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諏訪中央病院の院長のエッセイ。彼の価値観が好きな人は高評価、そうでない人はそれなりの評価になるでしょう。
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ひとつの事実の裏に、たくさんの似ている事実が実在する 今日生きねば明日生きられぬ いっぱい泣くと、人間は不思議に元気が出るものだ ものや金や情報よりも大切なものがあるはずだ。二十一世紀、忘れていた魂への心配りを僕たちの乾いた心に取り戻したいと思う
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人生のターミナルステージをどのように生きるのか。医療界の明るい未来を期待したい。当たり前の事が当たり前に出来る喜び。実話だけに心に響く話しばかり。死は誰にでも平等に訪れる。生き様と死に様のどちらも自分らしくしたいと思った。
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諏訪中央病院の鎌田實院長のエッセイ。
病院での日頃の活動、今の病院運営にたどり着いた訳、
日本の病院の緩和ケアを中心とした残念な現状など
鎌田院長の思いが書かれている。
興味深いのが、若かったころの鎌田院長自身の事にも言及している事。
でも、若い頃から志を持っていたので今があるんですね。
様々なエピソードが書かれていて、内容によっては、
泣きそうにもなってしまいました(苦笑)
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医者である鎌田さんが自分の母親が亡くなる直前に「人工呼吸器につなげば、もう1週間ぐらいがんばれるかもしれない。だけど、母さんの気管の中にチューブを入れて、人工呼吸器につなぐのは、僕は息子としてしのびない。そういう手だてもあるけれども、しないほうがいいと思う」と父親に話したところ、一秒でも長く生きられる方法があるのに、どうして息子のおまえがしないんだと、真っ赤になって父親から怒られたとのこと。
この経験を通じて鎌田さんはこう考えたそうです。
「人間の命のあり方を決める場面に直面した時、ぼくはぼくなりに母を大切にした思いのうえでの判断だった。父は父で、自分の女房に対する愛情の表現だったのだろう。立場が違うと、思いも考え方も違うということ知った。でも、違うという前提があっていいように思う。答えは一つではないのではないか、ということを学んだ。」
この本は、亡くなる話ばかりで電車の中で読んでいても、まぶたに涙がたまってしまって大いに困ったが、こんなことも書かれていてとても考えさせられた。
医療の仕事は、「生」を支えると同時に、「死」をどのように支えるかということも問われているように思えてならない。
books152
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「がんばらない」2
著者 鎌田實
出版 集英社
p15より引用
“自分の生き方を自分で決められないお年寄りも多いことは事実
である。”
医師である著者による、患者たちとの交流を記した一冊。
がん患者に対するケアについてから穴あき紙パンツについてま
で、所々に詩を交えて書かれています。
上記の引用は、患者の自己決定の権利について書かれた項での
一文。寝たきりになって自分の意思を表すことが出来なくならな
いように、元気に寿命を全うしたいものです。
最後まで元気に過ごせるように、普段から体には気をつけようと
思いました。どんなに気をつけても、病気になる時はなるだろう
とも思いますが。
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現在、諏訪中央病院名誉院長である著者は、25才の時にこの病院へ内科医としてきた。その頃、病院の経営状態は累積赤字が4億円でつぶれかけていたそうだ。それに、全国で二番目に脳卒中が多く、特に茅野市は長野17市の中で一番多い。その病院を建て直すと共に、市民の健康状態も良くした人である。まず、地域に呼びかけ、薬で治すというだけではない医療もあることや、意識改革をしながら自分たちの生活をもう一回見直していくことで、健康を回復していく医療もあることを理解してもらった。その後、減少していた患者の数が多くなり、日本有数の長寿地域でありながら、医療費が低い病院といわれるようになったのだ。今あるデイサービスの先駆けとなったのも、この病院だという。他にも、在宅ホスピスケアや緩和ケア病棟など、患者のための病院作りに力を入れている。24時間体制で診てくれる病院であり、ターミナルステージ患者の心のケアも考えてくれる病院である。地域一体となって大きくした病院は、今後増えてくれるといいけれど・・・。この本には、あらゆるケースの患者さんの経過を語りながら、病院のあり方、医者、看護士のあり方を再確認している。
