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難しい言い回しなどはいっさいなく、日常のささやかな出来事が、それこそ知人に向かって語りかけているくらいの気さくな感覚で綴られているのですが、それでもそこは春樹さんですから、何ともいえない独特の味わいがあるのです。
自分でも書けるかも、と思うくらいのゆるさ、暖かさ、ほっこりさなのですが、もちろんわかっています。こんな風にかけるのは、春樹さんだからこそ(←あたりまえ)。
春樹さんと同時代にいられたことがうれしいなと、そんなことが素直に思えるエッセイでした。
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久々の村上ラジオ。ananに連載してるのを時々立ち読んでますが、こうやってまとまって出るのを待ってました。
本人もお書きになっている通り、特に中身がどうとかいう話でもないですが。ま、いいじゃないですか。
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実はこの人、小説よりも、未訳の極上小説の発見やエッセイのほうが、実力を発揮してるんじゃないか、と私は思うのです。
(あまたの村上ファンには叱られそうですが。)
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2011年7月26日(月)読了。
このゆるくてくだらない話たちを、春樹さんにずっと隣で喋っていてほしい!
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いつも思っているが、この人のエッセイはプールサイドでぐっちゃりしている時にいい。それぞれが短く、いつでも止められて、それぞれが、日頃考えていなかった視点で語られる(といってもまじめな話ではなく)。いつもそんな時に持っていくので、今回も7月頭に出て今まで読まず、プールサイドで読了。
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世界の村上春樹さんのエッセイに感想を述べるのは難しすぎます。
でも私の知らない「おおきなかぶ」と「むずかしいアボカド」の理由がわかったとき、日常がほんの少し変化したように感じました。
やはりウーロン茶はおいしくなくちゃいけないし、それが日本一なら飛び上がるほど嬉しいです。
マシュマロをひとつずつ口に入れて溶けてなくなるまでじっくり味わうように、ページをめくっていきました。最後のエピソードは殊の外じんわりと胸に響きました。大橋歩さんの銅版画のしおりが挟まっていて(水玉模様の猫ちゃん)思いがけないプレゼントにほっこりしました。それにしてもみんな同じページに挟まっていたのかなぁ。
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アンアンで連載中のエッセイ1年分をコンパイル。
アンアンは流石に読め(ま)ないので、これはうれしい。
内容はいつものようにくだらないものですが、読んでいると、もう少し豊かな日常を暮らせる気になるんですよね。
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村上春樹さんのエッセイ。
実は長編しか読んだことなかったので新鮮だった。
日常のひとこまやそこで感じたことなどが、易しい言葉で語られている。
押し付けがましさが欠片もなくて、むしろ控えめな印象。
雑誌連載のせいだとは思うけど、ページにして3ページくらいの長さ。そこへ大橋歩さんの版画が添えられている。
これがまた素敵。シンプルで暖かい雰囲気。これは全体で一つの作品。
どちらかというと読むのが速いタイプなので、じっくり味わうために意識してゆっくり読んだ。
読むだけならほんと2時間もあれば十分だけど絶対もったない。
時間をおいて、また読み返してみたい。
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村上さんのエッセイは、好きです。村上さん自身はそうでもないようですが・・・(笑
大橋さんのイラストは、昔のピンクハウスを思い出しました。やっぱり好きです。
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村上春樹のエッセイは彼の小説を読む時と違って、身構えずに読むことが出来る。でも、美しく文章がスっと身体に入ってきて、例えていうなら、良質のミネラルウォーターを一息で飲んだような読後感。
村上春樹の考える理想的なパーティーはいいですね。まさに理想的な。
"人数が全部で十人から十五人くらい、人々は物静かな声で語り合い、誰も名刺の交換なんかせず、仕事の話もせず、部屋の向こうでは弦楽四重奏団がモーツァルトを端正に演奏し、人なつっこいシャム猫がソファで気持ちよさそうに眠り、おいしいピノノワールの瓶が開けられ、バルコニーからは夜の海が見渡せ、その上に琥珀色の半月が浮かび、そよ風はどこまでもかぐわしく、シルクシフォンのドレスを着た知的な美しい女性が、僕にダチョウの飼い方について親切に丁寧に教えてくれるーといったようなパーティーだ"
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村上ラヂオ3が出ることを楽しみにしておこう。また10年後かな?そしたら私は●5歳。覚えやすくていいや。
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17の時に著者の本に会って以後現在まで、新作がでるたびに、ジャケ買いしてます。ただ最近は漫然と買って読み返す事がなく、昔のような共感が少なく、なぜ村上春樹の作品が好きなのか、わからくなってました。けど久しぶりに著者のエッセイを読んで、十代の多感な時期に感じた気持ちを思い出した。最後の「ベネチアの小泉今日子」に感動。
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今まではエッセイ読んでも「凄い人なぁ」ととてつもなく遠い人だと思ってたんだけど、今回のエッセイは村上春樹さんが近く感じられる内容だった。
あ、そういうこと、この人も考えるんだ。とか、「挨拶」っていう字、書けないんだ。とか。
なんだか世界を柔らかく捉えてる感じが好きです。
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春樹さんのエッセイは、スマートで、あたたかくて、
ちょっとお茶目なところが、読みながら心地よくしてくれる。
読んだあとには、Take it easy! と、軽やかな気分にしてくれる。
とにかく、この世界にいるだけで、心がほぐされる・・・
その幸福感だけを求めていたのだけれど、
今回のこのエッセイでは、なかなかどうして、学ぶことも
多かった。
特にラストの「ベネチアの小泉今日子」には、春樹さんが
本当に悲しく、つらい思いのときに、音楽がどのような
効用を果たしてくれたか・・・それは、また小説にも同じ
機能がある・・・その役目が自分の文章にもできれば・・・と
声高にでなく、そっと、ささやくように語ってくれていた。
心地よく遊んでいた湖に、そっとやさしく導くように何かを
なげかけられたような感動が、胸に広がった。
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エッセイに出て来るひとつばなしがどっかで読んだことがある気がします。年2回ほどチョコレートが無性に食べたくなって衝動的にコンビニまでグリコのアーモンドチョコレートを買いに行ってしまう→ねむりの女性も板チョコを買いに夜中にコンビニへ行く。アメリカでざるそば食べておこうかなという程度の空腹具合であったらレストランでシーザーズサラダを頼むとか、奥さんが揚げ物と鍋は自宅で支度をしないので、カキフライにハンバーグなどは自分で作って一人で食べることになる→羊をめぐる冒険の僕は北海道の鼠のいえで鼠を待ちながら一人シーザーズサラダとハンバーグを作って食べる。これがハルキさんのいう引き出しの中身だったのでしょうか。