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大変興味深い本です。
この本の中で、読み手は実際に起きた幾つもの極限に接します。
それはさながら、凍りついた南北極点への道程や厳冬の山岳、
荒れ狂う嵐と寒さに翻弄される救命ボートの上等々・・・
人間の生存を拒絶するかのような大自然を舞台にした
何十冊もの冒険物語を一気に駆け抜けていくかのようで、
途中でページをめくるのをやめられないほど興奮に満ちています。
極限の中で生身の人間として出来ること、
考え得るすべてを尽くした後、
生きると決めている人の多くが体験する守護的な「存在」の気配。
生か死かの状況で、自分と仲間たちの他にもうひとり誰かがいる・・
故にこの種の体験を「サードマン現象」というのだそうで、
自分としては初めて耳にする興味深い言葉でした。
本書の中では、奇跡の生還を遂げたあのシャクルトンや
「翼よあれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグをはじめ、
世界にその名が知られる幾人もの探険家を含めた
極限状況での実体験が数多く例として挙げられ、
極限から生還した大勢の人たちにとっては、
実はこのサードマン現象がごく一般的と言っても良いほど、
比較的によく知られた現象なのだとはじめて知りました。
著者のジョン・ガイガー自身も探検家の顔を兼ねるひとりであり、
大自然に挑戦してきた多くの探検家たちへのリスペクトを表しつつ、
それゆえに体験者の心理に大いに理解を示しながら、
いったいこの現象はなんなのか・・・?という問いに対して、
非常にバランスの取れた考察と検証を展開していきます。
その過程は非常に刺激的で、
冒険探検記、脳神経科学、神秘体験やスピリチュアル・・・等々
様々な角度から関心を持つ非常に幅広い範囲の読者に、
大変おもしろい読書体験をもたらしてくれるはずです。
本書では、サードマン現象を体験した人々が、
しばしばその体験を通して宗教的な気づきに至る人たちが多いことにも触れ、
彼らが自分の体験に関して抱いている感触を肯定しながらも、
神秘的な源からの現象だとする結論に安易に飛びつくことはせず、
この現象との関わりが考えられる人類の精神構造の歴史と、
脳科学的な探求によって明らかになったことを提示する努力が払われています。
しかし同時に、現代の脳神経をめぐる科学によってさえ、
すべての謎が解明されるというわけでもなく、
形而上的な要因の可能性が排除されるわけではないことを示唆しながら、
人間の生命と精神のしくみににおける知識と経験の未到達な地点に、
比較的近い未来にやがては達することになるかもしれないという、
ワクワクするような展望が感じられます。
一読者の感想としては、現時点での脳科学的説明の試みと
それでも謎が残るこの現象についての考察から、
人間という生命の形についてなお明らかになるべき真実の存在を感じさせられ、
思わず畏怖をさえ覚える興味深い一冊でした。
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ヒトの‘気配’を感知するニューロン(神経細胞)があるそうな。
これは、生物として‘弱い’からだろうなあ。
ところで気配のほか、気遣いや気働きといった言葉は、
英語でなんと言うのかな。いつもそんなことを思ってしまう。(^^ゞ
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登山家ラインホルト・メスナーの魅力と彼の語るある現象についてのテレビ放映の記憶がずっとあったのだが、この本であらためて詳しく知ることとなった。
「サードマン現象」
遭難や被災などで人が極限状況に陥ったときに経験するそれは、探検家や冒険家の間ではよく知られたことなのだそうだ。
事実は事実として受け止めたうえでさまざまに検証しているのだが、絶望的な状況を乗り越え奇跡的に生還するきっかけになるというそれは、人はどんな状況にあろうとも諦めてはいけないと教えてくれたような気がする。
それにしても、登場する各ケースはすべて本人だけにしかわからない想像を絶する場面の連続で、事故や遭難の知られざる壮絶な真実とそれを何とか乗り越えようとする人間の孤独な戦いに、終始緊張しながらも崇高な何かを感じてしまった。
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科学的、実務的な遭難ドキュメントと勘違いして図書館で借りてしまった。
事象が真実だとしても、論理の飛躍が激しく、神秘主義的傾倒を感じられずにいられなかった。
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尊敬している人のおすすめで読みました。
