし、恥じることなく、強かに、体力と行動力で昭和後期を駆け抜けた。そして老蒙と晩節をけがした(スキャンダルではなく、生き様)のが田中角栄という政治家だったのだなあ。やはり、読みはじめたら止まらないほど面白い。
田中角栄の生い立ちから最後までの評伝は初めてなので、そういうことだったのか的感慨、事実に触れた感慨多数。保坂正康の独自の幾つかの確信めいた推論もスリリングなことは認める。
ただ、昨今の保坂正康氏の著作は、かつての著作に垣間見えた凄みのあるインタビュー取材の集積ではなく、他書からの二次資料からの引用が多いところが興が削がれる。田中角栄を語るのに避けては通れないのだろうけど、立花隆に論を寄せすぎと感じた。
実にユニークで、ある種の天才。けれど、まだ呪縛されている気がする。あまりにも一時代を体現した巨人はまだまだ魅了されている。でももうやはり過去の遺物にしたい気もする。
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はじめて『角栄本』を読んだが、孫引きが多く、やや期待外れ。
彼の『遺伝子』、すなわち錬金術と無思想は、某政治家に引き継がれている。
しかし、現実を無視した主張する政党・政治家がいる限り、遺伝子は確実にあらたな世代に引き継がれるであろう。
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田中角栄という政治家は明治・大正・昭和の<国の貧しさ>という現実を国家百年の計だとか国体、あるいは国是などのような儒教臭さに裏打ちされた大言壮語でごまかしてきた政治には見向きもせず、まず選挙民が、ひいては日本国民が豊かにならなければどんな理想を説いても空論でしかないということを身を以て体現したパイオニアと言えよう。
本書の功績は、この政治家のもつ体質的な欠陥や、あるいは戦後の日本が必要とした政治家としての資質をも含めて、戦後日本の復興、そして高度成長の歴史の流れになかに田中角栄という良くも悪くも戦後を代表する政治家の正統な居所とその果たしてきた役割を明らかにしたところにあると思われる。
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今まで読んだ田中角栄についての本の中で、一番中立的な立場で書かれた本だったような気がする。身内の人が書いた本は当然のように角栄氏の政治家として人間としての素晴らしさを称賛する内容が多い。親族が書いた本は時の人の親族になってしまったがゆえにものすごく大変な思いをしたことによる苦しみとか悔しさについて書かれていて、でもその裏にやっぱりなんだかんだ言ってもすごい人だったんだなあという畏敬の念みたいなものが透けて見えるように感じた。一方、田中の金脈問題を暴いた立花隆氏の本はこれまた当然のように全てを白昼の元に曝け出してやろうとうう強い意志や執念のようなものを感じて、まあその気持ちもわからなくもないけどあなたのその素晴らしい正義感が突っ走れば突っ走るほどなかなか困るというか悲しい思いをする人もいるわけでですね、という完全に身内贔屓な複雑な気分にもなった。
翻ってこの本は、巻末の解説で著者ご本人もおっしゃっているように、田中角栄に惚れ込むつもりも、完全に敵対視しているわけでもなく、ただ淡々と史実を詳らかにし、当時の関係者に話を聞き、それをニュートラルに分析しているという印象を持った。綺麗事を言うよりも物質的豊かさを求める国民の欲望に忠実に寄り添った政治家であったこと。そのために危ない橋を何度も渡り、中には危ないどころではない橋もあったかもしれなかったこと。でも田中自身はそれを終始一貫して真っ向から否定し続け、裁判で明らかになるかもしれなかった真実は田中の死によって迷宮入りしてしまったこと。数々の疑惑を否定し続けた田中の言葉は必ずしも全てが嘘だったわけではなく、莫大な権力と金を有したが故に敵対勢力や外国からの罠や策略にはめられてしまった結果だという見方をする人も実際に少なくはないということ。
わたしは、ロッキード事件の賄賂のことを「何も知らない」と言う田中の言葉は信じられない。んなこたぁないでしょうと思う。それでも、小卒から国会議員に成り上がり、想像を絶するような金脈を作り上げ、首相になって一時は歴代最高支持率を記録したり、突然毛沢東と会って日中の国交を正常化したり、当時各国から恐れられていたソ連と対等に渡り会ったり、なんかほんと規格外というか、そんなことできる人やっぱり他にいなくない?とも思う。政治家は、というか誰しもきっとクリーンに生きるべきなんだと思う。でもクリーンを貫いていたらいつまで経っても成し遂げられない大きなこともあって、田中はそこの境界を、国民の欲望を(そしてあるいは自分の欲望を)満たしてあげたいという思いがあまりに強かったから、踏み越えてしまったのかなあと思った。その結果やっぱりそれはダメでしょって言われて逮捕されてしまって、この本も最後の方は読んでいて本当に辛いというか切ない気持ちになったけれど、そういうエンディングになってしまった。でもその危ない橋を田中が渡ってくれたことこそが昭和後期の日本が新しい方向に向かって進む起爆剤になったんだとしたら、そんな頭ごなしに全否定することもできないよね、と思う。
支離滅裂。でもとにかく、会ってみたかったなあ。会って、どんな人だったのか話してみたかった。そしたらきっとも���と好きになってたんだろうなあ。歴史をもっと冷静に見られなくなっていたかもしれない。なんにせよ、30年。30年遅かったんだよなあ。