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芸術家とは、タゴールの如きものをいうのだということを痛切に実感する。
内面世界の充溢や葛藤は、
外的な社会や人間とのかかわりなしには解決しえるものではない。
自らの内的な倫理観と生命を外的世界の向上へと結び、
それが文学的な創作のみならず、
学校の建設、土地の管理、遊学などへと昇華させた
比類ない人道主義者の姿に、ただただ敬服の意を抱くと同時に、
また私自身もこのようにありたいと願うばかりである。
○
シライドホをはじめとする農村は、詩人タゴールにとって単なる風景以上の大きな文学的意味を持っていた。村の中に分け入り人々の中に身を置くことで、詩人はみずからがその一部であることを感じた。そこには未だ知られざるみずからの文化を体現している人々があり、そしてそれらの人々との交流は知られざる自分自身の発見でもあったのである
→これはバルトークの民謡収集と軌を一にしている
当初は、五人の生徒が集まったに過ぎなかったし、教員についてもその他の施設にしても直ちに理想的なものにするのは無理な話であった、このようにおそらく今日的な学校のイメージから見るとそれはおよそ学校とは言えないようなものだったかもしれないが、しかしそこにはまぎれもなく詩人タゴールの理想が息づいていたのである
詩人が思い描いたのは、古代の森の学校「トポボン」だった。であるから、このような小ぢんまりとした環境は実は詩人の理想としたとことかもしれない
詩人は自らの後漢や情緒から切り離されることをなにより嫌ったが、ほおっておくだけでは十全には育たないことも知っていた
タゴールは、リニケトンでの経験以来、農村開発に関心を持ち続けており、大学の農学部に導入
詩聖タゴールの文学世界とこのような実務や経済問題は、一見あまりに不釣合いに見えるかもしれない。しかしそれらはただ愛でるだけの美しい村ではなかった。これらはタゴールが成熟するにつれて見出した「黄金のベンガル」であると同時に、自らの生活の場としての現実であり、またタゴール流のフィールドとしての役割も果たしている
タゴールは常にさまざまなジャンルの詩作を同時並行でこなし、そしてまた同時に実務もこなしていた。ひとり静かに書きものに没頭するどころか、来客に次ぐ来客、問題に次ぐ問題を行き着く間もなく処理する詩人の日常だったのである。
○
あとどれほど遠く
わたしを連れて行こうというのか
美しい女よ
言っておくれ どこの岸に 連れて行こうというのか
あなたの黄金の舟は。
わたしが尋ねても ああ異国の女よ
あなたはただ笑う 甘い笑みの女よ
わたしにはわからない わかるんだろうか あなたの胸に
なにが潜んでいるかなど
○
【いのち】
わたしは死にたくはない 美しき宇宙に
わたしは人間の間に 生きてゐたい
この太陽の光の中に この花咲く森に
いのち溢れる心の中に もしも居場所が見いだせるなら
→生きる意欲にあふれた詩である。��れほどの生きる意欲、しかも世界「人間の間に」生きたいという意欲は、これ以前のメランコリニックな詩とむしろ鮮やかな対照を見せている。逆説的ではあるが、死というものを目の前にして詩人は生きるということはどういうことなのかを理解したのかもしれない。
○
新たな岸へと向かって
舟を漕ぎ出さなければならない
舵取りが呼んでいる
命令が下ったのだ―
港に繋がれたときは いまや終わりを告げた
古い荷を備えて ただ売り買いをするようなことは
もはやできない