投稿元:
レビューを見る
(2011.05.14読了)(2011.04.29借入)
週刊ブックレビューで紹介された本です。番組で紹介されるまで存在を知らない本でしたので、番組を見ていなかったら出会うことのなかった本でしょう。
60年安保闘争で死亡した樺美智子さんの『人しれず微笑まん』を読み、70年安保闘争で死のうと決意した著者の回顧録です。
学生運動をやるために大学に入学するという発想にびっくりしてしまいました。
70年安保闘争は、1968年ごろからの全共闘による学生運動という形による学園闘争として、闘われた先にあったはずが、1969年1月の東大安田講堂事件あたりから、大学内への機動隊の導入が進み70年安保を待たずに学生運動は潰されてしまった。
著者も、本来的に1970年3月卒業のはずだったので、この年に大学を中退し、魚市場でのアルバイトや選挙運動の手伝いなどで食いつなぎ、30歳を目前にして、組合運動の書記局として就職し、自治労や連合で労働者の待遇改善に取り組んできたということです。そろそろ64歳になるのでしょうから、引退ということになります。
会社員、公務員、自由業、農業、漁業、等いろんな職業があるのでしょうが、学生運動をやるために大学に入り、その後は、労働運動の専従として暮らすという道があり得るなどということは考えても見たことがなかったので、驚きでした。
著者の性に合っていたのでしょうか、実に生き生きと活動している様には感心させられました。(僕も彼と同じ団塊の世代で、同じ時代の空気を吸って生きてきました。)
●学生運動は自己表現の場(31頁)
学生運動を、反帝・反スタなどという教条主義的な考え方から解放し、参加する学生一人一人の感性を重視し、それぞれの自己表現の場とし、それを運動の一環としても考えていた
●日常的な要求で(67頁)
新左翼はマルクス・レーニン主義を信奉し、唯物史観に従って社会を分析し、労働者の開放こそが必要だという立場に立つが、全共闘のノンセクトの学生はもっと素朴に、ベトナム戦争反対や沖縄をアメリカの占領から取り戻すべきであるとか、大学の管理運営へ参加させろとか、もっと日常的な要求を掲げて戦っていた面がある。
●西日本へ(83頁)
今まで一度も箱根の山を越して、関西以西に入ったことがなかったことから、一度、西日本を訪ねてみようかという気になった。これまで行かなかった理由はただ一つ。箱根の山の向こうの人間は信用してはならないという家訓があったからである。幕末の薩長土肥など西国の諸藩の権謀術策に対する、我が福島の会津藩に代表される諸藩の不信感がそこにあったようだ。
●瀬島龍三(130頁)
臨調委員対策で実感したことは、この国では世間知らずの人たちが社会の問題を決めているということだった。土光会長には直接会うことはできなかったが、会長の懐刀の役割を担っていた瀬島龍三委員には数回会った。彼は山崎豊子の小説『不毛地帯』のモデルになった人物で、戦争中は関東軍の高級参謀で、その後シベリアに抑留されるが、数々の伝説を持っている人物だった。
●労働運動(134頁)
労働運動は攻撃されれば、その都度打ち返すという、果てしのない取り組みである。気を弛めた方が負ける。
●京都で嫌われる人��(159頁)
五木寛之の本には、彼が京都に住んだ経験から、京都で嫌われる人間を三つのタイプに類型化していた。まず、初対面にもかかわらず、腹の底まで見せる人。次に、相手の気持ちを斟酌せず、ズカズカと人の心の中に踏み込んでくる人。最後に、竹を割ったような性格の人、とあった。
●派遣法の改正(175頁)
派遣できる職場の緩和は経営側の思うつぼで、結果として大量の不安定雇用労働者を産んでしまい、挙句の果てには格差社会への道を開くことにもなった。
●原子力発電(177頁)
環境政策の議論の過程で、原子力発電の扱いが問題になった。従来から原子力発電については、電力総連や電機連合などは推進派で、官公労はどちらかといえば反対のスタンスだった。ある時、電力総連出身の環境委員から、環境政策に原子力発電の推進を明記すべき、との意見が出された。原子力発電はCO₂を排出しないから環境に優しいというのだ。
原発問題はCO₂の削減の観点からは評価できる面がるが、安全性の問題や核廃棄物の再処理コストの問題、何よりも唯一の核被爆国という国民の中に今でもある核アレルギーなどがあって、原発推進とは踏み切れない現状がある。
●小泉改革(214頁)
小泉改革は日本を壊し、地方をめちゃくちゃにし、アメリカに国を売り渡した。
☆関連図書(既読)
「六〇年安保」西部邁著、文芸春秋、1986.10.30
「全学連は何を考えるか」秋山勝行・青木忠著、自由国民社、1968..
「東大落城」佐々淳行著、文春文庫、1996.01.10
(2011年5月16日・記)