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ま、改めて、学生時代に戻って。
せっかく出たのだから、同じく進行する方とも比べながら全巻読破しようと思う。
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読むのはもう何度目になるのかよく覚えていない「失われた時を求めて」の第1巻です。光文社文庫の方の感想にも書きましたが、「失われた時を求めて」がとかく難解な印象を持たれがちなのはこの第1巻の一見取り留めのない描写が原因なのではないかと思います。一度読んだだけでは捉えがたいのですが、通して読むと脈絡のないエピソードに見えるものが、大きなひとつの物語になっているのが分かります。
この第1巻は、後に重要なテーマとしてクローズアップされる主題がすべて出てきています。それでいて子ども時代のノスタルジックな思い出が語られていて、語り手とは生まれた時代も国も違うのに、まるで自分の少年時代を語られているかのような錯覚を覚えてしまうのはプルーストの魔法としか言いようがないですね。
私が特に好きなのが、幼い語り手が母親からおやすみのキスをしてもらえるかどうか不安でいても立ってもいられなくなって、拙い策を弄するシーンです。
後の巻で語り手が経験する恋愛は、その全てがこのシーンでの母と息子のやりとりの拡大した再現とも言えるものです。ただ、語り手の想いが報われるのは結局一番最初の母親だけで、その意味ではここが唯一の幸福な「恋愛」描写になります。その後の語り手を考えると切なくなりますね。
(これは受け売りですが)この母と息子の関係が疑似恋愛なのは、母親が読み聞かせるジョルジュ・サンドの「フランソワ・ル・シャンピ」が、義理の母親と息子の恋愛物語であることに端的に表れています。母が小説の恋愛描写を飛ばして読み進めるのは、それが性的な描写だからではなく、自分と息子との関係を重ね合わせているからです。
それにしても、「失われた時を求めて」は何度読んでも新しい発見がありますね。
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再びプルーストの『失われた時を求めて』の扉を開きました。
私が最初に読み通した翻訳は集英社の鈴木道彦訳で、この翻訳はそれまでの井上究一郎訳に比べわかりやすく、『失われた時を求めて』を的確で印象的に伝えてくれる翻訳として、今後これ以上のものはないと思っていました。
ところが昨年、光文社古典新訳文庫から高遠弘美訳、岩波文庫から吉川一義訳が相次いで出版されました。高遠訳はちらっと立ち読み程度での判断ですが、わかりやすいけどやはり鈴木訳の印象的な文章には及ばないと思い読むまでには至らなかったのですが、吉川訳は岩波文庫ということもあり、この本を書店で手に取ったとき受けたとても繊細で"素敵な本"のようなイメージから、読まなくても手元においておくことにました。
その後、保苅瑞穂先生の『プルースト読書の喜び』を読んだことがきっかけで、再び『失われた時をもとめて』の扉をポルシェ911がそうであるように最新のものが最良という思いもあって、最新の吉川訳で開けることになりました。
読み始めて、すぐに体が震えてくるような感動を覚えました。文章がすごく滑らかで言葉が体にすっと滲み込んでくるようで、『失われた時を求めて』がとても近くに手に届くものとして感じられたからです。鈴木訳のような印象深い翻訳ではないのですが、流れるような文章がそう感じさせてくれました。だから鈴木訳ではプルーストのイメージを構築するのに時間を要することがあった『失われた時を求めて』を一巻だけですが数日のうちに読み終えることができました。また、註が本文のなかに設けられており、絵や画が豊富なのも『失われた時を求めて』の世界を認識し易くなっています。
さらにこの吉川訳は原文に忠実になるためにプルーストが思い描いた言葉の印象や、読者が文章を辿りイメージする順序を正確に再現してくれているということで、原文を手にすることができない読者にとっては、『失われた時を求めて』の世界により近付ける翻訳です。
これから長い時間を要し『失われた時を求めて』をプルーストが託した文章、言葉をゆっくりと胸に刻み込み味わいながら再び読み進めていこうと思っていますが、その思いに応えてくれる大切な一冊となりました。
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長い。とにかく永い。
無意味ささえ覚える長編小説の金字塔。
小説自体を語る時にこの作品抜きには語れない、という位置に居座る頑固者、といった所だろうか。
たぶんこの作品を二度読んだ人はいない笑
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正直言って少し手強すぎる。精神科医的に、ある種病的に人を見つめ、物を表現している気もする。
1900年を挟んだプルーストの成長、物事の見方を上手くあらわしていると思う。
これを読んで村上春樹のいたるところに影響していると思うのは私だけか?