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必要だったので購入
死は誰にでも必ず訪れる
まだ10代の私はどう生きるかでいっぱいいっぱいで、どう死ぬかまで想像力が働かない。
医療が発達した現代だからこそ、問題になっていることもたくさんある。最期までどう生きるか、ゆっくり考えていきたい。
大人になって読むとまた感じ方が違うんだろう。
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終末医療について大変勉強になった。こういう人が医療界、介護現場を変えていってくれているのだなと思った。
今の時代に足りないもの、忘れてしまっている大切なものをしっかりと見据え患者さんと正面から向き合う。
著者は医療する側の人間なのにネイティブ・アメリカンの死生観も持っている。人間として生き、人間らしく死なせてくれる。こういう感性を根底に持つ人が増えるといいなと思う。
引用メモ
・人はつながりの中で生きている。人と人のつながりの中で生活を営み、人と自然のつながりの中で命は生かされ、体と心のつながりのなかで、生命をはぐくんでいる。
・否認、怒り、取引(善行により治癒するなど)、抑鬱、受容
・ペインコントロールについて
その国の医療用麻薬の使用量と、その国の文化度は相関しているともいわれている。日本では耐えられないような痛みに対して「がんばれ、がんばれ」と歯をくいしばらせることが多い
・大人たちが誠実に一人ひとり希望を持ってきちんと生きていることを、子どもたちに見せてあげることが大切だ。これが命のリレーだ
・人間の疾病を部品の故障と考えたデカルト
・自ら地域に出て地域で学ぶところから始まった→信頼関係
・西洋文化が入ってこなかったかつての日本では、自然と人間は対立するものではなく、自然と人間は一体であった。人間と病気の関係も対立するものではなく、共存する関係であった時代がある。
・祭→治癒
・西洋流の、個の自立の大切さを信じてきたが、個の自立を獲得しようとする自分の中に、無用の競争や差別意識を生んできた
・死ぬことはそんなに怖いことではないということを次の世代へ伝える
・死んだ人にムチ打ってはいけないという日本的寛容さ
・人間は原子力を使うまでにその人間性を深めただろうか
・障害のある人たちは上手に書こうといった邪心がないから、いい作品をつくることができる
・ひとついいことがあると、人間はいいほうへいいほうへと解釈してくれる
・医療=技術、奉仕、祈り
・医療は機械化、近代化するなかで、ホスピタリティを忘れかけている
葬式宗教になってしまった仏教も、生きている人に対するあたたかなおもてなしの心を忘れかけている
・たまご
・今日は死ぬのにとてもよい日だ
・臓器移植
臓器に価値が生まれ、値がつき、貧しいものから富めるものへ一方的に譲渡されないことを切に願う。せめて生き死にのところはお金のあるなしや、権力や身分に左右されることなく、公平性が保たれていてほしい
ホモサピエンスの上品さが問われている
「巧みに生きる」のではなく、よく考え、よく生き、よく死ぬとき、不器用だが手ごたえのある生が見えてくる
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鎌田先生の文章に、まるで語りかけられているような感覚を持った。診療を受ける側から書かれた、心に染みる一冊だ。
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医療管関係者だけでなく、病気になる可能性があり、必ず死を迎える、皆さんに読んで頂きたい。
今まで、向き合って来た数々の患者さんやその家族のストーリが書かれています。
中には、読んでいるこちらまでその温もりが届きます。
・予防からリハビリまでの一貫した医療
・地域に密着した手作りの医療
・救急医療から高度医療
長野県、諏訪中央病院はこの3つのスローガンを掲げている。
その横にはもう1つのメッセージがある。
患者さんの権利だ。
・人格を尊重される権利
・平等な医療を受ける権利
・最前の医療を受ける権利
・知る権利
・プライバシーの権利
・自己決定の権利
そして4つの理念
・その人らしく生きることを支援する
・対象者と家族を尊重する
・自立 自律への援助をおこなう
・最後まで共に歩む
諏訪中央病院の院長、鎌田 實さんが考える医療体制だ。
21世紀、日本の医療は想像以上に進歩をとげた。
しかし、21世紀の医学は何かを置き忘れてきてしまったのではないか。
死は永遠には回避できない。
病気の部分だけを治すのではなく、魂に寄り添った医療、を大切にしている。
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諏訪中央病院の院長であった筆者の医療とは?
