- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
2 件中 1 件~ 2 件を表示 |
2020/05/10 21:37
投稿元:
表題通り、アメリカ合衆国大統領と合衆国南部(本書では南北戦争の際の南部連合加入11州を南部とする定義の他に、合衆国の国勢調査に基づき、メイソン=ディクソン線、ペンシルヴァニア州とメリーランド州の州境から南を南部とする定義が紹介されている)の関係を、ジェイムズタウン植民地のジョン・スミスから、ジョージ・ワシントン、トマス・ジェファソン、アンドリュー・ジャクソン、ジェファソン・デイヴィス(南部連合大統領)、アンドリュー・ジョンソン、シオドア・ローズヴェルト、ウッドロー・ウィルソン、フランクリン・デラノ・ローズヴェルト、ドワイト・D・アイゼンハワー、ジミー・カーター、ビル・クリントンの11人を通して描き出している。といっても、11人の略伝の寄せ集めというわけではなく、この11人の時代に奴隷制度やリンチ、農業、キリスト教といった南部を特徴づける様々な事物がどのように変化したか(あるいはしなかったか)についてを論じた、いわば南部から見たアメリカ合衆国史となっている。当然ながら本書ではニューイングランドの信心深いピューリタンのアメリカ合衆国は主役にならない。
本書は著者が「あとがき」で
“ 2度に渡ってアメリカ南部で暮らす機会があった。ノースカロライナ州(1992年~1995年)とヴァージニア州(2005年~2007年)である。さまざまな場面で「サザン・ホスピタリティ」に触れて南部人の温かさを感じ半面、保守的・排他的傾向も目の当たりにした。”(本書319頁より引用)
とある通り、著者は南部を特徴づけた黒人奴隷制度や人種差別、リンチ等を深く問題視しているものの、決して南部人(厳密には南部白人)を差別主義者だと決めつけて非難するようなことはせず、奴隷制度に反対する北部人が黒人に対しては南部人よりも強固な差別主義者であったり、南部人が奴隷制度によって作りあげたタバコや綿花を輸出して蓄財を行いながらも、北部人やハリウッドがアメリカ合衆国の暗部を南部に押しつけてきたことについて適切に批判を加えている。それは例えば以下のような記述から明らかであろう。
“ 南部はアメリカにとって都合のよいスケープゴートになる。イラクのアブグレイブ刑務所における囚人虐待の実態が明らかになった2004年、説明を求められた当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、虐待写真に「嫌悪を催す」、虐待は「私の知っているアメリカを反映していない」と述べた。虐待の担い手としてマスコミに大々的に報じられ、軍法会議では実刑判決を受けた女性兵士リンディ・イングランド(Lynndie Engkand)は、南部の田舎出身、いわゆる「ヒルビリー」である。アメリカ社会はしばしば、犯した過ちや否定的なイメージを南部の教養もなく貧しい白人に押しつけようとし、この時もまさにそうだった。過去の人種差別にしても現在の移民に対する反発にしても、「理不尽で思いやりがないことをするのは南部」と説明されがちである。南部の好ましくないイメージ(敗北、貧困、暴力など)は、アメリカの「他者」の役割を果たしてきた。”(本書iv頁より引用)
“ 奴隷制度を基盤とした社会の存続・拡大は、アメリカ全体の問題でもあった。民主国家であ���たいけれども、非人道的な奴隷制度なしに発展できないという現実が(引用者註:建国直後の)アメリカにはあった。新興国がヨーロッパ列強に対抗するには、経済力が必要で、そのために南部の農業は重要となる。農業が利益を生むには土地の拡大が必要だった。なぜなら当時の農業は土地がやせてくると新たな土地に移るといったものだったからであり、それにはやはり土地の開墾など奴隷労働が必要になる。独立したとはいえ、まだ西の国境にはインディアンやイギリス、フランス、スペインが勢力を持ち、そのような脅威を排除するためには、経済力(領土を購入)と軍事力(敵を排除)をつけなければならなかった。”(本書54頁より引用)
