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タイトルの意味が気になり読んだ。なるほど、そう言う意味か。
前半は誘拐逃亡とあまり穏やかではない。誘拐の理由は母性からで、身代金や復讐目的ではない。逃亡の約3年半は実によく子育てをしている。しかし逃亡劇はあまいし雑な描写。後半は誘拐された子供のその後の人生。心に傷を持ち、つらい人生を歩む。登場する男たちが、実にいい加減で嘘つきである。しかし、彼らを否定は出来ない。むしろ共感…終わり方が不満大一番嫌いな終わり方。
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微、微妙?!メッセージがよくわからん。子供誘拐しちゃだめでしょ!全然同情できないでしょ!??!家庭環境複雑なら、なんでもしていいみたいな創設は、本当に人類に悪影響だと思うんだけど。「悪人」といい、ちょっと恐い風邪吹いてると思うんだけど、気のせい?
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何故だろうか、悲しい物語なのに、読み終わっても悲しい気持ちにならないのは…。何故だろうか、希和子を憎めないのは…。何故だろうか、本当の母親が一番の被害者だと感じてしまうのは…。
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田辺聖子が、清少納言と紫式部を比較してこんなことを書いています。
・・・子供に対してつきない興味を持ち、好奇心をかきたてられているのを読むと、清少納言て、もしかしたら自分の子供を持たなかった人じゃないかなあって気がするんです。
紫式部の『源氏物語』にも、子供の可愛い描写がよく出るのですが、女のもとへ行こうとする源氏の君を引きとめてぐずる幼い紫の上が、ぐずりながらいつのまにか、源氏の君のひざの上で寝入ってしまうところとか、赤ん坊の薫の君が、はいはいしてきて到来物の竹の子をかじってヨダレでべとべとしている、なんて描写--子供を産んで育ててひざに抱いた、その重みを知っている人の書き方だと思うのね。
その点、清少納言のほうは、自分の気になったところ、気に入ったところだけ切りとってみている感じ(笑)。研究では、子供がいたともいわれているけど、どうも、いなかったんじゃないかしら。(『古典の森へ 田辺聖子の誘う』 集英社)
この文章、女の人が子供について書いたものを読むと必ず頭に浮かんでくるのですが、この『八日目の蝉』は、私には清少納言タイプに感じられます。(希和子は子供を産んだのではなく、盗んできたわけだから当然とも言えますが)
ストーリーの後半で、語り手の視点が変わった(希和子→恵理菜)ときちょっととまどいましたが、最後まで読むと、この視点の変換が効果的だったことがわかります。映画は全編恵理菜目線と聞きましたが、どんな感じなんでしょうね。
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誘拐犯なのに、なぜか希和子のことを責めきれない。
小豆島で希和子と薫が過ごした時間が紛れもなく親子だったからなのでしょうか。
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逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか・・・。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。
(「BOOK」データベースより)
ずいぶんと前からタイトルは目にしていたのだけれど、今一つ手に取るまでにいたらなかった小説。今年、永作博美さん主演で映画化されるとのことで、本屋さんで見かけた文庫の帯に彼女の写真が。彼女の作品のファンなので、そのままレジに向かった。内容はあまり知らずに読み進めたわけで、途中でとても驚く展開があった。同じように何も情報を得ていない方がこの記事を読むことで展開を知ってしまうということはできれば避けたいので、未読の方は以下の文章にはご注意いただければ、と思う。
野々宮希和子は、不倫相手の子どもを身ごもったが、相手の秋山丈博に説得されて中絶。いずれ離婚するから・・・と言い続けていた秋山の言葉を鵜呑みにしていた希和子。しかし、その直後、秋山の妻・恵津子も妊娠していることを秋山から聞かされる。別れようとするのに、追いかけてくる秋山。いや、振り切ろうと思えば振り切れるのだろうけれど、ね。難しいわけだ。そして、とうとう恵津子にバレた。恵津子は秋山に向けるべき怒りを希和子に向ける。容赦ない残酷な言葉を投げかける。
