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12月の下旬、佐々木俊尚さんと食事をしながらおしゃべり。
その時に話していた内容が、この本の入り口かのような感覚になりながら、
みんなよりちょっと前にこの本を楽しませていただきました♪
(ちなみに、間隔を空けずに一気に読む方がオススメ)
佐々木さんがよくお話されている「キュレーション」をキーワードに、
情報のあり方の変遷や背景が書かれている。
今の揺らいだ環境に不安な人もそうでない人も、読むと今がより理解できると思う。
ソーシャルな世界でリアルもネットもボーダレス感覚で動いている人には、
肌感覚にあったものが、明文化されていてすっと入る内容なんだけど、
様々な分析と共に記載されているのは見かけない(たぶん)ので必読。
面白いのは、幅広い事例を用いながら、今起きている情報流通やその構造について綴られている点。
読みながら、それぞれの価値観でいろんなことを派生して、
いま起きていること、感じ取っていることを考えることができそうな気がする。こういうのって好き。
人とその内容をシェアすると視野が広がりそう。(2/12に実際にやっちゃうんだけどね♪)
私の場合は、「人」そのものについて考えふけってしまいました。
この件は最後にも書くけど派生しすぎて未整理・・・徐々に独り言blogに書いていこうかな。
まず、興味深かったのは、情報構造と社会心理の関係の変遷について。
情報の流通のしかたによって、人がどういう心理状態にあったのか?どう変化してきたのか?
について触れられているところがある。
何をするにも、「人」が必ず関わる。だからこういった関係を理解するってすごく重要だなぁって。
#若い層もマスメディア時代を生きた層も、お互いの認識が深まりそう・・・
#とも思った。お互い非難し合っていても先に進まないもんねぇ。
キュレーションの時代、情報はいろんな視座による意味付けが加わって世の中に流れ出ていくのだろうけど、
それによりどのような心理の変化が起こるかは気になるところ。
マスの時代は、自分の情報の開閉バランス(つまり自分の見られ方につながる)は、自らは取りづらかった。
今は、自分で出す情報も、出し方も(もちろん受信についても)コントロールできるようになってきている。
逆に、それらを自らコントロールできるスキルが不可欠のような…。
ツールの使い方含め、自分次第なんだけど、その自分次第がいろいろなので、どんな心理状態を生むのか?
そして、それらが反映されてどのようなことが起こり得るのだろうか?と。。
情報構造と社会心理の関係をとらえていくのは長期テーマだなぁ。
キュレーションそのものは普段から体感していて、そのひとつが読書朝食会”Reading-Lab”(通称:リーラボ)。
ここで起こること、その場を通じて自分に起こることにもともと興味があった。
この本の言葉を用いてとらえるのもまた面白い。
このコミュニティでは、各自持ち寄ったオススメの本を、各々紹介&���リートークしていくわけなんだけど、
佐々木さんの言葉を借りて言えば、これは
いろんな人の視座にCheck-inしながら、自らその本に対する解釈・認識を(再)構成することをやっていたんだ。
フリートークの時間がある分、お互いのゆらぎからくる解釈や広がりが加わり、
さらにその場では常にその解釈・認識は変容し、再構成されていく。
瞬く間に「ふつうの本」は立体的にとらえられるようになる。
セマンティック・ボーダーが変容している状況だったんだろうなぁ。
以前、千代田区MIWでお話したときに、
“リーラボは「本と人と思考・思想が交流する場」と思っています”
と私は話をしたのだけど、言い換えれば「本と人と視座が交流する場」なんだろうな。
だからゆらぎっぱなし。考えが固定されない。改めて、おもしろい場だなぁと思う(^ー^)/
<派生して拡散中。一部は収束…>
・キュレーション能力?のUPのために何が重要なんだろうか
→キーワードは「受信機能」「応答する存在」
最終的に、女神山での「聴く」まで飛んじゃう。
・キュレーションのスケール感(?)をどうとらえるか?
