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小腸細胞の細胞膜には、ナトリウムイオンと塩素イオンを汲み出す「ポンプ」
がついていて、それで細胞内のイオン濃度を細胞の外よりも高く維持する。
細胞膜の両側で濃度差があると、薄い方から濃い方へと水分が移動する。こ
の濃度差をつかって、小腸は水や栄養を吸収する。
コレラ菌がつくる毒素は、この「ポンプ」を狂わせる。ナトリウムイオンと
塩素イオンが細胞膜の内から外へ出て行き、その結果、水分を吸収するどころ
か,逆に腸内に水分が吸い出されてしまう。
コレラが致命的なのは、こうして脱水症状になるところだ。
「脱水」というのは、ただ水分が失われるだけではない。水分といっしょに
電解質(ナトリウムイオンと塩素イオンもそうだ)が失われる。「ポンプ」で
膜の内外にイオンの濃度差を作り出し、それでもって水分や水に溶けるものを
細胞に出し入れするという、生命活動のインフラが働かなくなる。
特に、膀胱でつくった尿から水分を再回収する力の弱い乳幼児は、脱水にな
りやすい。
では、なんとかして脱水症状になるのを防げたら、コレラによる死亡率はぐっ
と低くなるのではないか? 水分といっしょに電解質が失われるなら、水分と
いっしょに電解質を補給すればいいのではないか? と思いつく。
しかし、たとえば水に塩を溶かして、水分とともにナトリウムイオンと塩素
イオンを補給しようとしても、コレラ菌の毒素がナトリウムイオンと塩素イオ
ンを汲み出す「ポンプ」を狂わせている。コレラ菌の毒にやられた小腸は、こ
れを吸収できない。
1950年代から1960年代にかけての生理学的研究で、水様下痢のときは、ブド
ウ糖がないとナトリウムの吸収が減弱することがわかった。コレラ(重度の水
様下痢をきたす)患者では、水分だけの場合は吸収されますが、食塩水を与え
ると吸収されず、かえって与えた同量の便が増加する。しかしブドウ糖と生理
食塩水をまぜたものでは、水様下痢の激しいコレラ患者でも80%も吸収するこ
とがわかった。
小腸には、ナトリウムイオンと糖分を運ぶ別の「ポンプ」(SGLT1:sodium-
dependent glucose transporter 1)があり、コレラ毒素は、Na+とCl-の「ポン
プ」を阻害するが、Na+とブドウ糖の共輸送(SGLT1)は阻害しないことがわかっ
た。こうして電解質にブドウ糖を加えた経口補水塩(Oral Rehydration Salt:
ORS)が、コレラの治療に用いられることになった。
口から飲ますことができるので、点滴の設備のない開発途上国でも行うこと
ができる。WHO(世界保健機関)の経口補水療法(Oral Rehydration Therapy:
ORT)は、コレラなどの下痢による脱水症の改善のために開発された。これが〈
命の水〉、コレラとたたかう水だ。
要するにスポーツドリンクみたいなものか?
いや、どちらかというと重湯に近い。
コレラなどの下痢で失われるナトリウムイオンの量は、汗で出て行く量より
はるかに多い。高濃度の電解質を喪失する細菌性胃腸炎の脱水の治療に使うに
は、スポーツドリンクはナトリウム濃度が��すぎる。これは医薬品外の乳幼児
イオン飲料にしても同じである(飲みやすくするためには、どうしてもナトリ
ウムは少なめになる)。ナトリウムを増やすためには、これらに塩分を追加す
るよりも、もともと塩分を含んだ飲物(うどん汁、みそ汁、すまし汁など)を
別に飲ませる方が推奨される(経口補水塩が必要な子供にとってその方が飲み
やすいから)。
また、スポーツドリンクは、糖分が多いため、浸透圧が280mOsm/kg程度と高
い。体液よりやや低い浸透圧(200~250mOsm/kg)にした方が胃腸からの吸収が
よいことが分かっている(医薬品外の乳幼児イオン飲料は、ナトリウム濃度以
外の組成は、治療用経口電解質液とほぼ同じである)。
重湯は糖質としてグルコース・ポリマーを含んでいる。ブドウ糖(グルコー
ス)は、浸透圧作用がある(1.8g/dlのグルコースは、浸透圧を100mOsm/kg上昇
させる)が、グルコース・ポリマーは腸管内で時間をかけてブドウ糖(グルコー
ス)に加水分解されるので、腸内の浸透圧が急激に上昇せず下痢を悪化させな
い。重湯はコレラによる急性下痢症に使用され、著しい効果があったらしい。
胃腸炎の際に、重湯に少量の塩分(食塩)を混ぜて飲ませる日本で伝統的に
用いられてきた方法は、脱水の治療や予防に実はなかなか良いやり方だったら
しい。
無論、経口補水液の使用に際しては、医師の指示に従うこと。