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紙の本
最初期の幼稚園から現代の保育を観る
2011/01/29 20:59
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ホキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
短期間で閉鎖した施設を除けば日本初の幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園の初代園長である関信三の生涯を中心とした、日本の幼稚園前史と最初期の幼稚園史である。関信三が明治初期に幼稚園関連の洋書を翻訳するさい、内容を自分なりに咀嚼して紹介できた背景には、長崎・横浜・ヨーロッパで長期間キリスト教思想に触れていたという経験がある。さらにその経験は、もともと所属していた浄土真宗と、政府それぞれの密命を帯びた、宣教師らへのスパイ活動の結果だった。明治初めの混乱期を象徴するかのような顛末である。
関信三の経歴以外にも、明治の混乱期らしいさまざまな皮肉・誤解が初期の幼稚園史を彩る。しかも始動した幼稚園とその理論・思想は当初より相当いい線に行っていた。現代の保育関係者としては感動的ですらある。詳細はぜひ本書に当たって見て欲しい。
さて、関信三の幼児教育思想の中でとりわけ「今日的である」と強調されているのが、外面的な教授でなく遊びによる自発性を通じて幼児は発達し、それが人類の幸福と自治の基礎を培う(p.17)とした子ども観であった。
しかしこれにとどまらず、本書には、他にも現代において改めて価値をもつ視点がちりばめられている。とりわけ2点を指摘しておく。
第1は、貧富の差などを問わず全ての幼児の受け入れを目指した、保育料無償化の理想である。これは関信三の当時では、フレーベルなどのロマン主義の影響による思想であったのであろう。しかし、現代、児童福祉の一環である保育分野にも市場原理による応益負担が持ち込まれようとしている状況においてこの思想は、親の就労権や子どもの発達権という権利保障の課題と絡んで価値をもつ。
第2は、p.230での、関信三の死去やそれに続く関係者の引退・異動によって当初の幼稚園の理念を受け継ぐ者がいなくなり、この結果として、幼稚園が小学校の教科教育の前倒しとして機能し始めた、とする指摘である。
現在まで一部の保育園・幼稚園に存続する「小学校の下請け」という保育観が、わが国の幼稚園史の最初期に、しかも、遊びによる子どもの自発性を通して行ういわば王道の保育観のすぐあとに登場していることは、非常に興味深い。
なお、このような教科教育と保育の関係が論じられるさいに、例えば保育所の関係者が「幼稚園は幼児『教育』だから」と、幼稚園が小学校の下請けを担っていることを前提とするような、「保育」と「幼児教育」の用語自体の誤解・混乱の問題がクロスオーバーする。このとき、p.190前後の、「保育」「保母」「幼児教育」それぞれの語源を解釈した議論が読みごたえがある。とりわけ「保育」と「保母」の典拠が『礼記』にあるとした部分からは、「保育」が当初より、専門性を有した営みであると認識されていたことが読みとれる。“「保育」は保護・養育の略だから「教育」未満の概念である”という主旨の揶揄は、上記の議論の前に簡単に崩れる。
本書の価値を下げるものではないが、2点指摘しておく。
p.12、「邑(いう・ムラ)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを」といういわゆる国民皆学の思想は、確かに「学制」の理念であるものの、謳われているのは「学制」ではなく、学制公布の前日に公布された『学事奨励に関する被仰出書』である。
p.218、関信三が幼児の教育を「無形中の無形」ととらえたことについて、「それは、今日の言葉でいえば、「生きる力」(文部科学省「幼稚園教育要領」)(中略)と表現されているものである」と、「生きる力」と完全に同一視してしまうのはさすがに勇み足である。
それは第1に、文部科学省は小学校以上の学校段階でも「生きる力」を目標に掲げているから、「無形中の無形」が幼児教育の特性だとした点と異なる。第2に、文部省(1996年当時)が「変化の激しいこれからの時代を[生きる力]」として示した3つの定義に、関信三の子ども観は、矛盾はしていないとはいえ、意識的であるわけでもない。第3に、『幼稚園教育要領』の「ねらい」に示されているのは「生きる力」ではなく「生きる力の基礎」である。
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