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障害者とゴルフ、愛国心と博愛主義、同性婚の是非などといった身近な話題で討論することで、政治哲学の根本を深めていく手法が分かりやすく紹介されている。テレビ番組を見たくなりました。
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1巻とは、印象がガラっとことなり、さらに内容の難易度も数段アップして、読み進めるのに苦労した。
2巻まで読み通して、サンデルの主張が分かるようになっている。
果てしない思考の旅を、この教授と一年間続けた上での、学生の達成度は相当なものがあると想像できる。
サンデル教授の言う、すべてが選択と主張により判断されてしまう政治や法律、社会は現在にはそぐわないと感じる。ただし、その選択は、より議論や判断を複雑で困難なものにする。
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約1ヶ月前に読了。後半のテーマは難解で、理解するのに時間がかかったが、興味を持って読み続けることができた。特に学生達の議論が本当にしっかりしている。各々の信念に基づき言葉を発しているから、議論が「白熱」するし、臆せず議論をぶつけていくので論点や問題点がはっきりして、内容を理解するための大きな助けになった。何より、ああやって積極的に議論に参加していく姿勢が皆格好いい。そういう雰囲気で受けられる授業もいい。大学で受けるなら、正に理想的な授業だと思った。
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講義内容そのままで学生との対話形式で書かれているので読みやすいとはいえ、実際に講義を受けているつもりで考えながら読まないとついていけなかった。今日も東大の授業の再放送をしていたし、本で読むより映像で体験するほうが面白い。本は映像を見た後の復習にいいと思う。
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ハーバード白熱教室講義録の後編。
上巻の後半からカントの哲学を扱うようになり、下巻はその続きからロールズへと入る。このあたりはさすがに一番難しいところなので、学生の発言もやや停滞気味(読者としては、小林教授の解説がだいぶ役に立つ)。
そんなこともあってか、サンデル教授がちょっとしたジョークで契約と互恵性の区別を説明したり、ハーバードの学生たちの入学資格を問うたりすることで、授業を活性化させようという姿勢がよく見える。
授業デザインとしては、後半になればなるほどサンデルさんの政治的立場に近づいていくんだけど、そこでも彼ができるだけ自分の意見を前面にださないで、議論を活性化させるように配慮していることが印象的だった。
ロールズ批判の「負荷なき自己」概念を説明する時にも自分の名前を出さなかったり(!)、自分の意見をつい言ってしまった時には謝罪したり、学生が相手学生のプライバシーに立ち入る質問をした時はすぐにストップさせて「答えなくていい」と言ったり、コミュニタリアリズムに対する反論を積極的に出させたりと、いろいろ配慮しているんだなあ、と感心した。「自由に意見を言って下さい」というだけでは意見など出ないわけで、そういう点で参考になる。(こっちが教員なので、どうしてもそういう読み方になってしまってごめんなさい)
ところで、付録である東大の特別講義は、個人的には全然面白くなかった。それは東大の学生がダメという話では全くなくて(むしろ事前勉強がほとんどなかったことを考えればよくやっている)、ここでのサンデルさんが、ハーバード大の講義で読者が一度経験した問いの設定や構造を、全く別のケースでくり返しているだけだからだと思う。
例えば東大での論点となった「原爆投下についてオバマが謝罪すべきかどうか」という問題は、ここでは完全に「コミュニティの構成員としての義務はどこまで及ぶか」という問題に還元されてしまっている。まあ、初対面の大人数の学生相手の「イベント」だからそれは仕方ないんだけど、だとしたらこういう企画そのものについて若干の疑問も生じてくる。
たとえば、もし原爆投下について論じるなら、まず歴史的事実として、その当時原爆投下に至るまでのどういう問題があったのかを知るところから始めるのがまっとうな態度だと思う。あそこにいる東大生は、まずそれを知らない。というか僕も含めて日本人の多くはそれを知らないのだ。(サンデルさん自身もどれだけ知っているか、僕にはよくわからない)
そういう事実を確認する作業なしに、原爆という深刻な具体的問題を、「コミュニティの構成員の義務」の問題のみに抽象化・還元してして語るのに、どんな意味があるんだろう。原爆の問題は、たとえばトロッコ問題のような、議論のために考え出された抽象的な思考実験とは全く違う、具体的で、実際に大勢の人が死に、そして今でも日本とアメリカで認識の差を生みだしている現実の、目の前の問題なのだ。
そういう観点から見た時に、今回の「原爆」をめぐる議論は、具体的な問題を解決するための対話につながるだろうか���もしかして「知的イベント」として、「僕たちはよく考えた。対話した」という、自己満足のみを生みだして終わり、なんてことはないだろうか。
