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筆者が1978年から1979年にかけて、美浜原発、福島第一原発、敦賀原発で実際に原子力発電所内で働いていた事実や体験を元にしたためたルポルタージュ。初期に「原発ジプシー」として表した著作を加筆修正して新たなタイトルとして出版されたものです。
昨今、原発労働についての実態、特に下請け孫請けに代表されるが問題にされているなかで、どのような作業を行っているのかを知る貴重な資料となっています。
原発が危険であるとか、経済性の指摘など、いろいろと論点がある中、原子力発電所で働くことの安全管理や意識改革は、今に至るまで改善されることが無かったのではないかと判断せざるをえない内容です。
個人的には人の安全を軽視するようなスタンスが一番哀しく思い、また憤りを感じます。そのなかで実際に働いている方々の実態を知るということは、その方々をひっくるめて、問題を考えて行動するための欠かせない一冊と考えます。
最後に跋(ばつ)に変えて、というあとがきで、地震に対するお見舞いの気持ちともともに、事故に対する見解をするすとともに、そこで陽に暗に働く人たちへの思いもつたわってきます。ほんの少しだけ触れられている筆者自身の健康状態も気がかりでなりません。
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『原発ジプシー』のタイトルで1979年に現代書館から出版され(その後講談社文庫化)、20余年を経て、今回の東電福島原発の事故を機に再構成し復刊されたもの。最初に読んだときは大学1,2年生の頃で、先輩から紹介された。こうした世界があるのか、という衝撃を受けたことを覚えている。その後、高校の教員として現代社会の授業で原発を取り上げた際、紹介した本でもある。当時の生徒はこれを覚えていてくれているだろうか。
この本から浮かび上がってくるのは、「クリーン・エネルギー」という言葉が、いかに原発の労働現場を知らないものがはいている無責任な言葉であり、その労働現場の過酷さと、手配師が労働者を斡旋するという前近代的世界である。
著者は30歳のころ、原発労働者としてその労働実態を自ら体験し、ルポルタージュとしてまとめた。その後著者は死線をさまようような病気をし、現在も体調がすぐれないということであるが、今回の復刊に当たって作成した一枚のグラフが跋文のところに記されている。そこには、現場で被爆している労働者の圧倒的多数が東電社員ではなく、下請け、孫請けの労働者であるという事実が示されている。
この期に及んで、原発を肯定的に語ろうとする人は、こうした事実をまっとうな世の出来事として受け入れることができるのか?
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やっぱり、現場で起きている出来事は、体験した人が語らないと伝わってこないというのが、しみじみわかった。
今でもこの三十年前とそうかわらない環境で「協力会社」の労働者が働いていると思うと、心底頭の下がる思いがする。
それは、福島にかぎらず、現在稼働中の炉のついても同じ。
しかし、ルポのためにここまで身を削って本を書いた著者のジャーナリスト魂は、尊敬に値する。
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原子力発電所は、日雇い労働者の(大量?)被爆に支えられていた。
原発の是非についての議論は、「絶対安全」という神話を前提になされているとするならば、その前提そのものを揺るがすショッキングな内容だ。
無知は罪だと思った。
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システムが関われない人が少しでも介在するところのある現場をリアルに感じました。
p.359の1970年から2008年の「放射線業務従事者被ばく線量と原子炉基数の推移」での電力社員と非社員との被ばく量の格差も、事実であればいくつかの犠牲の一つの上で電力会社がなりたっていることがわかります。
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原発で働くことは、女工哀史か蟹工船の世界と同じらしい。放射線管理などもいい加減であり、労働者を人間と思っていない電力会社の正社員の姿なども見えてくる。大事故が起きるのもいたって当然。福島第一は収集つかないだろうと思ってくる。
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30年以上前、各地の原発で働いたルポ。
鎌田慧氏の自動車絶望工場を彷彿させた。
近年もこんなにずさんな労働者の管理がされているなら絶望的だと思った。