“ 奴隷制度が南部西域で定着していったのは、綿花栽培と関連がある。18世紀のアメリカでは綿花が栽培されることはあまりなかったが、1790年以降、奴隷を利用した綿花栽培が盛んに行われるようになった。綿が高く売れたことと、19世紀初頭にインディアンから広大な土地を奪取して農地が増えたことが要因である。1820年には綿花の生産量は33万梱となり、アメリカの農産物輸出額の半分以上を占めていた。”(本書61頁より引用)
“ このような主張(引用者註:ウィリアム・ロイド・ギャリソンが1831年創刊の『解放者』で主張した黒人奴隷制度廃止論)は、北部全体を代弁しているわけではなかった。北東部や中西部にしても、南部とは商売上の取引があり、やはり経済は奴隷労働と固く結びついていた。奴隷制度が廃止されれば金融業は大きな打撃を被ることが予測された。宗教界も奴隷制度を非難することを躊躇していた。というのも、南部人はメソジスト、長老派、英国国教会、バプティストなどのすべてのプロテスタント教派において勢力を持っていたからである。”(本書112頁より引用)
“ 奴隷制度廃止運動が起こったことから、北部人は奴隷に対して同情的というイメージがあろうが、実際には北部においての方が人種差別は激しかった。自由黒人は誰よりも安い賃金で働くため、白人労働者たち(移民)に嫌われる。どこの町でも黒人の数を制限しようとしていた。特に中西部(フロンティア)において黒人に対する差別が激しく、イリノイ、インディアナ、オレゴンなどでは黒人の流入を禁止していた。東部でもニューヨーク(1834年)やフィラデルフィア(1842年)などで、黒人に対する暴動が起きている。アレクシ・ド・トクヴィルによれば、「人種的偏見は、奴隷制度がまだ存続している諸州よりも、奴隷制度を廃止してしまった諸州において一層強いように思われる。しかも、奴隷制度のかつてなかった諸州ほど不寛容なところは、どこにもない」ということだった。”(本書112頁より引用)
“ 南部の人種差別は、世紀転換期に具体化していた。前章にあるように、隔離政策が南部諸州で導入され、同時にさまざまな法律/制約によって黒人の投票権も剥奪する。こういった動きを正当化したのが、マスメディアによって一般大衆に浸透した人種主義だった。南部の人種主義者のあからさまな差別的発言が、北部の「定評ある」雑誌に次々と掲載されていく。
たとえば「くろんぼ」といった表現を繰り返し使ったミシシッピ州の分離教育提唱者ジェイムズ・ヴァーダマン(James Vardaman)の黒人批判が掲載されたのは、北部で発行されていた大衆誌『レスリーズ・ウィークリー』(Leslie`s Weekly)だった。黒人指導者ブッカー・T・ワシントンを誹謗する人種差別的論説が掲載された『トム・ワトソンズ・マガジン』(Tom Watoson`s Magazine)――ジョージア州の政治家トム・ワトソンの雑誌――が創刊されたのもニューヨークにおいてだった。20世紀初めのことで、黒人雑誌『黒人の声』(Voice of the Negro)の編集者が「あたかもアメリカの良心が死んでしまったようだ」と述べたのも無理はない。
人種主義者の発言を認める風潮は、購読者数の多い一般読者向けの雑誌でも顕著だった。発行部数70万部を誇った大衆誌『サタデー・イヴニング・ポスト』(Saturday Evening Post)を見ると、1905年に、南部作家トマス・ディクソン(Thomas Dixon,Jr.)が書いたワシントンを侮辱する論文「ブッカー・T・ワシントンとニグロ」(”Booker T.Washington and the Negro”)が掲載された。ここでも「くろんぼ」という言葉が多用され、明らかに、このような南部的人種差別が北部でも受け入れられていたのだろう。”(本書184-185頁より引用)
“ 映画(引用者註『夜の大捜査線』)にはもうひとつ気になる点がある。まるで南部だけが人種差別をしているかのような、南部人だけを悪者にする傾向である。これは、ハリウッドのお決まりのパターンで、映画に登場する南部はいつも田舎町で、人々の訛りが強く、それが教養のなさを示すかのような描き方だ。南部は何か恐ろしく、異質で、非アメリカ的に描かれたりもする。”(本書290頁より引用)
