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これだけ読み応えがあるのに、より分かりやすく解説してあって、著者の力量の凄さがよく分かります。『これからの「正義」の話をしよう』を読んでいなくても、本書で十分です。
読むだけでも随分時間がかかりました……
読んでいるときに思っちゃった事を書いてみます。
アリストテレスの適合性正議論は、得手不得手と好き嫌い、どちらを優先させるのでしょうか?
サンデルによると、『最高のフルートは最高のフルート奏者が持つべき』と言っているので、得手不得手を優先させると思うのですが、好き嫌いよりもそちらを優先させるというのは、言ってみれば自分の感情を押し殺して充実感を犠牲にし、より良く生きようとする自分自身の目的を蔑ろにするのではないか?と言えます。
また、身近な例で言うと、中学生の部活動の問題があります。才能があるのに練習しない生徒と、彼より能力が劣るが真面目に練習に取り組む子がいて、より上位の試合に出場させるのはどちらが良いのか。これは部活動の根本目的を問いています。つまり部活動とは『能力至上主義』なのか『努力至上主義』なのかです。
中学生の部活動と考えるならば後者の方が教育的見地からしても妥当ですが、一方で『現実の厳しさを教えるべき』『練習に来なくても、高い実力を持った子を試合に出場させる方が大会実績を残せる可能性が高いし、そうなれば色々なところから練習の誘いが来て、結果的には全体のレベルアップに繋がるのでは?』『努力してもダメなものはダメだと今のうちから教えた方が後学のためになるのでは』と言われれば反論し辛いです。
だけど、『中学生は義務教育である。その一環である部活動は結果を求めるのではなく、仲間と連帯して一つの目標に向かって切磋琢磨するところだから、ちょっと実力が高いからといってレギュラーメンバーにするのはいかがなものか』『中学生に社会の現実を突き付けるのは酷な話だ』と再反論も出来ますが、こうなってくると、もはや部活動の目的に沿って考えるのは難しく、先生個人の考えがどちらに重きを置いているかによります。実際にこのジレンマで頭を悩ませている人は多いのではないでしょうか。
また、目的論的正義論になると、需給ミスマッチ問題が生じる恐れ(極端な話、全員が奴隷に向いていたらどうするのか?)があります。
サッカーを例にすると、フォワード向きが多すぎるとバランスが悪くなって試合になりません。『もっと外部から選手を勧誘して増やせれば、その中でキーパーが得意な人やディフェンダーが向いている人も出てくるはず』となれば、全体の定義が定まらず、得手不得手のバランスが整うまで永遠に適者を探さないといけなくなります。
共通善の構築は現実的ではないように思えます。だからこそ実際には多様な考え方があって、それを制度的に保証し、多様な中から自分に合ったものを選択できるようになれば良いと思うのです。
あとチラッと思ったのが、
公務員も民間並みに→民間も公務員並みに→ブラック企業の対策等、共通善を考えるとコミュニタリアニズムは今の時代に一定の成果が期待できるのでは?
『これからの『正��』の話をしよう』では、サンデルの思想の立ち位置がよくわからず、「で、サンデルは何主義者なのか?」と思いましたが、本書ではっきりと立場を明かしていてすっきりしました。なるほど(大雑把言うと)コミュニタリアニズムかぁ~。
個人的にはロールズの格差原理にある「恵まれた者は、恵まれない者の状況を改善するという条件でのみその幸運から便益を得ることが許される」というのが好きです。サンデルも言っているのですが、この思想から助け合いの精神みたいなのが見え隠れしていて、リベラリズムは決して個人主義ではないように思います。
功利主義、リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム……色々と主義主張がありますが、僕自身は割とリベラリズムかなぁ~なんて思います。やっぱりしがらみに束縛されたくない(笑)
僕の評価はSにします。
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サンデルの正義論とジョン・ロールズの正義論の批判の理由
この本が出版された2010年12月までのサンデルの全出版書籍を取り上げ,その内容を解説しながら,サンデルの考えについて説明している。
サンデル自身の考えに焦点があてられており,「白熱教室」や「これからの正義の話をしよう」よりも,難しい内容となっている。自分としては,pp. 100-200あたりが特に複雑な内容で理解が難しかった。
書籍の構成としては,全6講となっている。
第1講で「白熱教室」や「これからの正義」で取り上げられた内容を順番にたどり,サンデルの考えや二つの書籍での違いなどについて触れている。これはおさらいとしてよかった。
第2講で,サンデルが有名になったとされるジョン・ロールズの正義論についての批判が展開されている。
残りで,ジョン・ロールズのさらなる批判,コミュニタリアン的議論として,改造人間や政治について議論されていた。
個人的には,ジョン・ロールズの正義論やリベラリズムは多くのことが説明でき,共感していたので何が問題なのかが気になっていた。
ロールズの無知のベールという考え方自体が,周囲のコミュニティを前提とした考え方になっている。これが一番大きかった。この他に,適価の存在,負荷ありし自己というキーワードがポイントとなることがわかった。