そんなことを考えた下巻だった。なんだかちょっと批判的になってしまったが、ロールズの「正義論」やアリストテレスの目的論を理解するための入門書としては面白い。上巻に引き続いての良さは健在。ちょうど「正義論」の新訳も出たばかりだし、興味のある方は読んでみてはいかがだろうか。
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〈社会的・経済的不平等は、多数派の利益だけではなく全員の利益になっている時に限り、許容される〉
「生まれつき恵まれた立場におかれた人々は誰であれ、恵まれない人々の状況を改善するという条件に基づいてのみ、自分たちの幸運から利得を得ることが許される」
本書がこれほど冗長なのは、それ以外の「各論」を「論破」、それも論のみを用いて破るためでもあるが、ここで一つの疑念が生じる。なぜ著者は物語をこれほど避けたのだろうか。
物語がいかに話を飲み込みやすくするかは、「正義論」と「ハーバード白熱教室講義録」を読み比べるだけでわかるだろう。他人事だった論が、物語になったとたんに「自分が今直面している問題」となる。だから教室は白熱する。しかし「正義論」では、「燃料」は全て抜いてあり、そこにはむき出しの雷管だけがおいてある。これではいくら火がついても、火花で終わってしまうではないか。
その疑念は、訳者あとがきを読むとさらに深まる。Rawlsは象牙の塔で論ばかりこねくり回している、ステレオティピカルな哲学者のイメージから180度違う前半生を送って来たのだ。
P. 777 卒業の翌月、陸軍へ入隊。歩兵としての基礎訓練を受けた後、米第三二師団百二十八連隊のF中隊に配属されてニューギニア、フィリピンを転戦し、占領軍に連なって四十五年九月には日本の地を踏んだ。四ヶ月間のGHQへの服務中、軍用列車に乗せられた彼は被爆直後の広島を目撃。また上巻を侮辱した兵士を罰せよとの命令を拒否した科により、下士官から一平卒へ降格処分を受けるにいたっている。
まさに世界最強の軍隊に対しすら譲らなかった「正義の人」であり、正義ゆえに受けた受難のエピソードに事欠かない人でもあった。しかしこの正義の原体験は、「正義論」には一切登場しないのだ。もし登場していたとしたら、本書は50万部ではなく500万部売れたのではなかろうか。
この「論を物語を持ち込まない」というのも、Rawlsの正義の一環をなしているはずなのだが、なぜそれがRawlsにとっての正義となるのだろうか。それを読み解くのが、「正義論」のもう一つの読み方かも知れない。
Rawlsにとって、物語の添付は「多数派の利益」とはなっても「全員の利益」とはならないという判断だったというのが私の読みだ。確かに物語は話を分かりやすくする。しかし「敵」なくして「正義の物語」を紡ぐことは難しい。しかし「全員の利益」を志向する以上、それは「反則」というわけである。
それがほんのかすかに覗いている箇所がある。本書では数少ない、実例が出てくる一節である。
第79節 社会連合という理念
〔南北戦争で北軍の将軍であった〕グラントと〔南軍の将軍であった〕リーは、リッチモンドを占拠したいという彼らの欲求にあっては同一であったものの、この欲求は彼らの間に共同体を成立させなかった。
グラント、リー両将軍の名は、この箇所には登場しても巻末の人名索引には登場しない。
そしてこの両将軍はなぜ相見えることになったのか、
「全員」とは誰かの定義が一致しなかったからだ。
具体的には、黒人は「全員���の一員か否かということだ。
「生まれつき恵まれた立場におかれた人々は誰であれ、恵まれない人々の状況を改善するという条件に基づいてのみ、自分たちの幸運から利得を得ることが許される」。しかしRawlsは「人々とは誰なのか」をつまびらかにしない、しかし「人々」に何を代入するかによって、この主張の解釈には北軍と南軍ほどの違いが生じる。
代入。Sandelがやっているのが、まさにそれである。
そこには一つの諦念がある。
Restlessness of the Reason という、諦念が。
「正義は行ってなんぼ」であり、そうである以上「論」ずるだけでは使えない。その点はRawlsも同意するだろう。
にも関わらず、なぜRawlsは「論」で留めたのか。
それこそが、「正義で負けた」Rawlsが達した、「正義の逆襲」なのだろうか。人は死ぬが、論は死なない。彼の正義を降格をもって拒否した連邦が死んでも、正義を考えるだれかがそこにいる限り、彼の論は死なないだろう。
しかし、論は論のみでは何ももたらさない。そこに現実を代入して、論ははじめて人を動かす。
この点において、 Communitarianism は Richmond で、 Rawls と Sandel は Grant と Lee のように見える。どちらが Grant でどちらが Lee かはわからないが…
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後編はロールズの正義論、アファーマティブ・アクション、アリストテレスの目的論、コミュニタリアズムなど。東大編はタイムアップにつき読んでません・・・。
読みやすく満足いたしました。で、このテの本のアレなところは、読んだだけでわかったつもりになるところ(´Д`;) 勘違い注意。
