紙の本
実態不明の新装版が発売された
2022/02/19 14:43
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この翻訳者の「人生の意味の心理学」は本来ならば上下巻で合わせて378ページにもわたる書籍となるはずだった(一冊189ページ)
しかし新装版にいたっては300ページであり残りの78ページ分の情報量が足りない
新装版専用の後書きも書くのだから場合によっては400ページ以上になりかねないはずなのだが計算が合わない
上巻・下巻の後書きを削るにしても78ページ分の情報量を減らして一冊の「人生の意味の心理学」とはなり得ない
出版社専用のホームページで調べようにも存在せず、旧版の購入ページにいたっては上下巻ともに目次が無いため合本しているかどうか確認できない
これらを考えると購入をためらう人が出てきかねない
出版社や販売店は新装版との差が比較できるような情報を提示して欲しい
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やっっと読み終わった・・・。結局上下巻合わせて一週間以上費やしてしまったよ。まあ、読みやすい本ではないと思うけど。
しかも訳文が「THE・英文の直訳」って感じで個人的にすごく読みづらかった・・・。多分訳者が専門の翻訳家じゃないからかと。
・・・とまあ、ここまではマイナスなことしか書いてないんだけど、本の内容は良かった。特に上巻。
「他者に関心を持つこと」「他者に貢献すること」が人生において重要である。
分かってるようにいるけど、ついつい自分本位に考えがちな私には耳の痛い言葉。しかも文中に度々出てくる「甘やかされた子供」が昔の私そのものだった。そんな私はこれから一体どうやって生きていけば・・・?って感じになってしまった。
それに対する具体的な答えは提示されてはいなかったけど、この時点で今この本に巡り合えて良かったのかも。まだ私は仕事もしてないし、結婚もしてない(できなさそうだけど(笑))。それを自分の幸せ、欲求のために使っては駄目で、他者に与えることで自分の存在を確認出来る人でありたい。
この地球上で私が今生きてるってことは他者に生かされてるってこと。
私も誰かに与えられる、貢献できる人になりたいな。
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読み直したさ:★★★
共同体感覚、協力を軸に据えた教育、犯罪、結婚についての考察。
Evernoteにノート作成済。
〈感想〉
アドラーの理想は到底達成不可能であるが、だからこそ希望がある。ここで不可能だからといって、共同体感覚をもつ人間とその他を区別し、後者を軽蔑あるいは拒絶する誘因を感じるが、そうあってはならない。アドラーも言うように、共同体はまず地球上という条件のもとにある。だからこそ不可能だと感じるわけだが。
思考を修正された感があるが、この著作を読んだ女性(共感、コミュニケーションの重要性を意識した行為、ライフスタイルにある人)がどのように考えるのか興味がある(この著作に共感するところが多いのでは、と推察する。)。
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図書館から借りたら下巻から先にきた。
最近流行ってきているアドラー。フロイトと同時代の方なんですね。
共同体の中の自分の位置を見つける事が幸せにつながる。と説く。自分とは何かを見つけることとかいわれたらどうしようかと思いましたが、そこは腐っても心理学者。さすが。自分の居場所とは、自分が他者にたいして貢献できることを見つけられる場所。「認めてほしい」という気持ちのみからは他者のためになることという発想は生まれにくいですね。
でも、できるはず。そのように設計されているのですから。というのはドーキンスの「利己的な遺伝子」の学説。そのほうが自分も生き延びやすいから・・・とにかく、どうやったら認められるのか、に戦々恐々とするより、他の人のためと思っているほうが心安らかでいられることは確かですね。
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相変わらず読みにくい日本語訳に苦労する。
内容は今までとかかわる部分が多いし、特にこの本ではないといけないというところは無かった。
やっぱりどれを読んでも「嫌われる勇気」がエッセンスが良くまとめられていたことが実感される。
