脳梗塞に倒れた免疫学者の内部に生まれた「巨人」が語らせた「人間の尊厳」回復の記録
2011/02/13 10:53
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
突然、脳梗塞のためすべてを失った世界的な免疫学者。その直前まで国内海外を精力的に異動し、友人とは酒を酌み交わす日々を送っていたのに・・・。「医者の不養生」といってしまえばそのものだが、突然すべを失った人の身の上は、家族や知人友人ではないにもかかわらず、他人事とは思えない。
この本は、「人間の尊厳」を回復するための「闘いの記録」である。
リハビリの作業療法で、生まれてはじめて習い覚えたパソコンに向かって、左手だけで書いた文章がまとまってこの一冊になった。文章で表現したい、文章を書く事で社会に参加したい、社会とつながっていたい、という心の底からの叫び。
記憶が失われていなかったので「自分」であることは確認できた、しかし人の声は聞こえるが自分はしゃべれない、三度の食事も、嚥下(えんげ)するのがきわめて苦痛。
きわめて強靱な意志によってリハビリを重ねるなかで、著者は自分のなかに「新しい人」が目覚めてきたことを感じる。そして、他人から見たら物言わぬ「寡黙な巨人」が、著者をして左手でキーボードを打ち続けさせたのである。
いったん死んだ人間でなければ書けない内容の本である。著者が学生時代以来慣れ親しんでいたお能の世界は、幽明の境のはっきししない世界であるが、著者の描く世界もまた幽玄能そのもののような印象を受ける。死線をさまよった際の体験談は、臨死体験そのものだろう。色のない世界、自分を引っ張る手の存在・・・。
右半身不随となってしまった著者であるが、「二本足で歩くことは、人間のみに許された基本的人権」という発言は心に響くものがある。そしてまた、都立病院のお粗末な現状は、高齢化社会を迎えた日本で、いかに福祉がないがしろにされているかの告発は激しいものがある。
この文庫本出版時点では著者はすでにお亡くなりになっているが、研究者としての研究業績に勝るとも劣らない、生きるということの意味の一書を遺してくれた。免疫学者としての業績は知らなくても、読むべき本だと思うのである。
脳梗塞から生還された免疫学の権威多田先生 数多考えさせられるエッセイ集
2021/10/17 17:34
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投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
免疫学界の巨人でいらっしゃる多田富雄先生がご自身の脳梗塞以降の「再生」について綴られた作品。
死からの生還、しかし生きることより辛かった当初の闘病生活、そしてその苦しさのなかで考えたリハビリ医療の重要性についてのご意見など、医者であるがゆえの着眼点から書かれた貴重な著作である。如何に大変な臨死体験をされたかがよくわかるし、一旦死んだ身に新しい巨人が自己の中に芽生え、それを育てていく生き甲斐にも心うたれる。
また本書で採り上げられている免疫学の巨人ゾルタン先生についての人柄についての記事にも感動させられた。多田先生が訳されたゾルタン先生の本を是非読んでみたいと思った。
巻末の養老孟司氏の解説も余韻をひく名文である。
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身体が麻痺するとはどういうことか。
血を吐くかの如くの身体感覚の記述に言葉をなくし、自分が、今は動くこの身体を得ている事の奇跡を思い知る。
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知性とは言葉に裏打ちされたものである。
では言葉を失った者に知性はないのか?
