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巻頭の片山杜秀vs菊地成孔の対談で、音楽家を3タイプに分けている。 ①退屈さを乗り越え理解にいたるマゾヒスト ②勉強や経験を経て頭を良くしてきた人 ③幼稚園児の頃から無調やトーンクラスターが大好きだった人 興味深い。
本文中にもあるように前述の三要素は独立したものではない。絡み合っていることだと思う。斯く言う僕も、単なるリスナーにとっても当てはまる。 日曜学校や礼拝で賛美歌を通じて③を体感する。ドラ声のガキどものクワイアだ。決してマヘリア・ジャクソンに感動して…みたいな高尚なものではない。
ではJAZZはどうだろう。 叔父が休日に大音量で掛けるHard Bopに惹かれていたが、パーカーからは感じず、ひたすら①を過ごす。 たまたま聴いたアイラーやシェップ、コルトレーンに③を感じたので、パーカー、ガレスピーを②を通して知る…という感じがする。
では、この10年程、はまっているSoulはどうだろうか。②と③の毎日ですね。
巷に流れる音は②のように聴こえる。勉強が悪いとは思わないが、僕はこんなに知っている、と知識量をひけらかしているようにしか感じないものが多い。音に悦びがない。勉強は楽しいよ、ということは伝わるが、山手線の駅や百人一首を全て言える幼稚園児みたいで苦手かも知れない。
勉強が気楽で楽しいことは僕も知っている。だが、その楽しさは独我論に陥っているからだと思うのだ。