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とりたてて大きなできごとは起こらないし、退屈な時間もたくさん過ごすのだけれど、色々なことを思い出しながら読むことができる。その分時間もかかる。慌てて読むものでもないのでしょうね。
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歴史に名を残す(物語的にも文章的にも)長大小説、今回はその入口をつまみ食い。噂に聞く比喩に比喩が重ねられ、イメージが幾層にも積み重なる文体は圧巻だが、全ての文がそうではないので無理に追いかけなければ実は以外と読める。とはいえ流石に文脈がわからなくなってくる事も多いので、岩波の場面索引はかなり重宝。印象的なのはやはり紅茶に浸したマドレーヌの箇所。人間の記憶の動作について、紅茶に混ざっていくミルクの拡散具合を捉え切った様なその精緻な表現には感嘆させられるばかり。いつか腰を据えて、ゆっくりと読み進めていきたい。
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語り手「私」の長い長い回想録。一巻ではコンブレーで過ごした少年時代について語られている。眠りと覚醒の狭間に現在を見失い、かつて住んだことがある場所の想い出が次々と現れる。主に描かれているのは上流階級の家庭の穏やかな日々。外面的には何も劇的な事は起こらないが、「私」の内面は躍動し続ける。少年の繊細な心の動きが、様々な比喩を織り込みながら文章の形で現れる。「私」の読書体験の描写が好き。
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記憶の扉は自分の意志とは無関係に開いたり閉じたりする。それを自分ではコントロールできない。
何かに触れたり、耳にしたり、匂いをかいだり味わったりするとき、突然、火花のように頭の中に印象的な光景が輝くときがある。ついさっきまで、思い出そうとしても思い出せなかったものを、なぜ、思い出すことができるだろう。小説を読みつつ、改めて考えてみると、名作といわれる由縁が見えてくるような気がした。
たった一切れのマドレーヌと紅茶が主人公を数十年の過去へといざなったように、
記憶とはただ物質に触れる偶然によってのみ、思い出すことができるものなのだ。
回想という形式をとりながら、ここまで深く人間の記憶と物質・空間の関係に踏み込んだ文章を書くプルーストの彗眼には恐れ入る。
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訳:吉川一義、原書名:À la recherche du temps perdu. Du côté de chez Swann(Proust,Marcel)
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まずは1巻。第1編のそのまた第1部。プロローグのプロローグといったところ。マドレーヌのくだりはここ。
ちょうど今、岩波文庫と光文社古典新訳文庫とで、新たな全訳が進んでいる。どちらも2010年から翻訳が始まり、最終的に全14巻を予定しているところも同じ。同時に2つの翻訳プロジェクトが進行するというのはかなり珍しいことなんじゃないだろうか。新たな読みやすい訳で読むことができるだけでなく、それを選ぶことができるというのはとても良いことだと思う。
本屋で冒頭何ページか読んでみた結果、個人的に読みやすく感じたのは岩波版。なんとなく文章のリズムが良い気がしたのだが、実際どちらの評価が高いのかはよくわからない。岩波文庫の方が、フォントや行幅に馴染みがあるというのもあるかもしれない。このへんは、好みの問題だと思うので、訳が複数ある場合には実際に手にとって確かめてみる以外にない。訳の正確性については、ネットで見たところどちらも問題なさそうだし。
数年前にいちど挑戦して挫折したので、今回は二度目の挑戦。今度こそ読みきることができるのか。読み切れたとして果たして何年かかるのか。ゆっくり地道に読んでいきましょう。
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もしも20代の頃この本をてにしたら、何だかさっぱりわからなくて途中で投げちゃったと思う。年をとることも悪い事ばかりじゃない。
これと言ったストーリーがある訳じゃなく、主人公が思いをつらつら語ってるだけでなので正直疲れる。それでも主人公の感性が鋭いせいか案外面白い。
この巻は主人公がⅠでは幼少期、Ⅱでは思春期と思われる。どちらも母方の祖父母の家で長期休暇を過ごした思い出を綴っているが‥‥
まあああ暇な事❗️
飲んだり食べたりすることと散歩に行くくらいしかする事がなく、散歩のルートが2つあって、それが「スワン家のほう」と「ゲルトムントのほう」。この2つの言葉は何かを象徴しているのだろうけど、現段階ではよくわからない。
今後が楽しみ。
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今年中に全部読み終わりたいな。
描写が繊細でとても美しくハッとさせられるんだけれど、これを読むには現代は刺激が多すぎる。
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https://ameqlist.com/sfp/proust.htm
全人名・地名・作品名を網羅した総索引付き
https://www.iwanami.co.jp/news/n32571.html
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子どもの世界の豊穣さがこの巻では描かれている。母とのキスをめぐる複雑な感情、ブロックとの友情、読書論、俳優のランク付け、恋愛への憧れ、物事がうまくいかないことへの苛立ち、、、。
なにより、かのマドレーヌと紅茶に象徴される五感に訴えかける描写は素晴らしい。
また、諧謔と皮肉る精神(特に女中フランソワーズをめぐって)やサディズムの描写も意外性があってよい。
さいごに、訳者後書きを読んで、天啓とも言うべき訳行の経緯に、泣けてしまう。最後まで心して読もう。