紙の本
八ツ墓村
2022/02/09 04:18
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
モデルだそうですが、犯人が一晩で一人で30人というのは、……。今ならば、途中で警察が阻止するからそんな人数には至らないでしょう。殺人は、夜這いが日常的に行われていた当時、肺結核が不治の病で徴兵されなかった事等による理由が詳しく調べられています
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かの「八ツ墓村」のモデルとなった,昭和13年の大量殺人事件。集落への電線が切断され,ナショナルの懐中電灯を二本頭に括りつけた襲撃者が,銃や日本刀で12軒に乱入。犯人はその集落に暮らす一人の青年で,村人約百人のうち,老若男女30人を殺して自殺した。遺書は残したが,事件の真相ははっきりしない。著者は,犯人と,最初の犠牲者であるその祖母の関係に光を当てて,真相にせまっていく。
動機は怨恨らしい。肺病のため,徴兵検査でも丙種とされ,集落内で差別をうけていたという。当時の田舎では,「夜這い」の風習があり,集落内の男女は結構普通に関係していた。犯人も何人もの村の女性とそういう関係にあったが,病気を理由に冷たくされるようになってそれもこたえたらしい。
警察発表では動機は「痴情のもつれ」ということにされた。夜這いがはびこるような風紀の乱れは,こんな凶悪な事件に結びつくのだ,とした。この事件は,そういう宣伝に利用された面もある。銃後をおびやかす,前近代的な夜這いの風習などは,国策に反しており,撲滅の対象だった。
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有名な津山三十人殺しを10年近くおったライターさんの書いた記事をまとめたもの。
何故岡山の小さな山村で凄惨な事件が起こったのかをできる限り追及している。
個人的には、都井が「結核」持ちだとうわさされ、進学の断念、噂による村人との付き合いの希薄さと、恋愛関係も結べなかったことにより、自分ひとりで考え事をする機会が多くなりすぎてしまったことが原因ではないかと思えた。
コミュニケーションが希薄になると自身の考えにのみ縛られてしまうことが多くなる気がする。
あとは、「結核」が治らない病気であったということ、農村という狭いコミュニティの中から脱出できなかったということ、いろいろ複合的に原因がからんでいたと思う。
話が重複しているところもあり、若干長いが、すぐに読めるという意味では読みやすい。
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”八つ墓村”といえば…
惨劇に至るまでの、犯人の生い立ちと村の因習がじっくりと描かれています。
惨劇場面は息がつまり胸がいたむ疾走感。
(シオリさん)
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自らのための備忘録
たまたま手に取った筑波昭著『津山三十人殺し』があまりにも秀逸で、感銘を受けていたら、筑波本の批判が目に入りました。
それならば、きちんと批判も読んでみたいと思い、批判者のひとりである本書著者石川清の『津山三十人殺し 七十六年目の真実: 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』をkindle unlimited で読みかけたところ、前著にあたる本書を読む必要があると感じ、図書館で借りてきました。
ところが、筑波本批判の内容を知りたいという目的で本書を手に取った私にとっては、本書を読む意味はほとんどないことがわかりました。少なくとも本書にはまったく筑波本に関する批判が載っていないからです。
本書の最大の「ウリ」は、なんといっても、津山事件研究の原点ともいうべき「津山事件報告書」をアメリカで発見し、その中に戸籍謄本の写しがあることに気づき、祖母いねと犯人には血縁関係がない(と著者は思う)という新たな視点を獲得したということでした。
著者自身が《どうして誰も気づかなかったのだろう》と書いている通り、事件当時なぜ警察の報告書や検事調書がこの点にまったく触れられていないのかは不明です。
そして、もうひとつ「ウリ」があるとすれば、それは殺害をかろうじて免れた寺井ゆり子が事件後も長生きしていて、著者のインタビューに直接答えたというものです。
さらに最後の「ウリ」があるとすれば、それは犯行当時他の地に嫁入りしていた犯人の姉みな子のその後を追い、みな子の長男、つまり犯人の甥に直接会ってインタビューを取ったということです。
私としては、せっかく大発見ともいえる「津島事件報告書」をアメリカで手に入れたのだから、取材の経緯、保存されていた機関と保存場所、取材の手続き、初めて目にした時の資料の状態や著者の気持ちなどが書かれていれば、本書の価値はより上がったのにと思いました。なぜか著者は敢えてこれらに触れないようにしていると私には感じられました。
そして、被害者寺田ゆり子へのインタビューは、実際に生存しておられたことは、確かに興味深い事実ではありますが、自分のせいで親戚縁者が皆殺しにされたと長年苦しんできた上、責任の一端まで擦りつけられてきた被害者には、何十年も時が経ったからといってもインタビューはすべきではなかったと思いました。得られた情報も目新しいものはありませんでした。
また、加害者の甥、事件当時はまだ生まれてもいなかった甥にインタビューするというのも、読者の下世話な覗き見根性を満足させるに過ぎず、こちらもインタビューすべきではなかったと思いました。
