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話題の朝吹真理子さんの本。
とても文学的だった。一見読みずらそうにみえるが、実際読み進めるとそうでもない。すらすら読める。ゆらゆらと水の中を漂いながら読める。
これはもう好みの問題になりそうですね。わたしは好きな感じではないけれど、この小説はすごいと思いました。
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においやかな幻想的作品。
ことばがみちみちてこぼれてゆく。
日本語の限界と可能性を感じた。
堀江先生選 ドゥマゴ 文学賞受賞作。
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読了後、数時間して「流跡」という書名を手がかりに跡を辿る。流れ、すり抜け、拡散し、めぐる、記憶・眼前の景色・体。それを留めるはずの文字でさえも。地に吸い取られるも、煙となるも、さまざまだけど、楔を打つのは…。
また読もう。堀江敏幸の名がこの本をこの本たらしめてしまった感じがある気がするけど、描かれてることはけっこう危険な気がする。
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第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、最年少受賞作品。
堀江敏幸さんが審査員だったそうですが、なるほど堀江さんが好きそうな文章。
そしていかにもドゥマゴ賞取りそうなお話。
朝日新聞の「ひと」欄で見たのだけれど、作者は25歳ですごい美人さん。
天は二物を与えるのだなぁ。
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図書館おすすめコーナー。流れるような文章だが読みづらい…。なにも残らない。
内容(「BOOK」データベースより)
第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少で受賞した大型新人の鮮烈なデビュー作。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
朝吹 真理子
1984年、東京生まれ。慶應義塾大学前期博士課程在籍(近世歌舞伎)。2009年9月、デビュー作「流跡」を、2010年8月、新作「きことわ」を発表。同年9月、「流跡」で堀江敏幸氏選考によるドゥマゴ文学賞を最年少受賞。『流跡』が初めての著書となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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12/23
ひたすら文字の流れに身を任せる。
これはただ目を通しただけで、文字に乗っかってしまっただけかもしれない。
最後に残るのは僕らが流れた跡。
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タイトルの通り、ひとたび言葉が流れだしたら、次々と事象と情景と感覚だけが連なって漂っていくような文章。まるで長い長い詩を読んでいるよう、といったらいいか。
正直いって、一体何を描きたかったのか全然わからない。
私の力不足なのだろうが、私には無理。
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午後1時からの2時間、文字たちから想起されたイメージが、私の中のいつかどこかで出会った現実でない文章や、現実にあったことかなかったことかもわからないあいまいな情景描写など記憶の断片と絡み合って、文章の「流れ」は、何度も、行きつ戻りつしていた。目と頭はさざ波のように文字を辿るかと思えば、そこから連想された思考によって引き波のように文字たちから離れ、また次の波が被さって、という、不思議な時間だった。
これは小説だろうか、むしろ詩?習作?ストーリーを楽しむ作品ではないのかも。この人のことばあそびの世界を楽しめればいいのかな。始めと終わりの部分で「ことば」の不思議が体感、共感できたかな。
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ひたすらにどこまでも言葉は硬質である。それでいて言葉を発する元となる思いはしなやかで、滞留するところがないようである。するすると、いや、ゆらゆらと、流れてゆくよう。その言葉の連なりを追いかけてゆくうちに、耳の奥の方から連続する半音階の旋律が聞こえてくるような気になる。幻聴? かすかに。しかし、振り払いようもなくそれは鳴り続ける。
はたと、思いが覚醒する。音に言葉が寄り添う。「支那火事が消えるように/深いあおみどろの中に沈んでゆく」(草野心平「金魚」)ああ、その音が聞こえていたのか、と思い、目にしている言葉の磁力の強さに眩暈のような思いを覚える。
頁を進めると、一変して硬質さの一端を担っていた画数の多い漢字が失せ、ひらがなが連続する。ふと前のめりになったような感覚を味わう。しかしそれで思いが柔らかくなるのかと言えば、そんなことは一切なく、そして言葉もまた変わらずに響きは頑なである。ただ字面だけは、陰影の強さを抑えていかにも取っ付きにくさを取り払ったかのように見える。押し込めば押し込めそうな気配と、なる。
