紙の本
型の踏襲から自分の言葉へ
2011/04/12 20:27
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
おそらく落語に限らず広く諸分野で言えることだが、評論や批評と呼ばれる類のレベルが20年ほど前から下落し続けている。かつて日本にも優れた書き手、ハッとするような評論が多く物された時代あったのに、なぜ今は駄目になってしまったのか。
本書の内容を簡潔に約すと「駄目な評論は内向きで業界内部でのみ通じる言葉、概念を振りかざし盛り上がることばかり考えている。外から新たにやってくる客へ開かれてない。入門者には『とにかく寄席へ行こう』と勧めるが、そんなものは『寄席へ行こう! キャンペーン』の宣伝マンでしかない」という辛辣なもの。
落語は大昔から続く「使い古された物語」を如何に活き活きと、新しく、魅力的に語るかの話芸である。そこにあるのは「つまらない演者と面白い演者」の違いだ。
本書の主張は明快である。
評論は入門者にも開かれてなければならない。そのために「落語には面白い寄席と面白くない寄席があり、誰が面白い寄席を提供できるのか」言わなければならない。面白いと一口に言っても面白さのツボは千差万別であるから、その人に合った面白さを紹介できるよう、論者は深く広く通じてなければならない。そのために必要なのは何を置いてもまず語る対象への無償の愛である。
内部で盛り上がることばかり考えている人間は「面白くない演者」をハッキリと言えなくなっている。
また彼らは「伝統」を重んじ、自らを伝統の守護者かのように言うが、その伝統も実は昭和に作られた新しい概念でしかない。そんなものを後生大事に抱えているうちに落語は時代の波に取り残され、いつしか誰にも見られなくなった。
危惧した一部の人間が新しい風を取り入れるため積極的に動き出し、伝統と革新の両立を目指した落語界は今、新たな黄金期を迎えようとしている。
本書で言われる「今こそ落語の黄金期」は、評論の評論が出版される、このような本が『売り物になる』と考えられているのが何よりの証拠だろう。
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立川流を聴かない落語評論家がなぜダメか、という点が中心ではあるが……落語評論家の使命とは何かという点については共感。広瀬さんのおかげで素敵な落語家をたくさん知った自分としては。
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広瀬和生さんの落語評論批判である。162ページを引用する。
2010年、僕は週刊誌の取材で小三治にインタビューする機会を得たが、その際、話題が落語評論に及ぶと、彼はこう断じた。
「みんな評論のための評論であって、正論ではない。評論家として認められるための文章を書くから、えてしてヤケクソのことを書いて、注目されようとする。それは評論家じゃなくて、芸人です。評論家で、ちゃんとしたことを言える人は誰もいない」
中略
評論のための評論。認められるための文章。そういったものは、読者のために書かれているのではなく、評論家自身のために書かれている。そんなものが正論であるはずが無い。
落語の評論は、落語を愛するがゆえに、やむにやまれぬ情熱をもって、「落語のために」書かれるものでなくてはいけない。
「愛するがゆえに、やむにやまれぬ情熱をもって」の一言にとても共感する。あと、広瀬さんは「自分の言葉」をもっている落語家を高く評価する。これは医師についても同じである。「他人の言葉」を自分の言葉と勘違いしていることは、とても多いのである。
既存の落語評論への小気味よい批判はよく込められていたが、では、本来の落語評論はなにかというと、談志の言葉に仮託しておしまい、、、というのがちょっと「うーん」であった。談志の言葉に出来ないところをどこまで言葉にするかが、「評論家」の大事な努めという気もする。もちろん、目の前の山があまりにも高いので、それは巨大な難事であろうが。
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業界ではタブーらしい「立川流」を賞賛している本。
すべてにおいて意見が合うわけではなかったが、
落語を勧めるときに「まず寄席に行け」ではなく、
落語家を選ぶというのは納得。
自分が落語を聞き始めたておもしろさが少しわかってきたときに感じたことを書いてくれていて心地よかった。
今までの落語評論本とは少し違う切り口で書かれている(今までのを批判的に)。
本全体では内容が少し重なっていたりしていて、もう少し整理して書けばもう少しおもしろくわかりやすいかも。
伝えたいことはよくわかったけど。
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「BURRN!」編集長として音楽評論の世界に携わってきた著者が、落語評論家としてのみずからのアティチュードをまとめた一冊。
ここで著者は、落語の本質を「同時代の観客の前で演者が語る芸能」としたうえで、評論家とは「ツウの客」「最も良い客」であろうとすることで「演者」と「客」の中間に位置する「媒介」として、客の側に語りかける者、いわば「水先案内人」のうような存在であるとする。それゆえ入門者に対しては、歴史でもあらすじでもなく、まず同時代の「誰を聴けばいいか」という情報を提供することこそが評論家の役割ということになる。そしてこうした立場から生まれたのが、著者の『この落語家を聴け!』(2008年、集英社文庫)である。ここでも、最後に特別付録として「『落語家』『この一席』私的ランキング2010」が収められており、本編と付録とで一応は(というのは、本人がこれは「落語ファンとしての2010年の総括であって「決して『お薦めの落語家』のガイドではない」とわざわざ断っているので)「理論と実践」のような構成がとられている。
「なぜ知っている噺を何度聞いても面白いのか?」「『ネタバレ』で問題無し」「マクラの意味」など、落語初級者にとって興味をそそられる内容もすくなくない。
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正直「よく出てくる地名」「よく出てくる職業」あたりを事前に知っとくだけで落語は十分楽しめるな 個人的には「滑舌のよい落語家」さえ知れればいいけど