・コミュニティ論。空気感とか。共有されているコンテキストについて。
身体性とか?
・ハイコンテキスト/ローコンテキストと感覚の関係。
そこから情報の見せ方について。
とかとか。まだあったような。。。 他の本もリンクして頭の中が大変です(^_^;;
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もう大きなビジネスなど存在しない。
情報流通の変化による記号消費の消滅、それによるマスコミの消滅。
こうして大きな物語も消滅し、無数の小さなビオトープが立ち上っては生成される。(しかしこの細分化はある種の孤独感を引き起こし、大きな…とは言わないまでも「日本」のような中ぐらいの物語を必要とする…。)
これからは深くビオトープを理解していないと、正確に情報を伝えることはできない。一般的な日本人などいないから。これは重要なポイントだ。大きなバケツは拡散し、小さなビオトープは揺らぎを続ける。
だのに大量消費のマスモデルに、今でもしがみついているコンテンツ業界。
でもぬけだせないのだ。それは自分たちの規模やビジネスモデル、給与体系を否定することだから。
佐々木さんは行動ターゲッティング的なライフログ情報流通は、プライバシーの問題から浸透しないという。ある視座へのチェックインというソーシャルな情報の流れだけではなく「いま•ここで•こうしたい」自分に最適なライフログ的情報の流れにも僕は進化していくと思うのだけど…。
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「キュレーション」 - 情報を収集・選別し、意味づけして共有すること。
昨年、あらゆる言葉に「ソーシャル」という接頭語が付いていったように、今年はこのキーワードが世間を賑わすことになるのかもしれない。本書は、その「キュレーション」をテーマに、ITジャーナリスト・佐々木俊尚氏が書き下ろした渾身の情報社会論である。
◆本書の目次
プロローグ:ジョゼフ・ヨキアムの物語
第一章 :無数のビオトープが生まれている
第二章 :背伸び記号消費の終焉
第三章 :「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
第四章 :キュレーションの時代
第五章 :私たちはグローバルな世界とつながっていく
著者と「キュレーション」という言葉の関係は、実に不思議である。キュレーターという職業が、美術館・博物館の学芸員として存在することからも分かるように、この言葉自体は著者が開発したものではない。しかし、この言葉に意味づけを行い、流通させたことに対する著者の役割は、非常に大きい。すわなち、佐々木氏こそが「キュレーション」のキュレーターという関係なのである。
また本書の構成にも、非常に興味深いものがある。事例として取り上げている題材、それを捉えるための概念が、それぞれ二軸のキュレーションによって成立してるのだ。まさに「キュレーションの交差点」といった全体像である。具体的には以下のようなもの。
・事例の題材としてキュレーションされているもの
ジョゼフ・ヨギアム(画家)、エグベルト・ジスモンチ(アーティスト)、『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(映画)、田中眼鏡店(眼鏡屋)、フードトラック(屋台)、一座建立(茶道)、月明飛錫(ブログ)、フィロ(サービス)、フードポッティング(サービス)、ロケーションレイヤー(サービス)、シャガール(画家)、ヘンリー・ダーガー(作家)、八島孝一(美術家)、アロイーズ・コルバス(画家)、田中悠紀(画家)、『彼女が消えた浜辺』(映画)、青花(染付)
・考え方、概念としてキュレーションされているもの
ビオトープ、アンビエント化、つながり消費、視座、チェックイン、キュレーション、セマンティックボーダー、ホロニックループ、一回性、ポストグローバル
上記のキーワードだけを抜き出して見ると、難解な本のように思えるかもしれない。しかし、それぞれの内容については本書内で丁寧に意味づけがされており、それこそが「キュレーション」の本質でもある。また、本題の説明に入る前に、三章にも及ぶ分量を背景の説明に割いているところも注目に値する。「キュレーション」というものが飛び交う土台の変化が、それだけ大きいということを意味しているのであろう。
本書は、マスコミ人にとっては、やや耳の痛くなるようなことも書かれていると思う。しかし、そのような表層的な部分に着目するのは得策ではない。本書に書かれている「キュレーション」とは、メディアや情報流通のみに留まるような概念ではないのだ。「キュレーション」とは、人間関係でもあり、生き方でもあり、哲学でもある。��分の視座で本書を捉えるならば、「自分らしくあれ、自由に生きろ!」というメッセージである、と意味づけしたいと思う。心が躍る一冊である。
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記号消費から機能消費へ。
無数の情報の中から価値ある情報を選別し、それにコンテキストを付与して独自の視座を提供するキュレーター。
