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ドミニカ共和国に君臨した独裁者トゥルヒーリョを扱った小説。
交差する時間と視点、入り混じるフィクションと史実、生き生きと描かれる登場人物、人間の負の側面と正の側面、徐々に明らかになっていく全体像・・・。ああ、リョサの小説だ。と期待に応えてくれる内容だった。
やっぱり時代そのものを浮かび上がらせる手腕には唸らされる。『世界終末戦争』を読んだ時も思ったが、複数の視点、時点からある一時代を描くことで、その時代の空気感を実に見事に読者に感じ取らせる。
未開な状態にあった祖国を目覚めさせるために、冷徹で非情ながら見事に国民の支持を取り付け祖国をコントロールしていくトゥルヒーリョの人物造形もさることながら、周囲の高官どもの人物像も見事に描き分けたもの(それぞれについたあだ名がまた良い味を出している)。
そしてやはり暗殺者グループ、これらのマッチョな男どもを描く腕は往年の冴えを失っておらず、アツい気持ちをもって最後まで読めた。
かつての作品に比べればはるかに読みやすいながらも、相変わらずの重厚さを備えた、まさに著者円熟の腕前を感じることができる傑作。
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2010年ノーベル文学賞受賞者マリオ・バルガス=リョサ著“La Fiesta Del Chivo”の本邦初訳。本国では2000年に発表されたこの作品、リョサの代表作という声も上がるほどで、すでに各国語に翻訳されている。直訳すれば『山羊の祭』だが、その繁殖力の旺盛なことから好色漢に喩えられる山羊を意味する「チボ」をあだ名にしていた男、ドミニカ共和国36代大統領、ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナの暗殺の顛末を描いている。
原著、訳書とも表紙を飾るのはアンブロージョ・ロレンツェッティのフレスコ画『悪政の寓意』である。山羊の角を生やした黒衣の男が足下に従えているのは、布でぐるぐる巻きにされ、自由を奪われた「正義」である。禍々しい絵柄が仄めかすのは、トゥルヒーリョ政権下のドミニカ共和国の狂態であろう。一介の庶民から一代にして大統領にまで上りつめた男は経済的に破綻していたドミニカを立て直し、「祖国再建の父」とまで謳われた国家的英雄であった。しかしその一方で、不正な選挙、脅迫、暗殺を繰り返し、一国の経済を私物化し莫大な個人資産を作り上げ、個人崇拝に基づく恐怖政治を敷き、ドミニカ共和国を31年間の長きにわたって支配した独裁者である。
第一章は1996年。35年ぶりに帰国した主人公が、父を訪ねる場面から始まる。章が変わると場面は1961年。その日殺される運命のトゥルヒーリョがベッドから目覚めたところ。次の章に入ると時間は同じ日の夜に変わり、海岸沿いの道で標的の車を待ちわびる暗殺者たちの会話、と章が変わるたびに、女性・老人・若者という年齢も性も社会的階層も異なる複数の視点が目まぐるしく転換する。見る者の置かれた立場が変われば、トゥルヒーリョという伝説的な人物の死が意味するところもそれぞれ異なる相貌の下に立ち現れてくる。異なる語り手が異なる角度から事件が起きた現場に繰り返し登場し、トゥルヒーリョのやってきたことを証言してみせる。
第一の語り手はウラニア・カブラル。その父は、かつてはトゥルヒーリョ政権を支える大臣として周囲の尊敬を集めていたが、何故か政権末期に失脚し、今は見る影もない老人である。しかし、ウラニアは14歳の時に国を出て以来、35年間というもの父と一切連絡をとらなかった。いったい二人の間に何があったのか。小説はウラニアの独白ではじまり、独白で幕を閉じる。その間に独裁者暗殺の顛末が挿入され、話としてはそちらが抜群に面白いのだが、緻密な伏線が張られ、最後に驚くべき真相が明らかになる、というミステリ仕立てで、ウラニアが従姉妹や叔母たちに隠し通してきた秘密を語るのが、この小説の主筋である。
第二の語り手は独裁者その人。その日暗殺されることになる1961年5月30日の夜明け前から夜までを一人称視点で物語る。形の上では大統領職を退きながら、事実上精力的に政務をこなす独裁者の一日が独白と会話で克明に描き出される。モノローグで語られる強欲な妻や愚昧な息子たちに対する愚痴、男性的能力の衰えに対する不安には、無類の女好きで知られる男の等身大の姿がにじむ。また現大統領や秘密警察長官との会話からは、米国と対等に渡り合う軍事指導者としての力量と、恐怖に��って部下を支配する独裁者としての実像が垣間見られる。頂点に立つ人物の万能感と孤独。リアル・ポリティクスの持つ迫力にピカレスクロマン風の味わいが重なり、陰影に富む。
