投稿元:
レビューを見る
「私はかつて、「自分」よりも愛しいものを探して世界中を求め回ったけれども、「自分」より愛しいものはどこにもみつからなかった。それは他者にとっても同じこと。~生き物はみんな、ナルシスト。ゆえに自分を愛しいと思うなら、他の生き物を傷つけないように」
投稿元:
レビューを見る
本屋さんでブッダの特集が組まれていたので買ってみた。
★自分の内側に目を向けることが大切
★いつまでも怒っていても自分を苦しめるだけ
投稿元:
レビューを見る
ブッダ、面白い!!~と、わくわくしながら読み進めてしまうのは、小池龍之介さんの語り口のワザ?!
「そうだよねぇ。」という身近な真実を、ブッダの時代から説かれていたとは……。「人間てヤツは…。」と面白おかしくもあり、自分が成長していくことの大切さも実感させてくれる一冊です。
投稿元:
レビューを見る
最近流行の名言集。企業戦略だろうがなんだろうが偉人の言葉には心を動かされる。こういった言葉をさらりと言える様な人になりたい。
投稿元:
レビューを見る
うなずける言葉もたくさんある
自分の心の平穏について教えをといているからかもしれないけど
他者に対する愛情的なモノをあまり感じなかった
世界中をまわって自分以上に愛しいモノは見付からなかったって言ってるから
当然なのかなぁw
依存や執着がよくないってコトなんだけど
確かに依存や執着が強くなると
自分を苦しめる原因になる
思い通りにならない苛立ちや
失うコトへの不安や恐怖
それらが心を縛り付けて不自由にする
心の安らぎこそが最高に価値あるコトと悟りし者は言う
悲しみや苦しみに動じず
常に微笑んでるヒトってすごいかもしれないけど…
同時につまらない気もする
ヒトって感情の機微があるから面白いと思うのね
嬉しいコトも楽しいコトも
イヤなコトも悲しいコトも
全部うっすら笑ってるヒトなんてつまんない
感情がこぼれ出すって言うのかな
私は そゆヒトの方が
自分をコントロールできていないんだとしても
魅力的な気がするなぁ
もちろん怒りに支配されて自分自身が苦しくなるのは
よくないと思うけどね
何て言うかな苦しみ悲しみだったとしても動じないヒトより
私はキミがいないと悲しいって
泣いてくれるヒトの方が愛しいなぁ
執着できる何かって それはそれなりに意味があるんじゃないのかなぁ
でもブッダを神聖化せずとも
自分が信じる道を見つけて行動したヒトは偉いと思うよ
投稿元:
レビューを見る
超訳し過ぎの傾向が見受けられ、重み深みを感じさせない、現代風の名言集のような一冊で、サラッと読む事が出来るが、もう一度読み返したいとは思わない。
投稿元:
レビューを見る
この教えを全部守れたら、きっとブッダになれる。
もちろん、仕事や生活する上では教えを半分も守れないけど、悪いカルマに思い当たる節がチラホラ。普段から心を制御出来ていないことがよく分かりました。
これを読んで、気持ちを穏やかに保つことが出来るようになれた、…気がする。
投稿元:
レビューを見る
超訳シリーズは、ニーチェに続いて2冊目。
そして、スマナサーラ師の2冊に続き、またしても仏教本であります。
スマナサーラ師の入門書を読み、その覚めた心の持ち様(無常観)になんとなく疑問を感じて、それは多分自分の理解が足らないのであろう、との仮説から、違う仏教本を読んでみようと思ったわけです。
自分が感じた無常観への疑問とは、そこまで現世のあらゆるものが、こだわったり、執着したりするに値しないとしてしまったら、日々を大切に生きるというモチベーションが失われてしまうのではないか、ということであります。
結果から言うと、この「ブッダの言葉」の中にも、私の疑問に対する納得感のあるワードはまだ見つけることができませんでした。
それでも、珠玉の言葉がたくさんありました。
ひとことでいうと、とにかく、わかりやすいです。
ひとつひとつが、端的で、平易で、メッセージが明確です。
「超訳」だから、かなりの意訳なんでしょうね。相当に小池氏の思想や経験、解釈が反映されているんだと思います。
でも、それが悪いというわけではなく(だからこそ「超訳」なのでしょうし)、小池さんの別の著書を読んでみたいな、という興味も沸いて来ました。
実際の原典はどんなかきっぷりなのか気になりました。(読めないけど(笑)
あ、それから、「もしドラ」も、ある意味で、「超訳」なのかもね、と余計なことを思ったりしました。
投稿元:
レビューを見る
図書館に返すまでの時間がなくなったので、急ぎ飛ばし読みした本。ただ一節一節が簡潔で言葉がストレートに入ってくるため、それだけでも充分にブッダの教えを感じ取ることができる。
人間を突き動かす怒りや欲望・・・スマナサーラさんの著作もそうだけど、ブッダの教えに触れるたびに自分はまだまだだなと反省する。
