投稿元:
レビューを見る
+++
少女の目に映る世界を鮮やかに描いた第26回太宰治賞受賞作。書き下ろし作品『ピクニック』を収録。
+++
大人になったあみ子が近所の子ども・さきちゃんのためにすみれを掘りにいく場面から物語ははじまる。それから、あみ子の子どものころのことが語られるのである。両親や兄との関係、同級生とのかかわりが。それは予備知識なしに眺めた大人のあみ子の様子からは想像できなかったことごとであり、けれどもあみ子だけが子どものころからなにも変わっていないのだとも思えるのである。そして竹馬に乗ってコツコツと15分の道のりをあみ子の家に向かってやってくるさきちゃんの姿が、子どものころのあみ子と重なり、いつになったら辿り着くか判らないさきちゃんを待つあみ子の落ち着いた様子にしみじみとした感慨が胸に押し寄せてもくるのである。純粋で残酷で切ない一冊である。
投稿元:
レビューを見る
全然合わなかった。読むのが苦痛でした。
発達障害の子や不思議ちゃん、どう反応していいのか解りません。
投稿元:
レビューを見る
泣いた泣いた、わんさか泣いた。
なぜ泣いたかと言えば切ないとか同情とか、そんな客観的にどうでもよく読んだのではなく、かと言って共感したとか自分をあみ子に投影するほど陶酔したのでもなく、ただ単純に同化してしまったのである。
「ピクニック」も含め、違和感への棘は鋭く突き刺さるようなものではあるが、肯定も否定もせず、ただそこに在るという感覚が私は好きだ。
瑞々しく飛び散っちゃいそうな文章。繊細であるけれども、太い。
投稿元:
レビューを見る
十五歳で引っ越しをする日まで、あみ子は田中家の長女として育てられた。父と母、それと不良の兄がひとりいた。
投稿元:
レビューを見る
不思議な小説。
どうしたら、みんなが幸せになれるんだろう。
…って思いながら読みました。
二度、三度と読まないと咀嚼しきれないかも…
投稿元:
レビューを見る
表題作は、発達障害の少女の視点で語られていく。よく見かける「普通の人と感性は違うけど心が綺麗で周りがあったかい気持ちに~」といったお花畑なお話じゃないところに凄みがある。
「ピクニック」も、現実と折り合いをつけづらい女性の話ではあるが、こちらはどちらかというと周りの「一般」の人がテーマになってるように感じた。ルミたちが七瀬を支えるのは、もちろん七瀬が献身的でいい人ということもあるが、やはり一般的な友情とは違う。自分もこんな側面があるんじゃないかという、共感か、恐れか。2作セットで面白く読めた。
投稿元:
レビューを見る
学校が苦手だったあみ子は
母が開いている習字教室に興味があった。
そこにいた字がきれいな男の子、のり君を好きになった。
実はあみ子と同じクラスだったのり君に
帰り道でなんども話しかけるけどこたえてもらえない。
いやがるのり君に頼みこんで
あみ子は弟のお墓の字を書いてもらう。
母へのプレゼントのつもりだった。
しかしそれを見てから母はごはんを作らなくなり、
兄は不良になってバイクを乗り回すようになる。
中学へ進んだあみ子はやはり学校には行かず、
ベランダにいる弟の霊に悩まされるようになった。
「こちらあみ子」
『ローラーシューズガーデン』にやってきた七瀬さんは、
人気芸人の春げんきと
子供の頃に川に流した靴を拾ったエピソードがきっかけで
十年以上つきあっている。
同じ川に春げんきは今度は携帯電話を落としてしまったらしい。
七瀬さんは川さらいをはじめ、
ルミたちは七瀬さんを応援して出勤前に
川原で過ごすのが日課となった。
七瀬さんに否定的な新人以外で
今後の展開について話していると、
春げんき結婚のニュースが流れてくる。
「ピクニック」
装丁:柳川貴代 彫刻:土屋仁応「麒麟」2010
第26回太宰治賞受賞作「こちらあみ子」に
書き下ろしの「ピクニック」を加えて収録した作品。
あみ子は西加奈子さんの小説に出てきそうなイメージです。
周りの声を聞き流し、自分がいいと思ったことをして
よくないと思ったことをしない、正直なところが。
自分の方をちっともふりむいてくれないどころか
殴るようなのり君をずっと追いかけていて、
あみ子のことを見ていてくれた坊主頭の男の子のことは
名前すら知らない。
このびっくりするくらい狭い視野に、
世界はどのように見えているのだろうか。