第三の語り手は、暗殺を企てた将校たち。複数の人物が代わる代わる視点人物となり、それぞれが殺意を抱くことになった理由と暗殺後の経緯を物語る。他の二者の主観的な語りとちがい、複数の人物が比較的長い時間にわたる出来事を物語る。独裁者が殺害されたと同時に蜂起するはずの軍が動かないために英雄になるはずだった将校達は次々と捕らえられては残酷な拷問を受ける羽目に陥る。なぜトゥルヒーリョの娘婿にあたるロマン将軍は裏切ったのか。将軍の視点から事態を見ることで読者はその苦い事実を知ることになる。決行の夜の緊迫感から、腰砕けのような決行後の展開、そして逃亡。逃げ延びた犯人が暗殺犯から英雄に変化していく経過が感情を排したドキュメンタリータッチで淡々と叙述される。
三つの視点から描き出された一つの事件。芥川の『藪の中』や、その映画化作品『羅生門』を思い出させる。三人のうち一人が殺され、その死に至る真相を三人が物語るところまで同じだ。リョサの巧さは上に述べたように三者三様の語り口を用意したことだろう。独裁者の死という事実一つをとってみても、その事件に遭遇した者の住む世界によって、全く異なった物語になるということを証明して見せた。特にウラニアという女性の視点から、男たちが牛耳る世界を裏側から照射してみせる手際は、フロベールに私淑するリョサならではの円熟の小説作法である。
今の話かと思って読んでいると、突然35年前に連れ戻されるというフラッシュバック的な技法も、自分のことを二人称で呼ぶヌーヴォー・ロマン風の記述も慣れてしまえば、読むのに支障はない。それよりも、圧倒的な筆力で描き出される独裁政権の裏面が凄い。何かを聞き出すためでなく、ただ苦しめることだけを目的とした拷問の執拗な描写は、目を背けたくなるほど。イザベラ・ロッセリーニ主演で映画化されているというが、この拷問場面など、どのように処理されているのだろうか。3D流行りだが、文章でしか表現し得ないものもあるのだ。
さて、世界はチュニジアの政変をきっかけにエジプトやヨルダン、イエメンなどの独裁政権国家に民衆蜂起が飛び火しつつある。独裁政権が打倒され、民主政府が誕生するのは喜ばしいことだが、事の成就はそれほど簡単ではない。独裁者の一番の問題は政権を奪われることを恐れるあまり、次の政権を担当する人材を育てないということに尽きる。小説の中では傀儡であったはずの大統領バラゲールという人物が悪魔的ともいえるほどの変貌を見せて事態収拾に奔走する。その意味では、この人物を大統領に抜擢したトゥルヒーリョの眼力は大したものだったと改めて思うのだが、事実は小説よりも奇なりという。事態はどう推移してゆくのだろうか。思わぬ時宜を得たノーベル賞作家の本邦初訳である。これを読まぬという手はない、と思うのだが如何。
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独裁者に独裁を許すメカニズム、蛇に睨まれたカエルのような心理、がとても上手く描かれていて恐ろしかった。いろいろな問題を孕んでいて、親子の憎悪とかあるいは愛とか、はたまた許しであるとか、一筋縄ではいかない小説である。ただ名前がごちゃごちゃして、一体これは誰だったかが分からなくなって、そういう点ではあだ名があって助かった。
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暗殺されたドミニカ共和国の独裁者トゥルヒーリョの最後の一日と、彼の暗殺に係わった者たち、そして故郷に複雑な思いを持つヒロインの物語とが入り組み、一国の歴史、人々の精神描写、時代の移り変わりを描いた長編。
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35年ぶりに故郷ドミニカに帰って来たウラニア。故郷と父に禍根を持つ。
彼女が国を出た直後、ドミニカ共和国の総統トゥルヒーリョが暗殺されていた。
トゥルヒーリョは30年間に渡りドミニカを掌握していた。直感的に人を射抜く眼光を持ち、見せしめに側近を失脚させ自分への崇拝を高めさせるために復職させる気まぐれで熾烈な人物。
アメリカの軍事介入を退け続け、「祖国の恩人」「大元帥」「閣下」と個人崇拝の対象として圧制をひき、反対派へは軍隊と秘密警察により徹底的に弾圧、虐殺を行う。
小説の題名「チボ」は雄山羊のことで、精力の強さと狡猾さからきたトゥルヒーリョを示す隠語。
しかしそんな精力的な男もすでに70歳を向かえ、体力は衰え前立腺の問題で尿漏れを抑えられず、自分が衰えていないことを証明するために女を召し上げる。
頼りにならない身内には歯噛みをし、利用価値はあるが人物的には嫌悪を催す側近たちへの苛立ちは増すばかり。なにしろトゥルヒーリョが側近達に与えた綽名が「生き汚物」「酔いどれ憲法学者」「操り大統領」。
暗殺者達はそれぞれがトゥルヒーリョの側近であったり恩恵を受けた者だがそれぞれの理由で行動を起こす。