多田富雄の「寡黙なる巨人」は、そのことを考えさせてくれる本だ。
2010年4月に亡くなった世界的免疫学者の多田富雄は、2001年に脳梗塞に倒れて半身不随となり、声を失いながらも懸命のリハビリで文筆活動を再開させた。その闘病記と半身不随になって後につづられたエッセイを集めた本。
第7回小林秀雄賞を受賞している。
この本を読みながら、多田が恐ろしいまでの冷静な目で、自分の混乱や絶望を凝視している姿勢の根源になにがあるのかという疑問だった。
とにかく、冷静なのだ。たとえば本書の冒頭の一文、「はじめに」は、こんなことが書かれている。
「一時は死をかくごしていたのに、今私を覆っているのは、確実な生の感覚である。自信はないが私は生き続ける。なぜ? それは生きてしまったから、助かったからには、としかいいようはない。
その中で私は生きる理由を見出そうとしている。もっとよく生きることを考えている。
これは絶望の淵から這い上がった私の約一年間の記録である。」
「自信はないが私は生き続ける。なぜ? それは生きてしまったから、助かったからには、としかいいようはない」という部分。これは死にかけた人だけの感覚ではないはずだ。私たちは、すべて自分の意思にかかわらず「生きてしまった」=生まれてしまった存在だ。ただそれだけで、「自信はないが生き続け」なくてはならないのだ。
一度、死の淵を経験した者は、その根源的な人間の在りよう、存在の根拠にいやでも自覚的にならざるを得ない。たぶんそれは、病であったり事故であったり、あるいは戦争などの局面で生じる。
その生きてしまった自覚を持った者に強靭な知性があるとどうなるか?
「それより私が心配したのは、脳に重大な損傷を受けているなら、もう自分ではなくなっているのではないかということであった。そうなったら生きる意味がなくなる。頭が駄目になっていたらどうしようかと心配した。それを手っ取り早く検証できるのは、記憶が保たれているかどうかということだった。」
なんという冷静さ。多田はこのあと、掛け算九九を試し、さらに趣味である能の謡「羽衣」を歌ってみるのだ。
知性が保たれていることに安心したのもつかの間、多田は自分が言葉(発声)を失ったことや、体が不自由になったことへの孤独感にさいなまれていく。
そんなある日、あるひらめきが多田に訪れる。それは神経細胞は一旦死んだら再生しないという医学的知識から得た推論だ。
「もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。もし私が声を取り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の声だろうか。そうではあるまい。私が一歩踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを掴んだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ」
多田はそうして自分の中で生まれようとしている新しい存在に期待し、その目覚めを待望する。
こんな強さを、自分も持てるだろうか。
果たして、病を得て、弱っていく自分を、このように冷静に観察できるだろうか。
そんな自問自答をしながら読み進んだ。
まぎれもない名著。
最近、父が体調を崩した。それまで健康体で、毎日家の外に出ていた父が、24時間酸素を吸入しなくてはならなくなった。
最初にこの本を読んだのは6月。今、この文章を書くためにあらためて読み返して、父の胸中を想像しながら、胸に迫る物があった。
この本を読んだきっかけは、2011年7月に沖縄で上演された新作能「沖縄残月記」の作者の多田を知りたいと思ったからだ。
ちなみに、この新作能は1945年の沖縄戦を素材に、戦争がもたらす悲しみや、人の心に残される傷を描いた作品。7月の上演では、不覚にも涙してしまった。
もともとは文学青年で、大学生のころには評論家の江藤淳らと「位置」という同人誌を出していたという多田。
「寡黙なる巨人」には、中原中也についての文章などもある。
「沖縄残月記」に流れる「生」への思いは、その文学的素養から来ているのかもしれない。
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とても読みやすい文章。描写されるからだの機能的な部分と、語られる言葉、それ自体がもつ端正さのバランスが、身体と心、あるいは脳のあり様を考えさせる
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『私は昨日までは健康だった。定期健診を受けても何もひっかかるところは無かった。それが一夜にして重度の障害者となり、一転して自力では立ち上がることもできない身となった。何をするにも他人の哀れみを乞い、情けにすがって生きなければならぬ。』
死の淵をさまよい、目覚めると重度の障害者になっていた。
毎日自死しようとするが、それすら叶わぬ。
その心情をありありと綴る。読むのがつらいページもあった。
障害者にとっての最悪の法改正についても記述している。
発症後180日以上たったあとはリハビリを受けることができないというものである。
リハビリすることを毎日の糧としている人がいること。
構音障害については、1年リハビリしてもやっと少し効果が出るくらいのものであること。