しかし、そこに、押し込んで入り込んだ先に、実体のようなものは果たしてあるのだろうか。水中に揺れる大琉金の尾をつかまえようとするように、触れようと手を差し伸ばしても、わずかな感触だけを残すのみ。およそみっしりとした、そして温もりを感じるようなものに、辿りつけるような気がしない。
段落が改まる度、思いはその輪郭を思い切り削り落として、細い糸のようなものとなる。そしてそこからつながってゆくもの。それは連祷のようなもの。多少、大袈裟に言い換えてしまうならば、輪廻のようなつながりとも言ってしまえるようなもの。翻弄される。その思いが次第に強くなる。
それでも、目にしている言葉の硬質さの裏側には、ひょっとして何も存在していないのでは、という訝しさがつきまとって離れない。と、突然、ある言葉の連なりの無意味さに突き当たる。『花崗岩に鑿の跡が筋だって残る石切り場の浜に、精錬所から出た鉱滓の鈍色が浜砂にまじってひろがる。採掘中にとりだされたナウマンゾウの化石といっしょに数千本は…』 そんな大型の化石がなぜに花崗岩の中に? 言葉の奏でる幻想的な音の重なりの中に酔ったような気分で浸っていた思考が急に先鋭化する。
しかし、だからどうだというのだ。この言葉の連なりは実体を持たず、一人の人間の脳の中に湧き上がる祈りのようなものをただただ書き連ねたものであると、始めから解っていた筈ではないか、と自らの理性を叱りつけてみる。そこに実体があろうとなかろう、そんなことは途方もなく馬鹿げたこだわり、と再び思えるように理性を寝かしつける。
それはまるで甘ったるい香りのする薄暗い部屋の中を漂う阿片の煙に毒されてゆくような。あるいは、濃い水草のみどりの中に静かに沈んでゆく金魚のあかを見送るような。もどかしさとしどけなさとが入り混じったような思い。そして、祷り。
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読みはじめから違和感がある。普通の小説ではない。2ページ目を読み終わった後ではやくも1ページ目を読みなおした。だからといって読みにくいということではない。どちらかといえば、読みやすい。幻想的な描写が続き、夢十夜のようなものかと思ったが、どうやらそうではないらしい。気がついたら、語り手が中年のサラリーマンになっていた。最後でどういうことかだいたいわかるけど、それはこの小説の面白さにあまり関係ない。いややっぱりあるかな。よくわからない。多次元に展開する人の思考を文章で表現した、言ってみれば世界地図のようなもの。違うかな。
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今やスタービジネスと化した芥川賞であるが、そんな偏見なしに読んでみるのもいいんじゃない。
こんにち主体の解体や語りの拡散はめずらしくもなんともないので「前衛」っていう評価はあたらないのかもしれない。でも一文一文、細部が面白くて新鮮だったし、最後のページまで十分に楽しめた。単に主体が解体しているだけじゃなく(何人いるかしらないけど)おのおのの主体が解け合っていて、その循環性の中で「意味が逃げていく」感じが居心地が悪くて、そそる。敢えてつまらない比喩を使うとしたら、「輪廻を文章化した感じ」とでも言おうか。
幻想的な情景の中に、卑近な食べ物とかツイッターでおなじみの語尾「なう」が紛れ込んでいて、そのミスマッチが艶っぽい。芥川賞受賞コメントでも「伝えたいメッセージはない」と明言していたが、この小説のプロットも「メッセージはない、というメタ・メッセージを発する」ことなんじゃないか。
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去年から朝吹さんはエリートだと騒がれていたから、芥川賞とるのかなと思っていたら、やっぱり獲った。受賞作は読んでいないけど。
正直、よくわからない話で、ついていけない部分が多い。
古典の素養があればもう少し楽しいのかなとも思うけど、違うのかもしれない。
ただ、文体はきれいで、まさに流れるように話は続いていて、よくわからないながらも、さらさらと読み進み、なんとなく心地がいい。
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森見登美彦を千と千尋の世界に迷いこませて、すごい上品な高級懐石料理を作らせた感じ。ジャンクフードばかりの今日このごろには正直、辛いです。
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新潮社装幀室。
何て美しい装丁。水彩で描かれたような抽象的な絵柄に、金魚のシルエットが白箔で箔押しされている。清廉で静謐。本当に美しい。
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非現実から徐々に現実へ。夢と現の狭間に漂うような、不思議な言葉の群れが独特な、個性的な作家。幻想的なようにみえて、空虚へ向かう心の流れを表す言葉が驚くほどリアルで、心にささる、印象的な作品。