個人崇拝の国から共和制への変換は、表面的には他国に付け込まれず内乱にもならずそのままの政権での方向転換を成功させるが、裏ではトゥルヒーリョ暗殺の容疑で関係者も巻き込まれたものも次々逮捕され、苦痛を与えるためだけの凄烈な拷問と見境ない殺害が続く。
トゥルヒーリョの側近として政権の中心にいた人物たちもそれぞれの結末へ向かう。
死ぬ男から発せられた恐怖に飲み込まれた者の末路、冷静かつ豪胆な賭けで時代の波を操ることに成功した者、忘れられてひっそり過去に生きる者。
物語の終盤で、ウラニアの恨みが明かされる。彼女は35年間苦しみ苛まされた過去を吐露するが、それでも完全に過去を越えることは決して出来ない。
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この小説では登場人物の心理描写に重点を置いています。その人物はどんな人物でその時どんな心理状況だったのか。それによりなぜその行動に至ったのか、そしてそれが一人の人間だけでなく、国の歴史、民族の方向にどう影響したのか。
実際の出来事であるトゥヒーリョ暗殺を通した事実と、創作の人物であるヒロインウラニアとの物語が重なり合います。ウラニアの章は二人称での語りかけが使われています。「ウラニア。お世辞にも両親がこの名で彼女に恩恵を与えてくれたとは言いがたい。そこから連想されるのは惑星の天王星(ウラヌス)や鉱物のウランなど女性らしからぬ言葉ばかり。鏡に映った姿を見ればスレンダーなボディに艶やかな肌。繊細な顔立ちに憂いを帯びた黒く大きな瞳。なのに、その名がウラニアなんて!よくもそんな突拍子もない名前を考え出したものね。(・・・)生まれながらに負わされた奇妙奇天烈なこの名前、お父さんが思いついたの��それともお母さん?いまさら調べようとしても遅いわ、お嬢さん。あなたの母親はずっと昔に天に召され、父親はもはや生ける屍。真相は永久に分からずじまいよ」この語り手は作者ではあるのだけれど、女性口調なのでウラニアの自分への語りかけなのでしょうか。
あと私が日本人だからか目に付くのがバルガス=リョサ作品でちらっと覗く「日本」の記述。「緑の家」で略奪者の日系人が出てきたのは実在のモデルがいるからとして、「楽園への道」ではゴーギャンの画家友達の「日本という国では町人の全てが芸術家なんだぜ。農業の合間に画を描いているんだ」みたい台詞があり、本作では失脚したトゥルヒーリョの側近の左遷先が日本。この場面では(史実か創作かは分からないけれど)「こんなヤバイやつ日本に送り込まないでくれ!」と思ったんだが、まあ実際には日本には来なくてちょっと安堵。
バルガス=リョサご本人が日本に対してどのようなイメージ持っているんだか興味のあるところ。
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チボとは、実在したドミニカ共和国の独裁者であるラファエル・トゥルヒーリョ大統領のこと。独裁者に私物化されたドミニカの悪夢のような世界が、フローベールの流れを汲むヨーロッパ小説的リアリズムで描かれる。配下の議員の妻を寝取ったり、都合の悪い人間を抹殺したりと、やりたい放題である。大統領に不満を持つ、サルバドール、アントニオ、アマディートらによる大統領暗殺計画を縦糸に、尿失禁に悩む大統領の身近な出来事と、カブラル上院議員の娘のウラニアによる現在からの回想を絡ませて、複眼的に当時のドミニカの世界を浮かび上がらせる。
リョサと同様にノーベル文学賞を受賞しているガルシア=マルケスの「族長の秋」もトゥルヒーリョがモデルらしい。二人のノーベル文学賞受賞者に取り上げられるほど、トゥルヒーリョは文学者の想像力を刺激する存在らしい。マルケスのほうはシュール・レアリズムと実験的文体で描かれている。リョサの「チボの狂宴」を読んだあとは、「族長の秋」も読み返したくなる。
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2012年の小説ベストにはこれを挙げたい(これは小説であり、ノンフィクションではありません)。
ドミニカ共和国の独裁者へ迫る暗殺者。
人々の思惑と弱さと緊迫した場面。
500ページ以上の大冊ですが、引き込まれて寝食を忘れて読みふけってしまいました。
歴史的背景を何も知らなくても面白く読めます。
このような小説を自国語で読めることについて、翻訳者と出版社へ感謝したいと思います。
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リョサの描く権力の中心と周縁、抵抗と敗北はまさに圧巻。
時間と場所と様々な視点をめまぐるしく入れ替えながらも、読みにくいどころか、むしろ物語に立体的に肉付けをしていくさまも見事だし、終焉に向かって丁寧にピースをつなげていくプロットも完璧。
ドミニカの異様な長期独裁政権をめぐるお話なのだけど、さまざまな視点のどこからみても、異常ではあるんだけど、どこかリアリティというか親近感めいたものすら覚えてしまうのが何よりすごいと思うんだ。