これらを考えると、このような法改正はありえないはずである。
あるいは正しく例外を定義しておくべきである。
そのようなことが蔑ろにされた法改正がなされてしまう現実についても記述している。
またそのような法改正に対して、44万人の署名を集めて政府に立ち向かうなど、すさまじいまでの行動力も見せている。
『重度の障害を持ち、声も発せず、社会の中では再弱者となったおかげで、私は強い発言力を持つ「巨人」となったのだ。
言葉は喋れないが、皮肉にも言葉の力を使って生きるのだ。』
もし突然障害者になったら僕はこのように行動できるだろうか。
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死よりも過酷な運命があるとすれば、まさにこのことだろう。
著者は65歳にして脳梗塞を患い、球麻痺に見舞われた。身体の自由を奪われ、声を上げることもできず、食事や飲水でさえ自力で飲み込むことはできない。
もしも同じことが自分の身に起きたら、果たして生き続けようとすることができるだろうか?だが、彼は生きた。むしろ病を得たことで、真に生きていると感じるようになる。
リハビリの過程で、麻痺した右足の親指がピクリと動いたとき、著者の目から涙がこぼれる。自分の中で新しい何かが生まれた。彼はその感動を、物言わぬ鈍重な巨人が目覚めたと表現する。
9年に渡る闘病生活で、著者はそれまで触ったことすらないパソコンと格闘しながら、いくつもの本を書き、新作の能を発表した。なんという生命力だろう。そのような強靭さは、いったいどこに宿るのか。
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本の冒頭部分を表紙に印字する紀伊国屋のフェアで購入。恐らくこのような企画がなければ手にとることはなかったと思う。フェア企画者に感謝。突然の病魔に襲われた著者の闘病記。著者が医療の専門家であるためか記述は淡々と時にはユーモラスな表現も。それが逆に著者の病魔への衝撃と生への思考することへの執着を感じさせる。何度も読み返すことになると思う。
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著者の脳梗塞との闘病記が半分と、その病を得てからのエッセイ集が半分の文庫本。
昨日は長嶋茂雄がスピーチの前にひとりぶつぶつと口を動かして、懸命にこれからしゃべることの練習をしていたかのように見えた。
スピーチに感動できる理由は、言葉の内容よりも、「話す」というプロセスそのものが懸命に「生きている」姿をうつしているからじゃないだろうか。
病を得た長嶋茂雄が「歩く」「話す」「手を振る」。
もうそれだけで人々を感動させることができるのです。
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脳梗塞で半身不随になった学者の素晴らしいエッセイ集。
前半は、発作の直後から、死に近づいた瞬間のようす、その後の思うに任せない苦しいリハビリの様子が、読み続けるのが怖く、辛くなるほどの克明さで綴られる。
後半は、発病前の自分ではない「新しい人」として生まれ変わっての暮らしの様子を軽妙に。
どんなに時間をかけて書き上げたのだろうか。不自由さを全く感じさせない美しい文章が並ぶ。
あとがきに記された、リハビリ中の患者を置き去りにする保険診療改悪に対しての主張と怒りには、強い説得力があった。
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柳澤桂子さんとの往復書簡を読んでいた時、ちょうどテレビで多田さんがテレビに出られていた。
自作の能が舞台になったときの、多田さんの晴れやかなお顔や、この著書で小林秀雄賞を受賞されたときの姿を拝見した。
今は亡くなられ、しかし精一杯生きたその人生に、新たに敬意をもった。
読んでみて、”巨人”の意味するところが理解できたが、そのときの目が開かれる思いは、簡単に、感動という言葉に置き換えるにはあまりにも軽く、多田さんの冷静で熱い決意に言葉がない。
多田さんが、懸命に尽くしてくれる奥さんに、ありがとうと言えることができない・・・という箇所に胸が詰まった。
脳梗塞など、突然倒れ半身不随になったりすることは、誰にでも起こりうること。自分がもしそうなってしまったら、その時自分は何を思うのだろう。
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圧倒されました。本文中に「私のように日の当たるところを歩いてきたものは、逆境には弱い。」との行がありますが、とんでもない!寡黙なる巨人は、鈍重な巨人かもしれませんが、不屈の巨人であり、明晰なる巨人であり、饒舌な巨人であり、そして戦う巨人でもありました。日の当たる道、とは免疫学という学問の道であり、能という芸の道であり、いかに知性いう太陽が人間の強さを育むのか、と驚愕しました。脳梗塞を始め、自分の体の機能が自分でコントロールできなくなるのが当たり前になるのが高齢化社会の我々です。その日が来た時に、著者のように自分の思うにならない身体の中に「新しい人の目覚め」を見出し、希望を託すことが出来るか?本書は、とんでもない勇気がわく人間礼賛の書です!