以上からわかることとして、本書はアメリカ合衆国南部と歴代合衆国大統領の関係を通じて、実はアメリカ合衆国が南部的なあり方に深く規定されてここまで来たことを明らかにしているのである。当然、本書で描かれたアメリカ合衆国像は、アメリカ合衆国市民がそうであると信じたがっていた、北東部ピューリタニズムによって発展した合衆国ではなく、南部の奴隷制度によって発展した合衆国像となる。アメリカ合衆国の自画像は、1620年にイングランドのピューリタンによるメイフラワー号のプリマス(ニューイングランド)入植であるけれども、実はメイフラワー号よりも13年早い1607年にヴァージニア(言わずと知れた南部である)にジェイムズタウン植民地が建設され、本書に描かれたように入植者による先駆的な議会制度とインディアン抹殺政策を実行している。本書の最初の章がメイフラワー号のプリマスではなく、ヴァージニアのジェイムズタウンであるのは、アメリカ合衆国が実は南部的な傾向から始まったという、ニューイングランドのピューリタンに自らのルーツを求めるアメリカ合衆国人自身も否定したがるアメリカ合衆国像を提示する意図があってであろう。
そして、そう考えると、例えば本書で強調されているような、初代大統領ジョージ・ワシントンが南部ヴァージニアの黒人奴隷制によって富を蓄えた有力プランター出身で、インディアンとの戦争の中で行った大規模なインディアンの村落破壊からイロクォイ族からは「村落の破壊者」(Town Destroyer)として恐れられたということ(本書46-47頁)。アメリカ独立宣言の起草者で、第3代大統領であり、ワシントンと同じく南部ヴァージニアの黒人奴隷制によって富を蓄えた有力プランターであったトマス・ジェファソンが、独立宣言にすべての人間が神によって等しく自由で平等に作られたと(ここでは神の存在の有無についてはあえて何も言わない)述べながら、少なからぬ黒人を自由でも平等でもない状態に置いた黒人奴隷制については多くを語らなかったこと(本書第3章)。南部紳士だったワシントンやジェファソンとは異なり、アメリカ合衆国初の庶民出身の大統領としていわゆる「ヴァージニア王朝」時代を終わらせ、「ジャクソニアン・デモクラシー」時代を築き上げた第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンが、クリーク戦争(1813年~1814年)、セミノール戦争(1817年~1818年)のインディアン戦争で「インディアン・ファイター」のあだなを持つところからキャリアを積み上げ、エリートを攻撃しつつ民主主義者として白人民衆の圧倒的支持を集めながらも黒人奴隷制を肯定し、白人の制度を真似て1827年に憲法を制定するところまで「文明化」したチェロキー族に対し強制移住を行ったこと(本書第4章)。これらは民主主義を掲げてきたアメリカ合衆国史における矛盾ではなく、むしろ南部的な発想や思想によってアメリカ合衆国が現在に至ったことの反映なのである。ラテンアメリカの解放者となったベネズエラ出身のシモン・ボリーバルが、実際には貫徹できなかったにせよ、少なくとも黒人奴隷制度廃止の意志を持ち続けたことと比較すると、またアメリカ合衆国の特徴が見えてくるように私は思う。
そういう観点から本書を読めば、北部のピューリタンによる工業の発展や金融の拡充といた「成功物語としてのアメリカ合衆国史」とはまた一味違う、アメリカ合衆国の姿が見えてくるのではないか。そういう意味で、私にとって本書は興味深い一冊となった。
【メモ】
・インディアンの中でも19世紀にはアメリカ合衆国の白人の制度を真似て白人の文物を取り入れた諸民族が存在した。本書で描かれているチェロキー族は、「文明化」の証として白人社会から奴隷制を取り入れ、大日本帝国憲法制定よりも62年早く1827年には憲法まで制定し主権を宣言したが(本書98頁)、これだけ文明化の努力を行っても、「ジャクソニアン・デモクラシー」で知られるアメリカ合衆国の第7代ジャクソン大統領は1830年にチェロキー族を強制移住させるべく、1830年に「インディアン強制移住法」を提出した(本書98-99頁)。ジャクソンは庶民出身の民主主義者だったため、インディアンの土地を奪って白人に分配したかったのである(97-98頁)。なお、インディアンを抹殺し、黒人奴隷制を擁護しつづけながら、白人民衆の民主主義を実現したアンドリュー・ジャクソンの与党が、後に南北戦争で南部連合の母体となり、1930年代ニューディール政策以後はリベラル正統となっているアメリカ民主党であることは非常に興味深い。また、チェロキー族やセミノール族のように、合衆国の制度を真似て黒人奴隷制を導入したインディアン諸部族には、解放後にインディアンが所有していた黒人を、自らの部族の部族名簿から削除するように求める人種主義が2000年以後蔓延しているとのことであり(105-106頁)、人種に囚われたアメリカ合衆国の一筋縄ではいかなさを思わざるを得ない。