面白いことは面白かったのですが、感動するほどではなかったです。(私の感覚がずれているのかもしれません。ここを見るととても評価がいいので。)
サードマン現象の事例とその研究・解説が羅列されているだけという印象。
ただ、それら事例があまりに壮絶なシチュエーションなので、そちらの話に夢中になりました。
私は最初からサードマン現象に対して、「そういうのってそんなに不思議?ありそうじゃない?夢を見るのと似たようなことじゃない?」って思ってしまったので、その時点でダメだった気がします。
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5章 退屈の病理まで読書。期限がきたので途中返却。ここ一番の生命の危機に感じる第三者の存在(サードマン)を事例を通じて詳しく分析。外国人作家にありがちな本論の分かり辛さはあるものの、詳しい分析で読み応えがある著作になっている。
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サードマン現象が起こるメカニズムや、文化との関係性(キリスト教圏で「守護天使」と呼ばれる存在と、日本で「守護霊」と呼ばれる存在との比較など)についての考察が読みたくて図書館で借りてみたが、そのような考察はあまり紹介されておらず、サードマン現象の実例を列挙しているだけという感じで、あまり興味が持てなかった。
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極限状況から奇跡の生還を果たした人がしばしば経験するという「サードマン現象」について、実例を挙げつつ考察したもの。スピリチュアル方面には傾かず、最初から「脳内現象」であるというスタンスなので、ふむふむと納得しながら読んでいける。
現実にはいない「サードマン」によって助け導かれることを、これほど多くの人が経験していることにまず驚く。インタビューや文献によって示される実例が、どれもこれも壮絶で、冒険ものを読むような興奮もある。サードマンの助けで九死に一生を得ながら、結局その後の冒険で命を落とす人が何人もいて、まったく人間とは不思議なものだ。
サードマンが脳の器質から来るのか、精神の働きなのか、結論は出ないけれど、人間にはまだまだよくわかっていない能力があるのだなあと思わせられる。「私」=「私という意識」ではないということをあらためて強く感じた。
生還譚が豊富に述べられることで、生々しい迫力があると同時に、考察としては冗長になっている感もあるが、興味深い本だと思う。
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とりあえず、みんな無茶しすぎだぜ‼︎
山に行ったり、海を渡ろうとしすぎだぜ‼︎
脳はなんでも作り出せるけど、
外からならなんだか嬉しいよね。
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これは極限状態で起こる「もう一人いた気がする」「誰かが励ましてくれた気がする」という現象に関する本。心理学的な考え方で読むかオカルト的な考え方で読むかで感想がだいぶ変わりそうで面白い。
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訳者あとがきにあった山野井泰史さんの関連書籍を読んでサードマンという現象を知り
興味が湧いたので読んでみました。
きっかけが山野井さんの本だったので、山での遭難などの過酷な状況で現れる存在という認識だったのですが
様々な状況のケースが挙げられており興味深かったです。
戦地で亡き友が出て来る、亡くなったおばあちゃんが夢枕に立つなどの
心霊現象として語られがちなエピソードもサードマンと考えることもできるわけです。
小屋に避難した4人が寝ないように部屋の四隅に立って壁沿いを歩き、隣の角に立っている友人の肩を叩くことで一夜を乗り切ったというよくある怪談も、元はサードマン現象だったのかもしれません。
現代では確かに仕事や遊びのためにカプセル環境に入ることがあり、
単調なのは未開の場所だけではありません。
人類の過去に単調な世界があったように、人類の未来にも単調な世界があるのだ。
という言葉はなんだか不思議な気持ちになりました。
脳の中に人を冒険に向かわせる原始的な部分があるというのもなるほど、と感じました。
冒険というほど大げさではなくても、同じ品が新しいパッケージで再販されると欲しくなるノベルティボーナスなど
些細な”冒険”を求める部分は確かにあります。
実験で迷路に入れられているラットも、わざとまだ行ったことがない知らない道に行こうとするというのも驚きでした。
冒険は動物の本能ということです。
サードマンについてみんなが一様に、