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マイケル・サンデル氏の
ハーバード大学での講義と
東京大学での特別講義を文章化。
哲学の話なので
専門的な用語が入ってくると
理解するのに時間が掛かりましたが
例え話などがわかりやすく
案外サクサクと読み進められました。
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哲学の本としては大した本では無いように思う。過去の哲学者の主な考えを示し、サンデル自身の哲学は語られてはいない。
尤も、そういう趣旨の授業だったのだろう。
また、それぞれの哲学者の考えについてもわかりやすい例えで説明されているため入門書としては良いと思う。
うまく考えを対立させたり発展させたりすることでそれぞれの特徴を出している。
その分「わかったつもり」になるのがこわい。
どの哲学者も膨大な量の論考で体系的に作ったものが元になっているはず。その一つ一つを知らずにはきっと組み立てられない。
本書は入門書として触ったら本物に触れていきたい。
また、議事進行としてはお手本となる本だと思う。
当然のことながら進めたい方向性は押さえた上で、どういう質問をすれば相手が自分の望む方向へと進む答えを出すかがわかっている。
本書のすばらしい点はそれを学べることだろう。
おそらく実際に役立つのは中の入門書としての政治哲学よりもこの議事進行の手法だ、という場合の方が多い。
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大学・学校運営に携わる者は、アファーティブ・アクション(積極的差別是正措置)に無関心でいられない。アメリカで特に濃厚であろうか。逆に何かしらの優遇措置も今日の日本ではあたりまえである。このバランスをどう考えるか。
加えて、私学はレガシー・アドミッションとどう付き合うか。選抜性の確保と縁故の存在は、学生の選抜度に関係無く水面下で行われていることなのだろうか。
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東大の講義の方は時間が短いからか、最後が無理やりなまとめ方だと思うけれども、ハーバードの方は本当に進め方が上手。そして、終わり方がちょっと感動的で心に響く。それにしても、ハーバードの学生は本当に優秀。字で追ってても、私には少し議論に追いつけません。
いくつかの内容や議論が今の精神状態にぴったりとはまり、心がすっきり。こういう本はやっぱりたまには読まなきゃだな。
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前回の上の講義の続きから始まります。
下巻は上巻に比べてより、学問的な要素が多くなっています。
会話のレベルも高くなっていて、前半は挫折しそうになりました。
(本自体は凄く面白いんだけどね!)
しかし、後半のラストスパート、特に東京大学での特別講義の部分は、上下巻あわせて一番面白かったです。
日本に関わるテーマで議論を進めていくので、
ほんとに自分が一緒に参加しているかのようです。
上巻のレビューでも述べましたが、自分にはない意見を聞けるっていうのがこの本の一番面白いとこです^^
ほんとにほんとに、読んで欲しい一冊です。
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内容も良いが、ファシリテーションの技術は素晴らしいと思う。録画してあるNHKの放送をまだ見ていないが、議論の進め方にも参考になると思う。
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下巻になると難解で、一読ではついていけなかった…
でもそこはハーバードの学生。
鋭い意見をばんばん出してきます。
一番印象に残ったのは、白人の学生が大学入試で落とされたことを不当として訴えた事例。
その大学はマイノリティ向けの枠を設けており、その枠に該当する学生は白人程の学力がなくても入学できる。
しかし、落とされた学生からすれば、人種は自身で選択できるものではないため、この処遇には納得できない。
しかし、マイノリティの学生からすれば、この優遇措置はこれまでの歴史に対する贖罪であり、また多様性を許容する世の中を作るために必要であるということから、この処遇は正義にかなう。
そういうと、では全体のために個人の尊厳を無視するのかという議論も出てくる。
そんな感じで下巻は益々熱い講義となってます。
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ハーバードの講義を収録した本。
下巻はコミュニティに関する議論が印象に残りました。
・自分はどのコミュニティに対して義務を負うのか、家族、地域、都市、日本、人類。
非常に難しい問題ではあるけれど、自分の行動を規定する根底となる部分であるので、解は出ずとも様々な考えを議論しておくのは有効に思います。
最後に書かれていた、
>なぜ、永遠に解決できない質問を提起しながらも議論は続いていくのか
の問いに対する
「この先ずっと悩み続けていくものだ。」
という回答が、まさに人生なのだろうかと考えてしまいました。