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教育における最も大きな問題は、子供の限界ではなく、子供が自分に限界があると考えることによって起こされる。
貧しい家庭では学校への準備はよくできていない。親はあまりに多くの困難に直面している。子供たちを準備するのに多くの時間を割くことができず、おそらく親自身も、子供たちを援助するに十分なほど教育を受けていない
犯罪は、人生の課題から、とりわけ生計を立てると言う課題からの安易な逃避の1つである
体罰は無効である。なぜなら、社会は敵対的であり、協力することは不可能であると言う事を犯罪者に確信させるだけだからである。
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人生の意味の心理学下 アルフレッド・アドラー アルテ出版
岸見一郎の訳である
この本が内容に惹かれなければ読み続けられないほどに読みにくく
直訳のためもあるのだろうが
主語が2つも3つも重なる文章を「を」や「が」に起き直しながら
咀嚼し読み解く作業に多くのエネルギーを必要とすることの理由を
「訳者あとがき」を読むことで納得するに至った
つまりアドラーはナチスから逃れてアメリカに移民することで
なれない英語で講演し論文を書きカウンセリングをし
岸見さんも含めて根っからの率直で真面目な研究者であり
文章表現者で無いということなのだろう
説明が要領を得ずくどい上にテニヲハもおかしく
共に実践のソクラテスに対する伝達のプラトンという翻訳者を
必要としているのである
その点でも「青年」の登場で一気に火がついた「嫌われる勇気」が
成功したわけを見て取れるだろう
分析科学で発展してきた西洋文明において
アドラーが全体観を以って世に問うた
過去のデーターに固執せず
今という現実世界と向き合う心理学者としてのカウンセリングが
目からウロコの実感をもたらせた功績は大きな衝撃だったのだろう
明治以来抽象的な全体観を疎かにして具象的な部分の
ディテールに取り憑かれて西洋文明に溺れてきたニホンにとっても
同じことが言えるのだろう
兎も角意味のある素晴らしい内容であることに違いない
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名作
上下と合わせて共同体感覚について書かれている
甘やかして、ライフスタイル、社会構造まで幅広く見つめ直すことができる
人生の意味とは目的だ
与えられることを覚えるのではなく
与えることを怯えなきゃいけないと
強く思った
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下巻では、学校や犯罪、結婚などについて書かれている。以下、印象に残った箇所。
「われわれの現代のシステムのもとでは、子どもたちが初めて学校にくる時に、通常、協力よりも競争により準備されていることが見られる。そして、この競争の訓練は学校時代を通じて続く。これは、子どもにとっては災いである。そして、たとえ子どもが先んじて、他の子どもたちを負かす努力をしていても、後れを取り、闘いを断念するのと同じほど災いは大きい。どちらのケースにおいても、子どもはもっぱら自分のことにしか関心を持たないだろう。貢献し援助することは、彼の目的にはならず、自分のためにできることを確保することが目的になる。家族が、それぞれの成員が全体の対等の部分である単位であるべきであるように、クラスもそのようであるべきである。子どもたちがこの仕方で訓練される時、彼らは真に互いに関心を持ち、協力することを楽しむ。…
特に一人の子どもに言及したい。…学校の成績は悪かった。親はこのことを聞くと、家で彼を罰した。こういう状況はあまりにしばしば見られる。子どもは学校で悪い成績表をもらい、そのことで学校で叱られる。家に持ち帰ると再び罰せられる。このような経験が一度でもあれば、勇気をくじかれるに十分である。罰を二重に受けるのは悲惨である。」
「『善』と『悪』は、他の性格の表現と同様、対人関係の文脈においてのみ意味を持っている。それらは社会的な環境における、われわれの仲間の間における訓練の結果であり、人の行動が『他者の幸福に貢献する』あるいは『他者の幸福に対立する』という判断を含んでいる。子どもは、生まれる前は、この意味での社会関係を持っていない。生まれた時には、どちらの方向へも発達する可能性を持っている。子どもがどちらの道に歩こうかと決めるのは、子どもが環境と自分自身の身体から受ける印象と感覚、及び、子どもがこれらの印象と感覚を解釈する方法に依存するだろう。」