投稿元:
レビューを見る
東大教養学部を卒業した僧、小池龍之介が仏教を知らない人でも取っつきやすいように平易な言葉を用いてブッダの残した言葉を現代語訳している。
コンセプトに適った読みやすさだったが、その反面元々の言葉が持つ力を感じることはなかった。
原典に忠実に訳されているほうが、個人的には好みだなぁ。
ブッダと言ってもやはり人。
彼自身が述べていることと、自身が行ったことの間に齟齬もある。
そんなところが垣間見られたのが興味深かった。
ブッダがどんな事を弟子に伝えたのかをサックリと知りたい人向けの本でしょう。
しっかりと知りたい人にはお薦めしない。
投稿元:
レビューを見る
内容はブッダの言葉なので、「当然に良い」のだけれど、「超訳」に違和感があり、あまり素直に入って来なかった。私は、あまり好きでなかったです。
投稿元:
レビューを見る
著者の著作は今まで何冊か読んでおり、(この人が訳したブッダの言葉なら、優しくわかりやすいものとなっているだろう)と思って手に取りました。
実際、経典の専門性や難しさを極力取り除いた、とてもプレーンな文章になっています。
生前著書を残さなかったブッダは、弟子の残した説法集でその教えが残されていますが、この本では数々の弟子に呼び掛ける名前は避けて、一般への語りかけいう形にまとめられているため、自分に向かって諭してくれているような気になります。
タイトルにも超訳と書かれている通り、かなり意訳的文章になっていますが、本格的に興味を持った人は、専門書をあたればよいわけで、この本はあくまで一般への門戸を広く設けた入門書。
日本人として、もはや仏教の教えに慣れているためか、本文中に宗教っぽさは感じられません。
神や仏は登場しませんし、なにより「祈る」という行為は出てきません。
自分の心の持ちようについて説かれています。
ブッダが実際に話した内容は、宗教の形を取っていなかったのかもしれませんね。
悟りを開いた人の、何事にもとらわれない、涼やかな存在を終始感じながら読みました。
現代風になっているため、なんだか面白くアレンジされた文章にも時々ぶつかります。
ジャイアンが比喩の中に登場したりするのですから。
「今はたまたまアライグマを育てるのが忙しくて」など頼みごとを断る理由にするという例えも、非日常感たっぷりで笑えました。
現代でも、なかなかそんな人はいないでしょう。
"相手に合わせて柔軟に話す"という項目には、「カーヤーにエッカーガタを向けサンマサンカッパでサティしなさい」という文章が出てきて、もはや何のことかわかりませんでした。
一般の人には専門用語を使わない、という例えなんですが、これはやっぱり、その道の人には意味がわかるんでしょうね。
いい友達に出会えないのなら、いっそ孤独でいなさい という思い切りの良さには、はっとしました。
なれあいの関係をよしとしない潔さは、俗世のさまざまなしがらみにがんじがらめになった私たちには、眩しいばかりです。
連続する友人に関する項の締めには「まるでインドサイの頭に一本だけシャキンと突き出た角のように。」という比喩が使われており、勇ましく感じました。
しかし「配偶者や我が子ラーフラに何の執着もない」ともハッキリ語っており、子供の立場からすれば、父親に全く関心を置かれずに寂しかっただろうなと同情します。
ラーフラも仏門に入ったので、そういった未練はなかったと考えられますが。
『ニーチェの言葉』とは違って、本当にブッダが残した言葉を元にまとめられたこの本。
各項目は簡潔で、すんなりと頭に入っていきやすい、噛み砕かれた文章になっています。
ただ、平易さに徹しすぎて、現世の怠惰な私たちの精神にガツンとした衝撃を与えるような、目の覚めるようなキツイ箴言がなかったことに、若干の物足りなさを感じました。
手元に置いて、時々開いて味読したい一冊です。
------------------------------------------
仏教ライターの星 飛雄馬さんに、「、「カーヤーにエッカーガタを・・・」の箇所の訳を教えていただきました。
「身体に集中し、正しい思考をもって気づくようにしなさい」という意味だそうです。
星さん、さすがは御専門家ですね。どうもありがとうございます!!
投稿元:
レビューを見る
いつのまにか家にあった一冊。
さらりと読めました。
仏教哲学のあれこれを平易に説いている様子。
・肉と骨のかたまり、脆い城としての人間
・事実と感情の切り離し
・etc...
投稿元:
レビューを見る
ニーチェはポジティブ過ぎてついていけなかったが、ブッダの言葉はどんな宗教をも超越しているようで気が楽になった。
投稿元:
レビューを見る
サラッと読めるし、小難しくないから、身近にブッダの教えを感じられてよかった(^^)
何かあるたびに読み返したくなる本だと思う