その他,改造人間の話題では,ドーピングや遺伝子工学などは努力の究極的な考え方となってくる。スポーツなどでこれを導入するとそれはただの見世物になってくるのではないかという美徳の問題の提議。ES細胞では,胚をどう考えるかについて,髪のある人とはげの人との違いはどこになるかという例をあげ,はっきりと人間か人間でないかにわけることが困難であることを主張し,人間ではないものの,人間になる過渡的な存在として考慮すべきだろうというあげていた。これらの考え方は新鮮で参考になった。
「白熱教室」や「これからの正義」と比べ,踏み込んでやや難し目の内容となっているため,万人にはおすすめしがたい。しかし,ジョン・ロールズの正義論の問題点とサンデルの考えを知るにはおそらく一番よい本だと思った。
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サンデルの著書を翻訳し、白熱教室等の解説をされている方の著作です。一見難解な言葉も、とてもわかりやすく理解できます。ボリュームがあるため、新書としてはヘビーですが、やさしめの専門書ととらえると値打ちがあります。
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マイケル・サンデルの主要著作を読み解き、彼の政治哲学の全体像を示している入門書です。
著者は、『正義論』におけるロールズのリベラリズムが「負荷なき自己」という考えに立脚していることを批判した、サンデルの『リベラリズムと正義の限界』の内容を解説している章で、この著作によってサンデルは「ロールズの魔術を解く」ことに成功したと述べています。ロールズの『正義論』は、功利主義的な政治・経済思想が社会に浸透しつつあった20世紀において、「善」と「正義」を切り離すことによって政治哲学を一挙に活性化させることに成功しました。ところがサンデルは、こうしたロールズの戦略の背景に目的論的な「善」がひそかに前提されていることを指摘しました。そのような観点からロールズの「無知のベール」の仮説をみなおしてみると、それは私たちのコミュニティにおいて当然あるべき「公正な正義」を認知し発見していくプロセスだったと考えることができると著者は言います。そして、このような見方を可能にしたサンデルのロールズ批判を、「ロールズの魔術を解く」ことに成功したと表現しています。
そのほか、『リベラリズムと正義の限界』におけるロールズの立場の変化に対応し、サンデルが『民主政への不満』において「負荷なき自己」に対する批判から、「善に対する正(ないし権利)の優位性」に対する批判へと焦点を変えていった経緯を説明しています。また、コミュニタリアニズムの代表的論客とされるサンデルの立場とは、ウォルツァーのように共同体の内部における基準を絶対的なものとみなすのではなく、「負荷ありし自己」の立場から目的論的な政治倫理をめざす立場だということを解説しています。
私自身は、現代アメリカの政治哲学ではローティのプラグマティズムにもっとも親近感を抱いているので、本書で紹介されている具体的な問題に対するサンデルの主張には違和感を覚えることも少なくなかったのですが、コミュニタリアニズムとして一括されるサンデルの思想の具体的な中身について知ることができたという意味では有益だったように思います。
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• 現在進行形である政治経済の問題を議論する際には、どうしても実例を取り上げて論じる必要が出てくる。(21)
• 具体例だけ論ずるのではなく、必ず抽象的な原理・原則と関連させて議論を進めるのも大きな特徴だ。実例だけでは哲学にならないし、他方、抽象的な原理・原則だけ検討しても机上の空論に陥りやすく、多くの人たちを惹きつける魅力に欠けてしまう。印象的でリアリティあふれる具体例と、原理・原則との絶え間ない往復運動が、前述した弁証法的な方法であり、彼の政治哲学の重要な特徴のひとつである(21-2)
• 学問の原点回帰(26)
哲学の原点は、ソクラテスと登場人物との生き生きとした対話にある
• なぜ日本では政治哲学が導入されなかったのか(31)
多くの学問が導入された明治時代には、政治哲学を研究すると、すぐに主権とか天皇制の問題などに触れてしまうので、その危険を避けた
• 現代の主流派経済学の基礎にあるのは、「喜び」ないし「快楽」を「効用(utility)」とする功利主義(utilitarianism)の考え方である。(46)
• 功利主義的発想が端的に現れてくるのが、経済指標のGNPを至上視する見方である。お金を持っていることが喜びないし快楽と連動していると考えれば、喜びや快楽の合計は、GNPという指標に表れることになり、GNPの成長が社会の幸福の増大ということになる。ここから、「経済成長を最も大きくすることが政治の目的である」という考え方が現れることになる。(46)
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リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリズム。
ハーバーマスはリベラリズム。アメリカと欧州では、その文脈が異なることに注意。
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コミュニタリズムの概説。
具体的な事例について、各事例での目的を元に議論を深め
それぞれの正義を合意するということか?
難しさを感じるが、たしかに
それしかないのかとも思える。