「子どもは、思春期の間、しばしばより多くの自由と自立を与えられる。親はもはや子どもを監視し、守る権利はない、と感じる。しかし、もしも親が監視を続ければ、子どもは、親のコントロールから逃れるために、いよいよ努力する。親が、まだ子どもであると証明しようとすればするほど、そうではないことを証明するためにますます闘うだろう。この闘いから敵対する態度が発達する。そして、その時、われわれは、典型的な『思春期の反抗』の像が与えられる。」
「社会は犯罪者から守られなければならない。しかし、これが決してすべてではない。われわれはまた考えなければならない。『犯罪者は社会生活に準備されていない。彼らを援助するためにわれわれは何ができるか』と。
この仕事は一般に思われているほど単純ではない。厳しくすることでは、犯罪者を説き伏せることができないように、ことを安楽にしてもできない。誤っていることを指摘しても、あるいは、議論をしても、心をつかむことはできない。彼は決心しているのである。長年このような仕方で、世界を見てきているのである。彼を変えるのであれば、そのように考えることになった根本の原因を見つけなければならない。失敗がどこで始まり、その失敗を引き起こした状況を見つけなければならない。」
「われわれは、既に、どんな子どもも勇気をくじかれること、自分が劣っていて協力しても無駄だという強い確信を持つ理由はないことを指摘した。誰も、人生の課題によって、勇気をくじかれる必要はない。犯罪者はそれに対処する誤った方法を自分で選んだのである。われわれは、彼にどこで誤った選択をしたのであり、なぜそうしたかを示さなければならない。そして、彼の中に、他者に関心を持ち、協力する勇気を発達させなければならない。」
「人生において最大の困難にあい、他者にもっとも大きな害を与えるのは、仲間に関心を持っていない人である。人間のあらゆる失敗が生じるのは、このような人の中からである。」
「われわれが反対しなければならないのは、自分自身への関心だけで動く人である。この態度は、個人と集団の進歩にとって、考えられるもっとも大きな障害である。どんなものであれ、人間の能力が発達するのは、仲間の人間に関心を持つことによってだけである。話すこと、読むこと、書くことは、すべて他者との結びつきを前提としている。言葉それ自体が、人類すべてに共通している。それは共同体感覚の産物である。理解は、私的ではなく、共有する機能である。理解するということは、他のすべての人が共有することをわれわれが期待する仕方で把握することである。それは、共有された媒介を通じて、われわれ自身を他者と結びつけ、すべての人類共通の経験に従うことである。」
「精神的に混乱している人に、正常な人と同じように行動することを期待することはもっとも大きな誤りである。」
「われわれは、子どもが家族の等しく価値のある一員である、と感じ、他の成員のすべてに関心を持つことが、いかに子どもにとって最善であるかを見た。われわれは、親が互いに相手に対して友好的であるべきであり、家族の外の他の人とよき親密な友情を持つべきである、と見た。このようにして、子どもたちは、信頼に値する人間が家族の中だけではなく、外にもいると感じるようになる。…家庭と学校の両方の目的は、子どもが社会的な人間、人類の対等の一員になることを教えることである。これらの条件においてのみ、子どもは勇気を保持し、他者の幸福を増進する解決を見出して人生の課題に自信を持って対処するだろう。
もしも子どもがすべての人にとって親しい友になり、有益な仕事と幸福な結婚によって社会に貢献することができるのであれば、他者より劣っているとか、負けたとも感じないだろう。自分が好きな人に出会い、困難に対処する仕事に耐えることができ、自分はこの友好的な世界でくつろいでいる、と感じるだろう。また、『この世界は私の世界だ。待ったり、期待しないで、私が作動し作りださないといけない』と感じるだろう。…たしかにこの世界には、悪、困難、偏見はある。しかし、それがわれわれの世界であり、その利点も不利な点もわれわれのものである。われわれは、この世界の中で働き、進歩していくのであり、誰かが自分の課題に適切な仕方で臆することなく立ち向かうならば、世界を改善するにあたって、自分の役割を果たすことができることを希望していい。
自分の課題に直面すると���、人生の三つの課題を協力的な仕方で解決するという責任を持つことを意味する。われわれが人間に要求するすべてのこと、われわれが人間に与えることができる最高の賞賛は、人間が優れた仕事仲間、優れた仲間、愛と結婚における真のパートナーであるべきであるということである。要するに人は自分が仲間であることを証明するべきである、といえる。」