「ピクニック」はあみ子ほどの突拍子のなさはありません。
視点はルミなのだと思うけれど、
ルミたちについての情報がまったく出てこない。
七瀬さんの嘘を信じてあげて応援しているけれど、
最後の方で今後の筋書きをみんなで作って送るところに
悪趣味なところを感じました。
おもしろがっているのではないか、と。
みんなが応援するからひっこみがつかなくなっちゃったのではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
「純粋さ」なんて厄介なものだ。
ドライアイスみたいなもんで、とてもじゃないが素手じゃ扱えない。「あみ子」は「純粋さ」の塊だから、傍にあれば遠くに逃げるか、武装するしかない。彼女の両親や、兄のように。
でも、「純粋さ」はやっぱり美しいのだよね。
ハートチョコのくだりは……そりゃ、ぐーで殴るよ、歯も折れるよ、折れたままにしとくよ。
こういう不穏さが、純なるものの純度を増すのかもしれない。
でも、やっぱり厄介だ。
投稿元:
レビューを見る
発達障害の女の子、「あみ子」と、家庭の不幸とあみ子の存在により家族がバラバラになっていく物語。
つらいつらいお話だけど、
あみ子自身が自分を不幸だと思っていない、自己嫌悪しない、
その屈託のなさに唯一の救いがあるなぁ。。。
「こちらあみ子」のタイトルがこれ以上なく物語にしっくりきて、
読後にタイトル見るだけで、胸の奥がぎゅーーっとなりますね。
ネイティブな広島弁でしょうか、広島出身の私には
ますます皆のことばがリアルに届いてきます。
投稿元:
レビューを見る
何ともいえない読後感が残る一冊。
何一つ自分と重なるところのない「あみ子」の物語。
どう読んでいいか分からない小説はあるけれど、
これほどもやもやと心の隅に何かが残る小説は久しぶりだ。
こういった作品を読むと、小説は「何かを伝えたい」と書かれたものばかりではないんじゃないだろうかと思わされる。
作者はきっと、あみ子に同情してほしいわけでも何かを伝えたいわけでもない。そんな気がする。
書き下ろしの「ピクニック」も、あみ子から一転明るい話かと思って読んでいたら、これまた何ともいえない後味の悪い結末。
なんというか、どろっとした物語を書く人なんだと思った。
投稿元:
レビューを見る
ピクニックよりあみ子の方が面白かったです。白痴とまではいわずともあみ子の行動の基準はオリジナル過ぎて、周囲の人を混乱させるし、あみ子の妹を死産した継母をうつにさせるという最悪の事態を招いてしまう。それでもあみ子が悪いとも決して指摘できないところが、あみ子のつかみどころのなさ。良くこんな純すぎてときおり鬼っ子な子どもを描けるなあと感心しきり。
投稿元:
レビューを見る
あみ子はたぶん発達障害(高機能自閉か?)なのだろう、彼女のまっすぐで表裏のない純粋さは、周囲の人々に理解してもらいにくい。そのあみ子の内面を見事に捉え、不遇さを殊更に強調することなく、淡々とさりげなく物語を展開しているのが、かえって切ない思いにさせられる。
文章もシンプルで、焦点の当て方がうまい。この著者の作風は嫌いじゃないな。
投稿元:
レビューを見る
空気を読むことができない「あみ子」。今なら、きっと「発達障害」とひとくくりにされてしまうのだろうけど、30年前は、クラスに1人くらい、そういう子がいたように思う。
広島弁で綴られる物語は、昭和の時代の、今より少しゆっくりした生活を感じさせる。せつないけど、どうにもしてあげられない、友達「あみ子」を遠くから見守っているような、ノスタルジックな小説。
もう一つの物語「ピクニック」も、ストーリーは現代的でありながら、なにかぼんやり、懐かしい、きゅんとする気持ちにさせられる。
投稿元:
レビューを見る
うまく周りの空気を読めないあみ子の視点でのみ語られる。彼女は自分に素直に生きている。とても優しくて思いやりのある少女なのにうまく想いは伝わらない…時には相手を傷つけてしまうのは哀しい。最後、幼馴染みに思いが伝わった時はなんとも嬉しく心暖まる。2つの賞をとったのも頷けた。
投稿元:
レビューを見る
【第2回 twitter文学賞 投票】
辛い(ように見える)状況や結果に抵抗感を示す方もいるようだが、そうではないでしょ!という感じ。そういう心境は出てこないし、トランシーバーとライオン兄貴で爆発するからそこで涙。いい。