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27年前に書かれたという原発労働ルポ。「明るい未来のエネルギー」が、実は前近代的な下請制度と日雇い労働者の犠牲の元に成り立っているという構図を世に知らしめた一冊。そしてその構図が、とうとうカタストロフィーの瞬間まで変わることとはなかったということは、周知の通り。
個人的には原発反対論者ではないのだが、しかし、その工学や技術があまりにも未成熟なものであるという事実は明らかであろう。筆者も指摘しているとおり、原発そのものが定期点検を想定した作りになっていないのだ(なにしろ、定検に必要な電力すら引き込まれていないというのだから、弁明の余地はない)。体を起こすこともできない劣悪な環境で、作業の意味も影響も知らない日雇い労働者が点検をするのだから、ミスや見落としが多くなる道理である。孫請けひ孫受け業者は親に対して事故を隠すインセンティブが豊富なので、必然的に隠蔽体質が出来上がる。国や電力会社は、この未来の炎をコントロールできるほど、まだ賢くなっていない。
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これを読む限りでは恐ろしいことがたくさん。自分はアルバイトで火力発電所に公害の測定に行ったことがあったが、作業場所が高いところだったり、触るものが熱かったくらいで命の危険を感じたことはなかった。原発が安全に稼動できるためには見えないところでずいぶんいろいろなことが積み重なっているということが生々しくわかる。
下請けに危険な作業を任せながらもろくに安全管理もしない電力会社や元受会社の体質はどうにかしなければならないだろう。まともにやったら原発は運用できないということだろうか。
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元々書名が「原発ジプシー」だったのが、「原発労働記」に改題。原発については、被害が広範囲に渡る「外部化」よりも、この本で詳細に描写されているピンハネや過酷な労働実態に象徴される、豊かな生活を維持するための被害の「内部化」が私にとって心を痛める事実である。
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この本の初版は昭和54年刊行。
著者は原発の現実を自ら確かめるべく定期検査を行う下請け作業員となり各地の原発で働いた。
杜撰な作業環境管理、まるでモノ扱いの処遇は32年を経て福島から伝え聞く現場の様子と何ら変わらない。
厚生労働省はこうした現場を指導できる労働衛生の職員を育成し、きちんと行政指導して欲しい。
原発の存続云々はさておいてもこの本を読めば誰もが
「こんなんで大丈夫?」と思うだろう。
原発管理に大いに不安を抱く現実がある。一読の価値あり!
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美浜、福島、敦賀の原発を労働者として働いたレポート。読んでいて70ページほどで気分が悪く……。原発安全神話がいかに脆いものであるのか、また、労働者の扱いがいかなるものなのかが赤裸々に描かれている。電気と引き換えの犠牲の大きさ。知っておくべきことだ。
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過去に原発ジプシーとして発表されたものを改題、加筆修正された書籍。
1978年~79年に筆者が原発の日雇い労働者として働いた実体験をまとめて居るので非常に生々しい内容。
日雇い労働者の過酷さは、原発に限った話しではなく、今もなおある社会問題だろうが、その上に放射線被爆と言う大きな問題も加わって深刻さは更に増している。
当時より様々な技術は進歩しているだろうから、そのまま現在には当てはまらないかとは思うが、原発を運営する会社、国、人間の本質は何も変わってはいないだろうから、原発に対する安全神話が初めから今まで一貫して実のない虚構、妄言の類だったと言えるだろう。
福島原発の事故を期に本書を読んだ。
今後、原発の代替となるエネルギーが実用化されるまで、原発は無くならないだろう中、原発の今後の運営をどう考えるかの一つの情報として必読の一冊だと思います。
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現場作業員の人権や人命の軽視には辟易させられる。
この本では当時の仕事仲間だった人たちの記述は、削除されている部分が多いということなので、そこが残念。
原著の『原発ジプシー』を読もう。
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27年前の原発での下請け労働者を著者自ら働き記したノンフィクション。放射能の影響は現在もまだ未知の段階で人体にどんな影響を及ぼすのか分からない。今も福島原発で多大な被爆を強いられながらも陽の目を見ることがない
労働者たちのことを思う