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題名は「眼光紙背に徹す」ではなく、月光の消えた後にさした微光で本を読みとるという、いつまでも続けてしまう読書の愉しさを言っているのであろう。このエッセイを読むのも時を惜しみ残りのページを惜しむという極楽にも似た喜びである。それぞれのテーマに沿った本を次から次へと紹介し、味わいのある、なにかなつかしみさえ感じさせる文章で綴っていく。
『水中花』では、あの有名なマドレーヌを紅茶にひたした香りから記憶が次々と甦るというプルーストの「失われた時を求めて」には、記憶が蘇るさまを水中花が開いていくことに例えていることに言及し、そこから伊藤静雄や内田百閒へと話がつながっていく。水中花に似た中国の茶玉をお湯に入れてみることも試していて興味深い。
『さよなら』は、なんという心を打ち震わせるエッセイであることか。リンドバーグ夫人のアン・モローのエッセイを紹介しているが、その美しさは筆舌に絶する。日本語の「さよなら」は「そうならなければならないなら」であることを知ったアンは感銘を受けているが、私もその中庸を得た言葉の美しさに打たれてしまった。ペリーよりも早く日本にやって来たアメリカ人のラナルド・マクドナルドの話も心を打つ。臨終のときの言葉は「Sionara,my dear,Sionara.」だったそうだ。
こんなエッセイばかりを読む格別の喜びを他に知らない。