という考えを様々な医療従事の経験から語った作品。
筆者の人柄がにじみ出るような文体は非常に優しく、
タイトル通り頑張らずに読めます。
終末医療に関するシーンが多く、ガン患者がどうすれば
安らかに人生を終えられるのか?
患者は頑張らずに、周りが希望に合わせて支えてあげればよい
という環境(ホスピス)を諏訪中央病院で作り出した話が終始展開されます。
しかしながら諏訪中央病院は筆者の意向を組み、
大変素晴らしい環境なのかもしれませんが、
実際に従事するスタッフは非常に大変なのだろうと思うのですが、
どうなんでしょう。やはり使命感で頑張るしかないのでしょうか。。。
筆者が作り出したような環境が理想でしょうが、
日本中で同じことをやるのは大変難しいと思いました。
高齢化社会になってどのような医療が適切なのかというのを
問いかける作品になっていると思います。
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諏訪中央病院名誉院長である著者のエッセイ集である。著者は同病院医師、院長として、閉鎖寸前の赤字病院を地域に密着した先進的な医療拠点として甦らせた。それを支えたのは、患者は十分な情報を得た上で治療について自ら選択する権利をもつという固い信念だ。「十分な情報」という以上は、そこには当然患者本人に対する余命宣告も含まれる。それは場合によっては残酷で厳しい対応かも知れないが、患者が残された人生を自らデザインし自分らしい時間を過ごすためには不可欠なのだ。その結果、治療としては抑制的になる場面もあれば、逆に積極的に高度医療や手厚い訪問看護を必要とする場面もある。諏訪中央病院では、いずれの場面にも対応できる設備や体制が整っている。著者は言う。「ぼくら医療スタッフががんばりますから、あなたはありのままでいてください」と。「がんばらない」とは何もしないことではなく、これまで既にがんばって治療を受け生きてきた患者さんに、本来の「ありのまま」の姿で過ごしてほしいという著者の切実な願いなのである。
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インフォームド・コンセントや自己決定という考えが医療の常識となってどれくらい経つのだろうか(常識といってもそれが実践されているかとなるとそれはまた別の話だろうけれど)。実はこういった考え方を前にすると正直戸惑うことが多い。もちろんパターナリズムとも言われる医者の権威主義は反省されるべきだと思うけれども、たとえば「生も死も自分でデザインを」なんて言われると、二の足を踏んでしまう。生も思うままにデザインできない自分が、果たして死をデザインすることが可能なのかと。
「死」から遠く離れた生活の中で、「生」と切り離せない「死」とどう向き合っていくか。その大切なテーマが失われつつあるのが現代ではないのか。そんなことを考えさせられる本でした。
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入院中、病院の本棚で見つけた。吹けば飛ぶようなコッパ病人の私は、入院費を支払う当ても、復職できる自信も無かった。
著者が医者を志望した時、父に猛反対される。交渉の末、ご尊父が出した交換条件「患者さんをびくびくさせたり、どなったりするような医者になるな。弱い人とか困った人、貧乏な人を大切にする医者になれ」
泣けて泣けて、しばし続きが読めなくなった。
回診に現れた青年医師が「鎌田先生の本じゃないですか。授業を受けました」。鎌田實のご尊父の戒めが、21世紀の医師たちに伝わっている気がした。
別の階に病室が移ったので、読書は中断。近所の図書館から借りて、残りを読む。