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多田先生が亡くなられてしばらく日がたつ。10年ほど前に倒れられて、半分体が動かず、声も出ないということは知っていた。けれど、新聞ではしょっちゅう名前を見かけるし、本も書かれる、能もつくられている、それほど不自由されているとは思っていなかった。テレビでも見たはずだったのだけれど。おもしろいというと失礼だけれど、多田先生のおかれた状況がテレビで放映されると、たくさんの方から励ましやら余計なお世話があったそうだ。その中で、これは免疫機能を高めるからなどと言ってこの免疫学の第一人者に何か怪しげなものを持ってくるなんていうのは、まことにシャカに説法で、その辺が宗教でも何でもほかに何も見えず信じ込んでしまっている人のやっかいなところだ。やっと病院から退院して、移り住んだバリアフリーのマンションで、隣の部屋が火事になった。身体は自由に動かない。奥様だけでも先に逃げてほしい、その思いもことばにできない。消防署員がかけつけて、何とかその場から逃れることができたわけだけれど、そのとき、死への恐怖がなかったという。いったん死を見て帰ってきたからなのだという。そして、倒れたあとの方が自分の生を生きているという実感があるのだそうだ。
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著者の多田富雄は、野口英世記念医学賞などの内外多数の賞を受賞し、国際免疫学会連合会長も務めた世界的な免疫学者。
本書は、2001年に脳梗塞で倒れ、右半身不随になるとともに声を失ってからの約1年の闘病生活を自ら記した『寡黙なる巨人』に、その後6年間に綴ったエッセイを加えた作品集である。2008年の小林秀雄賞受賞作。
著者は、“その日”に起こったことを、「all the sudden」、「あの日を境にしてすべてが変わってしまった」、「カフカの『変身』は、一夜明けてみたら虫に変身してしまった男の話である。・・・私の場合もそうだった」、「あのおそろしい事件」・・・と言葉を替えて言い、「私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」と記している。
著者の、免疫学者・医師であるが故の、臨死体験とも言える経験、半身不随による痛み、嚥下障害の苦しさ、言語障害の辛さ、リハビリの効果と限界などについての記録は、冷静かつ緻密である。しかし、“その日”を境に“変身”してしまった、ひとりの人間としての絶望感、孤独感は(きっと)他の患者と変わることなく、その感情を飾ることなく著すとともに、「リハビリを始めてから徐々に変わっていったのだ。もう一人の自分が生まれてきたのである。それは昔の自分が回復したのではない。前の自分ではない「新しい人」が生まれたのだ。・・・その「新しい人」は、初めのうちはまことに鈍重でぎこちなかったが、日増しに存在感を増し、「古い人」を凌駕してしまった」と、「新しい人」の目覚めを繰り返し描いている。
全く異なるシチュエーションながら、1998年の富士スピードウェイでの事故による死の淵からの生還を描いた太田哲也の『クラッシュ』が思い浮かぶが、いずれも著者の、折れそうになりながらも、絶望を乗り越えて新しい自分を見い出していく、強い意志には感服するばかりである。
自分が同じような状況になったとしたら、と考えずにはいられない。
(2011年1月了)
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これは凄い。開始10ページで、もうガツンとやられる。脳梗塞による麻痺。痰を除去する看護婦の上手い下手。このもどかしさや不安に触れる事自体、入院患者のリアルな関心事を反映しており、臨場感がある。臨場感があって、絶望感があって、無力感があって。それで、もう開始早々にガツンと来てしまう。嗚咽。感情失禁。まるで海藻に囲われた海の底のような孤独。心や思考はそこに存在するのに、自分の身体が動かない。麻痺。自らが栄光を勝ち得た巨人。
病気になってはじめて、生きる感覚を味わうような。その事は感覚的にわかる。生きる感覚。考えさせられる一冊である。