精神的にも相当に追い詰められていたのだろう。希和子は朝の20分間、赤ん坊を残して秋山夫婦が家を空けることを知って、忍び込む。自分が産めなかった赤ん坊の姿を、恵津子が産んだ子供に重ねたのか。赤ん坊をあやそうと抱いた瞬間、もう離せなくなった。そのまま誘拐。
そこからは逃げるだけの毎日。男の子でも女の子でも使える名前にしようと、自分が妊娠していた頃に決めていた「薫」という名前をその赤ん坊に付けた。自分が産んだ子。そう思いこもうとしていた。その子との幸せな日々を夢見ながら。けれど現実は逃亡生活。人の目を避けながらの日々。そうしてたどり着いた小豆島。島のゆったりとした生活で自分たち”母子”の居場所を見つけたと思った。結局、仮の”母子”生活は3年半で終止符を打つことになる。
前半は希和子と薫の生活。後半は恵理菜(薫)が実の両親の元に戻ってからの生活。
「誘拐された子供」と奇異の目で見られる生活が恵理菜の心を蝕んだ。いや、実の両親も突然現れたわが子をどう扱っていいのか戸惑っていたわけで、恵理菜はその気持ちを嫌と言うほど感じていたのだ。彼女を見るたびに夫の元浮気相手を思い出すという母。逃げてばかりの父。事情を理解できないまま知らない場所に放り込まれた自分。恋しい人や場所から無理やり引き離されて、居心地の悪い「実の家族」のもとで暮らさざるを得なくなった。彼女が憎むべきは何だったのだろうか。
営利目的ではない誘拐事件。数年間、実の親以外の人の手で育てられた子供のその後というものを想像したことはなかったな・・・。実の親の元に戻ってきたからと言って、当然「めでたし、めでたし」で終わるわけはないんだ。あ���程度、成長したあとに誘拐された場合はどうだろう。それでも、同じか・・・。
七年土の下で暮らし、やっと地上に出たと思ったら七日間で死んでしまうといわれる蝉。八日目を迎えてしまった蝉がいたらどうだろう、というのがタイトルの趣旨か。七日間で死ぬといっても仲間もみんなそうなのだから哀しむことはない、けれど自分だけ八日目まで生きてしまったら・・・。どっちが哀しい?
読了直後の今、いろんな感情が渦巻いていてまだ整理しきれない。悪意も善意もなにもかも。
ただ希和子には幸せになってほしいと思うし、恵理菜(薫)も千草も。このあと、希和子と恵理菜が会うことはあるだろうか。かつては母子として暮らした二人が・・・。
誘拐を美化する小説ではないと思うし、そうであってはいけないと思う。「女」を描いた小説なのかなぁ。「女の情」を描いた話。そんな気がする。
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逃げて、逃げて。
逃げ延びたなら、私はあなたの、本当の母親になれるだろうか―
新生児の誘拐事件。
元恋人の子どもを攫ったひとりの女性。
攫われた女の子。
4年間の逃亡と、その後の女の子の成長の物語。
作品の中に、こんな台詞がある。
夏に鳴く蝉にの一生について、語る場面。
―蝉はみんな七日目に死んでしまうけど、みんな一緒ならいいと思う。でも、その中に一匹だけ八日目を迎える蝉がいたなら、そのほうが哀しい―と。
既視感のある言葉。
似たような台詞が違う作品にあった。
―夏の花が秋に咲くほうが哀しい―と。
本質は同じだ。
季節からはぐれたものは、周りの景色に溶け込めず、滑稽さが浮き彫りにさえてしまう。
まるで、お前はそこにふさわしくないと言っているように。
それはきっと、人間も同じだ。
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一番の不孝者は誰か。希和子か薫かそれとも子どもを盗まれた両親か。その答えは出ないけれども、希和子がかわいそうすぎる。
一目見たかっただけ。
けれど、その子どもが泣きだした。
そりゃ 誘拐もしてしまう。
自分の人生を壊してまで あの男は家庭を作った。
そして、それを心底大事にしていないなら わたしでもきっと希和子と同じ行動をとったと思う。
けれど、薫は希和子を責める。
だけど、本当に大切に育ててくれたのは希和子に違いないと思う。
切なすぎる小説だった。
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ドラマやってるときから気になってたけど、文庫化されてるのを発見して即買ってしまった一冊。
設定も複雑だから一言でいいとか悪いとか言えないけど、
個人的には割と好きな方に入る本だった。
一緒に住んでるから家族なのか、血が繋がってるから家族なのか、
伊坂幸太郎の重力ピエロでも感じたことだけど、
家族ってすごく自然なようで不思議な集団だと思った。。。
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前半部分が面白い。結末は予想できる感じではあった。善とか悪とか、立場によって全く異なるもの。そんな感じの本。