本書は、筑波本の端正な文章とはまったく違い、まわりくどく冗長な上、読者への信頼が感じられないものでした。どのような読者をターゲットにしているかは不明ですが、元NHK記者だというのであれば、せめて「NHKスペシャル」の視聴者層をターゲットとした、すっきりとした文章の方が好感が持てると感じました。遺書の現代語訳は必要ないでしょう。また部落内の地図がないのはわかりにくいと思います。
残念ながら、私は著者とは考え方が違い、多くの点で違���感を覚えました。
何といっても、いくら祖母と犯人とに血縁関係がないことに気づいたからといって《いねは陸雄にしがみつくしかなかったのである》(p.123)
や《陸雄を手元に置いている限り、都井家の財産は、いねたちが自由にできる。裕福な暮らしをいねは手放したくなかったに違いない》(p.128)、さらに倉見における「ロウガイスジ」の噂について《そして、これはあくまで仮説なのだが、そういった噂などを広めることをできた人が、一人だけいたのである。それは、陸雄の祖母いねだった。/いねがその気になれば、陸雄の両親の死因を大きくあおって、それを陸雄に信じ込ませることはできるし、貝尾のなかにさりげなく噂を広めるこど容易にできた》(p.143-4)などとあまりに突拍子もないことばかりを並べ立てているため、本書全体への信頼性が薄れました。
他にも著者との考え方の違いの例を挙げると、《警察では、あくまで睦雄は冷静沈着な鬼のような連続殺人犯ということで、緻密な計画に基づいた犯行としているのだが、睦雄の襲撃路をたどると、必ずしもそうではないことがわかる。/むしろ睦雄は混乱していたところもあったのかもしれない(中略)/睦雄の犯行がどこまで緻密で冷静だったのかについては、疑問に感じずにはいられない。むしろ、多少のパニックが犯行時の睦雄を支配していたとみるほうが、自然なのではないか。理性と興奮の狭間に睦雄の精神はあったのである》(p.192-3)とありますが、私はそのようには感じませんでした。
それは、筆者自身による地の文《それにしても睦雄の射撃の腕は驚異的な正確さだった。ねらいは決してはずさなかった。闇夜にもかかわらず、この正確さは、睦雄の射撃の腕の異常なまでの高さを物語っている》(p.190)や、《睦雄は緊急でない限り、一人ずつ急所に二発以上確実に撃ち込むことを心がけていたようである。きちんととどめをさしていたのだ。このため、この事件の被害者の死亡率は極めて高いものとなった。睦雄はターゲットを決して逃すまいと心を決めて、それを正確に実行していたのである。狩猟や、あるいは戦場で、ターゲットの息の根を確実にとめるのに、必要とされることを睦雄は冷静に実行していた》(p.199)や、《「ここは君の家なのか。お爺さんでは間に合わないから、君が早く鉛筆と雑記帳をだしてくれ」》(p.212)などを読めば、犯人が「混乱したり、多少のパニックに支配されたり」していないことがわかります。
とはいえ、本書の長所をいくつか挙げると、まず筑波本における被害者名がすべて「仮名」だと述べていることです。《※以下、新聞記事の一報の抜粋を中心に構成。なお犯人を除く個人名は『津山三十人殺し』で使用されている仮名を用いることとする》p.42とあります。これは私の読み落としかもしれませんが、筑波本を読んでいた時「仮名」だったとは知らず、ここまで「実名」で詳細に報じて良いものかとある種の衝撃を受けていましたから、「仮名」であることを教えてもらえてよかったと思いました。
次に、当時の「夜這い」の実態をいくつかのインタビューによって示していること。私は著者の主張とは違い、当時の報道がどうであれ「この部落がひときわ風紀が乱れていたからこの事件が起きた」と、人々が思っていたと���考えていないので、細部においては色々と疑問もあるのですが、次のインタビューを取ったのは価値があると思いました。
《物見に住む古老に聞いてみた。(中略)「助平といえば、そりゃ一種類しかないだろうよ。男と女の例のスケベのことさ。昔はなあ、バクチをやって負けた時、よく自分の女房を一晩とか二晩、貸し借りしたものなんだよ。負けがこんで支払う金がなくなった時はさあ、女房や娘を代金がわりに勝った奴に貸したんだよ」》p.50
《親といっしょに寝ている娘も、男が夜這いに来るときは、さすがに別間で一人、男を待った。そこに男が忍んでいくのだが、事前に打ち合わせはすんでいるので、男が部屋を間違えたり、女を見失ったりすることは少なかっただろう。だが両親には内緒で行なう行為なわけで、入り口の戸を開けるとき、もし戸がきしんでも音をたてないように!男は小便を戸の下に流して、きしむ男が出ないように工夫したりした(この話は加茂谷で暮らす古老から、2010年の秋に聞いた話である)》p.160
「夜這い」は、古代のみならず近世、近代まで日本の多くの地域で普通に行われていたと考えられていますが、多くの研究書があるわけではなく、赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫くらいしか手に入らない中、このような証言を活字にしたという意味で、本書は価値があると思いました。
当初の目的である筑波本批判を知るために続編『津山三十人殺し 七十六年目の真実: 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』をkindleより読みやすい紙の本を図書館で借りてきたので、これから読みます。もしかしたら、読後本書への評価も変わるかもしれませんが、暫定的に本書への評価は民俗学的意味を鑑みて、おまけして星1.5、四捨五入して星2つとしたいと思います。