視座の提供のことをキュレーション。
アウトサイダーアーティスト。
なるほど。
文章が合わんのか、なんとなく読み辛かった。
例示されている物語が、いちいち詳しい。それが内容の理解の助けになっているとも思うけれど、僕はちょっとくどい感じがしたな。もっと全体的に短くまとめてくれた方がよかった。
内容自体はおもしろいし今を生きる上で必読の書のようにも思える。
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視座が人によってそれぞれ違うものなら、自分ももしかしたら誰かの(何かの?)キュレーターに成り得るのかもしれない、という可能性に気付いてなんだかワクワクした。
自分の視座はなんだろう。
視座を切り口と言いかえると、能動的な意味合いが強くなるのかもしれない。とふと思った。
意識してなくてもツイートするだけで視座は勝手に出来あがるけど、自分なりの視座というか、人と違う、それこそキュレーターになれるような人の視座はやっぱり能動的な感じがするな。
それが、自分なりの切り口とかアイデアとかで、自分なりの視座を持つ人=キュレーターなのかなぁと。
本の内容ではないけれど、初電子書籍版を購入してみたのでそれの感想も。
ツールはiPhoneのiBooks
読みながら付箋が貼れないのは不満だけど、これくらいのページ数ならどこでもさくっと読めて、目も疲れない。
それこそ仕事でちょこっと休憩してる時なんかに数ページ読んだり。
携帯ならいつでも持ち運んでるし、隙間時間を読書に充てるのには電子書籍は非常に便利。場所も取らないし。
新書なんてそれこそタイムリーな話を読みたいときには一番良い気がする。
もっと色んな本が読めるようになればいいのにね。
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面白く、一気に読み終わりました。時代背景や想像力を掻き立てる事例を交えた考察が的確でどんどん吸い込まれていきます。しかし、広告のあり方は本当にかわるだろうな。センスが問われる時代になりそうだけど、今までよりも面白くなることは間違いなさそう。色々と考えさせられる、間違いなく読んだほうが良い1冊です。
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結論だけを言うためなら長過ぎる。しかし、あちこち脱線風でも私には面白かった。自分の趣味の領域がかなり似ていることを発見し、著者への親しみもいっそう増した。主張も、すべて賛成とまではいかないが、おおむね賛同できるし、分かりやすく説明されている。
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今、話題の佐々木俊尚さんの本。
「キュレーション」とは本来、アート用語なのだが、今回のコンテキストでは情報を集めて広げる行為である。
かつてのマス広告が機能不全に陥った経緯の解説から、"ビオトープ"と表現される現代の人々の集約具合の解説は秀逸だった。
佐々木さんの本を初めて読んだのはインフォコモンズだったが、その時はとても衝撃だった。その後、ウェブ国産力なども読ませてもらっている。
俺の中では、梅田望夫がアメリカへ去ってから、カオスのウェブの道程を示してくれる貴重な人物であると考えている。
孫さんとのUst対談や、NAVERまとめのイベントなど、動向はチェックさせていただいている。
今後もその鋭い観察眼と語り口で我々の先行指標でいてほしいと切に願う。
・目次
プロローグ ジョゼフ・ヨアキムの物語
第一章 無数のビオトープが生まれている
第二章 背伸び記号消費の終焉
第三章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
第四章 キュレーションの時代
第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく
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ソーシャルメディアプラットフォーム
キュレーターの役割が重要になる。キュレータ−とはやはり編集者とほとんど同義ではないのか。世の中に情報があふれている時代、何を信じていいのか、どの情報をよりどころにすればよいか、やはり、その指南役、ものの見方を教えてくれる人が大事になる。googleの検索では、選び切れない情報量で混乱するばかり。
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情報は単独では成り立たない。松岡正剛の唱える「編集」の概念と似ているかも。音楽にしろ、映画にしろ作品は単体で成り立つのではなくて、その背後にある文脈みたいなのをいかに感じ取れるかってこともひとつの命題かもしれない。音楽を聴くときに楽曲だけを聴くんじゃなくて、その楽曲を成立させる音楽的背景を考える行為だとしたら?わかりやすいMr.Bigを聞いて背景世界のブルースを感じたり、イングヴェイにバッハを感じたりするような感じ?