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不倫相手と、奥さんとの間に
生まれたばかりの赤ちゃんを盗む。
そんなショッキングなシーンからこの小説は始まる。
何かするつもりなんてなかった。
ただ、顔をみるだけのつもりだったのに、
その赤ん坊は泣いていたから。
衝動的に希和子は赤子を連れ去り、逃亡を決意する。
その子供には「薫」と、かつて不倫相手と子供ができたらつけようと
約束していた名前を与えて。
友人の家に転がりこみ、強制退去を拒む女の家に転がり込み、宗教団体まがいの集団に紛れ、東京から名古屋、小豆島までをふたりは転々とする・・。
この物語は、どうしたって日テレのテレビドラマ『Mother』を
思い出さずにはいられないテーマを掲げている。
女が子供を盗んで、本当の両親のもとから引き離して、
母親になっていく。
女は本当の母親でもかくやというほど
すべてを擲って、子供を守ろうと必死になる。
子供も親を慕って、幸福そのものと錯覚するような暮らしが続き、
脅かされ、また夢を見ての繰り返し。
この小説の場合、圧倒的に希和子が悪い。
不倫相手に裏切られ、堕胎させられ、いっぽうで妻とのあいだに子供が生まれていたとしても、どんなにひどい目に遭わされたとしても、だから子供を盗んでいいという理屈にはならない。
けれどこの物語がおそろしいのは、
「復讐のために子供を盗む」のではなく、
「この子を幸せにしてあげたいと願って子供を盗む」のだ。
希和子の心理状態は、子供を盗んだ直後からずっと愛情に満ちた母親のそれだ。
許されることではない、けれど、希和子が薫を思う気持ちが本物だと察するからこそ、
同性である女たちは希和子を手助けする。
この感覚的な部分は、男性が読んでわかってもらえるかどうか、ちょっと不安だ。
解説の池澤夏樹先生は「これは相当なフェミニズムの小説だ」と指摘しておられるけれど、もっともだと思う。
まともな男なんてこの小説のなかに一人も出てこない。
逃げてばかりのずるい男が女を追い詰め、追い詰められた女は女に助けられる、そういう物語である。
二章では大学生になった薫のモノローグで話が展開していくのだが、
その淡々とした語り口調から、彼女の内面奥深くに隠したものが伝わってくるのはさすがの筆致である。
薫は「世界一最低な女が家族をめちゃくちゃにした」と述べながら、
「あの事件のことは他人事のような気がしている」とも言うのである。
薫が内側に抱え込んだまま成長してきてしまったその葛藤と、彼女はある事件をきっかけに向き合うことになる。
そうして最後に薫が出す結論を私は尊敬する。
この部分は引用に記しておくけれど、
完全なるネタバレになるのでご注意を!
それから帯に、映画化の知らせが記してあるけれど
希和子を永作博美が演じるというのは素晴らしいキャストだと思う。
井上真央は・・どうかな・・うーん・・
とにかく小説本体はどっしりとしていて、
読み終わったあと心の一部分を持っていかれ��ようなインパクトのある物語です。
やっぱり角田光代は格が違うよなあ、としか言いようのない計算された書きぶりは必見です。
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悲しいお話だと思った
不倫とは?
子育てとは?
家族とは?
いろいろ考えさせられる作品
血がつながっていなくても親子なのだなぁ
と読んでで思いました(最後のシーンより)
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逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか・・・。
子どももいないし、母性というものを理解はしきれていないけど
、逃げる女の独白に感情移入して危うく電車で泣く寸前。
善だ悪だときっぱり割り切れないことって多いな。
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本屋で見つけて衝動買い。
不倫相手の子供を誘拐して逃げる話。
正直、思った程面白くは無かった。
女性が読むとまた違うんだろうな・・・。
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八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られんだから。
見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと思うよ。