いないはずなのにそこにいることが奇妙であったり不気味であったりと感じるのに
怖くない、信頼できると感じているところが不思議です。
多くの宗教では修行として隔離された単調で退屈な状況を利用する伝統があると言葉にされて
これも納得のいくものがありました。
人は単調さから逃れようとして単調な状態に身を置いている。
というのはなんだか面白いです。
子どもに空想上の友達がいるという話は耳にしたことがありましたが、3~6歳の子供の約30%に空想の友達が現れ平均半年続くというのは知りませんでした。
大人からはごっこ遊びをしているように見えても、実は子ども本人にとってはそこに友達が存在しているケースは
実はもっと多いのかもしれません。
幻肢痛も知識としては知っていましたが、それと同じ理屈でサードマンを説明する説には大変驚きました。
集団ヒステリーのように精神状態も伝染するというのは理解できるのですが、
誰かが叫びだしたから不安が伝染するというのならともかく、
言葉にすると変に思われるかもしれないから口にしなかったのに
複数の人間が同じサードマンを見ていることや、
舵を取ってくれた、体を起こしてくれた、筏ごと上空に浮き上がった
といったケースはどうなのでしょうか。
偶然や錯覚で片付けられる問題なのでしょうか。
サードマンは惑わしたり危害を加えたりしてくることがないという点が、妄想とは異なっています。
でも、極限状態に陥ってい���本人にとって、それがサードマンなのか妄想なのかは判別することは難しいように感じます。
二分心論については初めて知りました。
古代は右脳が神、左脳が人の側だったこと、存在が右側にいることが多いというのは面白いです。
ストレス下では左脳の力が弱まり論理的ではなくなり、独創性の右脳が優勢になることでサードマンが現れるというのも
納得がいくような気がします。
『経験への開放性』というのはとても興味深かったです。
想像力に富み馴染みのない新しい経験、考え、感情を探索考慮し受け入れる意思が根本にあることを指し、
必要状況が全て揃っても開放性が低いとサードマンは出てこないというのは
大変納得がいくものでした。
信心の強さや生きる力が人より強かったからサードマンが助けてくれた、といってしまうのは
他の人が劣っているかのように聞こえ、ずっと疑問に思っていました。
非常に面白い内容でした。
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なんか、腑に落ちない。体験は、似たり寄ったりで飽きるし。
思うのだけれど現代では神秘的なことは排除される傾向があると思う。
昔は神に頼んだのを今は人間の手でどうにかすることができるのだから、サードマン現象を疑うのが当然なのは確か。
科学者系が出てくるが、それがナンセンスのように感じでならない。その気持ちは大いにわかるが、この手の神秘は、科学者系に頼んだら、絶対に神秘を否定するのが当然でそれが科学者としての役割でもあるのだから。
誠実で誠意があって科学者系を出すのは良いと思うが、それが、うざかった。
率直に言えば、神秘を人間が理解する方がおかしい。感じるものじゃないか。
曖昧模糊な本だと思う。
神秘ならそれを主張してほしい、作者が。其れが曖昧模糊。
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翻訳モノとは相性良くないけど、とても読みやすかった。訳をほめてるレビューがあったけど、確かにそうかも。雪山で孤立した体験を描いた以下の訳なんかブンガクっぽくて良い。
「すべてが白く、私の頭は何も読み取れない。すべてが白いのだから、何も入ってこない。 ... 何も入ってこなければ、すべて自分から出て行ってしまう。」
本自体は大変興味深くおもしろく読んだ。ただ、同じような窮地に陥ったサードマン遭遇事例がいくつも紹介されていて、読み応えはあるけど食傷気味な部分がなくはない。文中の事例は欧米人ばかりで、宗教、文化的な背景によってサードマンの姿は異なる気もする。そんな中でシャクルトンの体験談は歴史的な生還譚のようだけど、確かにものすごい。軽く5回は死ねると思った。
絶体絶命の極限状態に陥ったとき、果たして自分にもサードマンは現れるだろうか? 現れない気がする。「苦難のあいだも最後には救われると信じる人の方が、救済者をよく体験する」そうだけど、あきらめそうな気がする。サードマン現象を体験しやすい心理的要素として挙げられている「経験への開放性」と「没入性」とやらも自分には弱いと思う。わりと閉鎖的で飽きっぽいと思う。催眠術にかかりやすいとか霊感が強いということもないし。誰かを助けたり、助けられたりっていう人生経験の有無も大きいかもしれない。窮地になるとその時の経験がサードマン現象としてポジティブに働くのではないか?