レジスタンスに共感しやすいのはわかるとしても、独裁者自身や取り巻きのお追従連中にまで。
異常な世界をどこか遠くのおとぎ話として描くのではなくて、もしかしたら自分にも起こりえたかもしれない日常の延長として描きだす、というおそらくリョサの一番好きなテーマを、惜しむ事なく技巧を注ぎ込んで書かれた渾身の小説。
読書ってほんとうにいいものですね。サヨナラサヨナラサヨナラ
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1961年5月、ドミニカ共和国。31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者、トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画。恐怖政治時代からその瞬間に至るまで、さらにその後の混乱する共和国の姿を、待ち伏せる暗殺者たち、トゥルヒーリョの腹心ら、排除された元腹心の娘、そしてトゥルヒーリョ自身など、さまざまな視点から複眼的に描き出す、圧倒的な大長篇小説! 2010年度ノーベル文学賞受賞
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文字通り第一級の小説、ノーベル文学賞を取るに相応しい。
リョサの筆力、精緻な取材がベースになっている。
トゥルヒーリョの不思議な人格と独裁のもたらす不幸な政治へ警鐘を鳴らしている。
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2010年にノーベル賞を受賞した、南米を代表する文豪・リョサの代表作のひとつ。
この物語は30年以上にわたってドミニカ共和国で独裁政治を敷いた実在の政治家、ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナを中心に、その暗殺計画を企てるグループ、トゥルヒーリョを取りまく人々などをリアリティ豊かに描き、複雑に交差する人間模様を壮大なスケールで織り上げた大作です。
この作品に登場するトゥルヒーリョは、圧倒的な権力や恐怖で国民を支配しながらも、時に人間らしい脆さ、繊細さをさらけ出しており、リョサは従来のステレオタイプ的な独裁者像にとどまらない、多面的な人物を描き出すことに成功しています。
南米文学を読んでいて圧倒されるのは、作者の歴史観や世界観を文学という枠組みの中で構築しようとする、壮大な試みが感じられる点です。
やはり日本とは国の成り立ちや民族性の違いが大きいからでしょうか。
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ドミニカ共和国の独裁者・トゥルヒーリョとその治世を、様々な人間の視点から描いた本。ハラハラドキドキとはまた違った面白さがあるのだな、と分からせてくれる。重量級だが時間をかけるに値する作品。
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ドミニカを30年にわたって独裁したトゥルヒーリョ(トルヒーヨ、実在の人物)。その最後の一日と、彼を暗殺しようとするグループ(実在)の一日、および失脚した政治家の娘で、トゥルヒーリョ時代から数十年後に一時帰国したウラニア(架空の人物)、の3つのストーリーを交代で語っていく非常に凝った作品。
登場人物が多く、合間に回想が入るため時系列的にも追っていくのが難しいため、前半は物語に入り込みにくいが、トゥルヒーリョの暗殺あたりからは俄然面白くなる。
歴史的事実を踏まえた上で、フィクションとしても一級の作品に仕立てあげており、傑作と言わざるを得ない。
何度も読むとまた新たな味わいを引き出せそうな作品。
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壮大な叙事詩だった。
叙事詩なだけに普遍的で流行に左右されない価値があるのだろうが、
一方で登場人物が多岐に渡り、一人一人の心理や背景の描写が少ない。
文学的な価値は高いのかもしれないが、文学者でも歴史者でもない一般の日本人が娯楽として楽しむことは難しいだろう。
翻訳はとても良かった。
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読み物としても、実際の歴史と照らし合わせても大変興味深い面白い本でした。実際にドミニカ共和国にすんでい
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最後の全部繋がった感が半端ない。ハッピーエンドとは言えないかもしれないが、悲劇的な終わりの中に一筋の明かりを残しておくので読後感は悪くない。