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2011-05-25購入
背伸び記号消費の終焉
2011-06-22読了
この知的レベルの文章を書ける「ITジャーナリスト」に感謝。
ウェブ開発の実践者としてこういう文章をもっと読みたい。
読解図 http://on.fb.me/jelLtg
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情報過多の中で「視座」を与えるキュレーター、その視座を受け入れるチェックインという発想が非常に新鮮でした。
以下、自分用メモ。
従来は戦後の高度経済成長とアメリカからの文化流入により日本の全体が同じような価値観をもち、企業・職場といった「村的」な繭の中でタコツボのようなソーシャル環境(ビオトープ)を形成していた。
これに対し、世界中の情報を流通させる情報プラットフォームの出現と人々の価値観の多様化により、従来の固定的なビオトープが、一時的な特定の趣味・テーマによって集まる「アドホック」なビオトープに変容する。
さらには、一個人がこれらのアドホックなビオトープを複数またがるというのが常となってきている。
この状況において、様々なコンテンツに文脈を与える「キュレーター」が用意する「視座」を受け入れ、情報を受け取る(チェックインと表現)フォロワーという構造が出来上がる。
情報過多の状況において、信頼できる人による情報のフィルタリングを経た
発信を受け取ることで、フォロワーが自分に関心のある情報を集めつつ、そのフィルターの揺らぎによりタコツボ化を回避するということが成立する。
・アンビエント化
iTunesは音楽をアンビエント化した。
アンビエント化はコンテンツがオープンに、流動的になり、いつでもどこでも入手出来るただよっているような状況。
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平面的、表面的だった情報、コンテンツがキュレーションによって立体化していく、そんな感覚になりました。あと、視座という言葉いいですね。いつも思うけど佐々木さんの書く文章は読みやすく、ぐいぐい引きこまれていく。そんなこともあって、小説書いてほしいなぁとも思うのです。
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「キュレーション」という言葉がわりとバズり気味なこともあって、新しい知見はあまり得られなかった。
しかし、WEBやビジネスだけでなく、聞いたこともないようなマニアックなアートや音楽、最後はモンゴル帝国まで幅広い事例を引用していて、単純に読み物として面白かった。
このようにキュレーションという言葉自体はバズっているものの、結構ニッチなところではまだまだチャンスがあると思う(それがキュレーションの時代ということなんだろうし)
それにキュレーションの一つの特徴である「視座の提供」までいっているサービスってなかなかないんじゃないかと思う
視座って中長期的にしか得られないものだと思うので、現状のソーシャルストリームでは提供しづらい価値なんじゃないかと
まだまだチャンスはあるでよ
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マスメディアによる大量消費は終わったのですね。キュレーターがビオトープからコンテキストを見つけ、セマンティックボーダーを揺らぎ、我々にセレンディピティを与えます。