・当初から奴隷制を巡る戦争だった南北戦争が、南部人にとって州権護持のための戦いだったと記憶され直すのは19世紀末~20世紀初めごろ(192-193頁)。
・19世紀末~20世紀初頭にかけて、南部のノースカロライナ州のウィルミントン(1898年)、ジョージア州のアトランタ(1906年)、北部のニューヨーク(1900年)、オハイオ州スプリングフィールド(1908年)など、各地で人種暴動が多発し、黒人が白人に襲撃されたが、当時の合州国のマスメディアが貧困層の黒人を襲撃したと報道したのとは異なり、現在の研究では黒人社会の指導的立場にあった、南北戦争後に豊かになった中流階級の黒人を、白人労働者階級が襲撃したということが明らかにされているとのこと(165-166頁、179-180頁)。
・現在の共和党や民主党の予備選挙も、黒人を締め出すことを当初は目的としていた(169頁)。
・南北戦争後に連邦政府の公務員だった黒人を人種隔離する政策が始まったのは共和党のローズヴェルトからタフト時代にかけてであり(177頁)、民主党のウィルソン時代に完成し(201頁)、民主党のF.D.ルーズヴェルト時代に緩和され(229頁)、民主党のトルーマンが1948年にアメリカ軍内の人種隔離を廃止する(238頁)。公民権運動にて南部のモンゴメリーのバス・ボイコット運動には、モンゴメリー郊外に駐留していたアメリカ軍内部で人種融合を遂げた軍人の妻であった白人女性の協力があった(248頁)。
・余りその印象はなかったが、南北戦争後に南部人初のアメリカ合衆国大統領となったのは、「宣教師外交」で知られるウッドロー・ウィルソンであった。本書で初めて知ったが、KKK復活の契機ともなった映画『國民の創生』(1915年)には、南部出身の歴史家としてのウィルソンの黒人蔑視的な歴史観が反映されているとのことである(201-202頁)。
・本書225-227頁には「アメリカ共産党とスコッツボロー事件」と題された節がある。作家や学者など知識人層に拡大し、労働者層には定着しなかったアメリカ合衆国の共産主義政党だが、1931年の黒人に対する不当判決に挑んだのは、全米有色人種向上協会(NAACP)ではなく、共産党であった。この辺りが合衆国共産主義運動の最も誇るべき歴史であろう。
・19世紀末の南部にも、ニューオーリンズ出身のジョージ・ワシントン・ケイブル(George Washington Cable)のように、南部を深く愛しながらも『沈黙する南部』(The Silent South、1885年)や『人種問題』(The Negro Question)で南部の人種主義を批判し、南部から追放されてしまった知識人が存在した(本書240-241頁)。私は本書で初めてケイブルの名前を知ったが、現在の南部が再生果たすためには、まずケイブルのような人の復権から始めなくてはならないのではないかと思うものである。
・本書ではルイジアナ州知事(任1928年~1932年)を務めたヒューイ・ロングについて、社会主義的な姿勢が言及されている(271-273頁)。私はロングのことを前評判からファシストの一種なのかと思っていたが、本書での南部の貧農に尽す姿を見る限り、同時期のアルゼンチンのペロンのような社会改革型ポピュリストのアメリカ合衆国版と見た方が良いのかもしれない。今後の検討課題としたい。
2023/01/15 09:06
投稿元:
アメリカ文学を読む際にその時代背景等が知りたい時にとても参考になりました。辞書がわりに手元にあるとすごく重宝します。ライトなどの南部の文学作品を読んでいると共産主義など出てきますが、どういった活動をしていたのかフランクリンローズヴェルトの章でアメリカ共産党とスコッツボロー事件の所に記載があったり勉強になりました。歴史を知りつつ本も読むと普段気がつかない部分に、何か気がつくような気がします。
2 件中 1 件~ 2 件を表示 |