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伝説の編集者ノードストロムの手紙 アメリカ児童書の舞台裏 みんなのレビュー
- ノードストロム (著), レナード・S.マーカス (編), 児島 なおみ (訳)
- 税込価格:3,960円(36pt)
- 出版社:偕成社
- 発行年月:2010.12
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紙の本
『かいじゅうたちのいるところ』『どろんこハリー』「がまくんとかえるくん」シリーズ、『はなをくんくん』『おやすみなさいフランシス』『おやすみなさいおつきさま』『おおきな木』――黄金のように、さん然と輝きつづける米国の絵本や児童書の名作の数々は、つまるところ、彼女がハーパー社の片隅で膨大な手紙を打ちつづけなければ生まれてこなかったのだ!
2011/01/31 18:31
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
500ページ近くの長大な本である。1943年から1970年まで、米国ハーパー社の少年少女の本編集部を統括したアーシュラ・ノードストロムが、絵本作家や画家、書評家や司書、読者などに宛てた1万通近い手紙。そこから263通が編纂されている。
ノードストロムが書いた手紙は、カーボンコピーで同社に保管されていた。しかし、編著者である児童書評論家マーカスは、はなから、それに目をつけたわけではない。いろいろな作家や画家の話を聞いているうち、ノードストロムの手紙の話題になると皆が顔をほころばす。それで、手紙をまとめることを思い立った。2年ほどかけ、膨大な量の手紙をあらためたという。
本文に先立ち、この編集者が手がけた主な本の表紙の日本語版が7ページのカラー口絵で掲載されている。「これもか」「これもなのか」と驚かされるラインナップである。
263通が誰に宛てた手紙なのかが分かる目次の後、彼女がなぜ伝説的な人物であったのか、説明が丁寧にされた、エピソードいっぱいの前書きがつづく。手紙の特徴や書き方の癖を述べた小文もあり、年譜も載せられている。
手紙の後には、マーカスによる日本語版への言葉と、訳者・児島なおみ氏によるあとがきが添えられている。そこには、欧文を日本語に直したときの決まりごと、マーカスの仕事への評価、米国の出版社における編集者事情他、重要な情報が盛られている。
日本語版に限り、訳者の依頼で章が立てられ、各章解説がつけられた。ノードストロムの仕事が3期に分けられたことにより、手紙がただ並べられていくより、はるかに読みやすい構成になっていると考える。
原題はDear Genius――「あなたは天才よ」というアピールは、クリエイターたちへの敬意が素直に表出したものだろうが、呼びかけられた相手がいかに嬉しく受け止め、自信や意欲を引き出され、制作に良い影響が出たかは想像に難くない。それを願った表現であることは言うまでもない。
編集者は、著者たちに気持ちよく酔って、のってもらえる芸者でなくてはならない。
ノードストロムの励ましや、褒め言葉は本当にすばらしい。相手を「生命力に欠けるどの競争相手よりも、あなたのほうがずっと文章力があり、物事を深く感じ、考え、本を作る力があることを、あなたも私も知っています。そのことを思い出して仕事に戻ってください。」(P68/ディヤング宛て)のように直接に賛美して力づけることもある。
直接的でなく、「でも、私たちは自分たちのことではなく、子どもたちのことを考えなくてはいけません。考えてみてください。1949年に生まれた赤ちゃんたちは、1953年の秋には、あなたが1953年に出版する本を大好きになる年齢になっているのです。」(P102/クラウス宛て)というように、客観的で巧みな書き方をしているものもある。
さらに水際立った書き方は、ダミーの修正や出版不可の原稿の断りなど、編集者として相手に神経質に気を遣う局面で、より一層発揮される。十分な理由や根拠が述べられた後、「だから直して」と直訴するのではなく、回りくどい書き方をするでもない。
「あなたが、こういう方向で考えを改めてくれるものと信じている」という風に、建設的な状況を期待する点を強調する。これは相当な「策士」だ。何もずるいと批判するのではなく、いかに相手に気分よく次からの仕事に取りかかってもらえるか、万全の気配りが利いているという意味だ。
いまひとつ特徴的なのは、手紙のいくつかに、契約や条件についての明確な話が頻繁に出ている点だ。日本の場合、契約社会でないため、依頼状は作っても、本ができるまで契約は交わさない慣行が残っている。金銭関係や条件の話は、いざとなったら改変がきくよう、出来のよくない作品でも出す破目にならないよう、リスクを避けて通る。営業的にどうかという話になると、文化人を自認する著者には、うとましく思う風潮も日本にはある。
契約を交わし、きちんとビジネスの土台にのせるから、その後の修正依頼も当然のことで、さばさばしたものなのだろう。
「悪い子のための良い本をつくる」ことが彼女の信条であったというが、作り手側の自己満足の本ばかり出していては、かけた資金は回収できない。在庫が山積みで、その先の出版資金はショートする。
作った本を書評家や司書などに伝え、しっかり売っていくことに意欲的だったからこそ、本の評価とともに、彼女の仕事ぶりも伝説と化したと言える。そのニュアンスを含め、「アメリカ児童書の舞台裏」という副題がつけられている。
ノードストロムが活躍した時代は、手紙で用事を足すのが一般的だったからひたすらに書いたと言える。だが、少し児童書編集経験を持ち、仕事で熱心に手紙を書いた者として言うなら(私の場合、最初の頃の手紙控えは青焼きコピーだった)、編集者にとって手紙には、電話やメールとは異なる利点があると考える。
一つには、相手を邪魔しないで済む。どうしても急ぎ確認すべきことがあって、画家のところへ、びくびく電話を入れた。「今、ちょうど本絵の作業に取りかかったばかりだ。すぐに折り返すよ」という強い息遣いが返ってきて、「しまった。やっちゃった」と息をひそめた。メールなら、その可能性は低いだろうが、調べ物に熱中する相手に、着信の合図で集中を切らすこともあるかもしれない。
二つ目として、気になったら繰り返し読み返せる手紙というのは、とても親密な情を相手に抱いてもらえる点が挙げられる。作家や画家は、たいてい人づき合いを控えて作業に取り組まねばならない。最近は、ツイッター他、インターネットを介してのやりとりで孤立感はそう深くないかもしれないけれど……。
こもって仕事をする人に会って話す、電話で話すことも、時間が割かれるなら親密に感じてもらえる手立てである。けれども、有意で良いコミュニケーションが取れなかったら、時間泥棒になる。話すだけより、深い部分まで吐露できる手紙をしっかり書き、思うところを伝えれば、関係を築いていける。そう期待できる。
ノードストロムは、こういった利点を熟知していたからこそ、特に用がなくとも手紙を書き、相手の創作意欲を高め、親近感を抱いてもらって、ライバルに対しプライオリティをつける努力を欠かさなかった。ユーモアや脱線に満ちた「乱調」の手紙のように見え、物作りの現場にいる人間の熱意と共に、計算やコントロール十分の働きかけが手紙の随所にのぞく。
ただ、ビジネス的駆け引きの舞台裏を知ると同時に、定番とされる名作絵本の数々が、どういう試行錯誤を経て生み出されたか、そうした作品を作った人びとが、どう力を蓄えていったのかという舞台裏を知ることが非常に面白い。そこにノードストロムが注いだエネルギーと情熱、人生において持てる力のすべてが、強い感動を引き起こす。
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