サードマンは生還へと導く、ポジティブに働くものなんだろうけど、常に生還へと導くものなんだろうか?死に導いたサードマンもいたのではないか?サードマンが死神だった可能性もあるのではないか?生還した人は生に導いたサードマンを語ることができる。しかし死んでしまったら、死に導いたサードマンを語る者はいないわけで。
電気ガス水道がない昔、死が身近だった昔、サードマンのような、神のような、妖怪のような、得体のしれない何かは多くの人にとって身近だったのだろうと思う。山のような、サードマン現象や宗教的神秘体験をしやすい場所は興味深い。修験道が山を聖地にするのもそういう理由かもしれない。宇宙を聖地とするような新宗教は既にあるだろうけど、人類が頻繁に宇宙に行くようになったら更に発展するのではないか。
サードマン現象を解明しようとするときに、脳科学の視点から考えるのは現代的に正しいし興味深い。しかし、面白味に欠ける気もする。宗教でもオカルトでもない他の視点はないものだろうか。まあオカルトでもいいんだけど、神秘の領域がこの世のどこかにあってほしい。ヒマラヤの雪男とかも、低酸素低温の単調な環境に長時間いたことによる幻視なんじゃないか?とか考え始めると世界がつまらなくなる。パイロットや宇宙飛行士がUFOを見た!とかいう話もあるけど、単調な環境に長時間いることによって「退屈の病理」的な状態に陥って見てしまうのかもしれない。UFOもUMAも幽霊も神も全部そういう説明がついてしまうとしたら残念な気持ちになる。
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「サードマン現象」、あくまで脳の機能や誤作動による現象と見るか、まだまだ解明されてない人間自身の秘めた能力によるものか、はたまた、3次元レベルでは解明されていない力が働いているのか。私としては、「不思議」さを、少なくとも脳に限られた現象だけとは思わない。それらはやっぱり、人類が今現在、知ることができない領域の世界からの現象だと私は思う。
〈本から〉
「人は誰にでも慈悲深い存在が永久についていて、控えめな召使のように裏方で働いている時もあれば、身体に危険が迫った時など一時的にーあるいは子供の遊びのようにずっとー必要に応じて表に現れたりもする」ということだ。それ以外のときは、この慈悲深い存在は私たちの外ではなく、内にいる。それは生存のための大きな力であり、精神に隠された驚くべき能力であり、私たちの社会的ハードウェアの一部なのである。私はそれを「天使のスイッチ」と呼ぼう。
私たちはトレーニングによって脳波の働きを整える「ニューロフィードバック」のような方法によって、孤独な時や何らかの危機に遭った時に、サードマンを生み出す脳の領域を刺激して生存能力を高められるようになるかもしれない。
しかし、関係するのは脳だけだろうか。サードマンは、現象を体験した人に対し、思いやりや美徳、さらに人によっては偉大な力を持った見えない存在に接触したという鮮烈な思いを抱かせる。アコンカグアでサードマンに出会った医師でクライマーのポール・ファースは、サードマンに関する一般的な神経学説明を受け入れたとしても、やはり謎は残るという。
生物学的説明によって、恵み深い形而上的な要因の可能性が排除されるわけではない。「どのように」に対する説明が、「なぜ」に対する答えになるわけではない。これらの体験の生理学的仕組みがどうであれ、・・・・なぜこれらの慈悲深い幽霊が我々の知覚の周縁にある薄暗がりの世界を歩き回るのか、誰にも説明はできないだろう。
サードマンは何か途方もないものをあらわしている。サードマンがあらわれるのは、いつも、探検家、冒険家、生存者が目前の悲惨な状況を乗り越える瞬間である。サードマンは希望の媒介者である。その希望は、人間の性質の根本にある認識によってーすなわち、私たちは一人ではないという信念と理解によって達成されるのである。